キリヤット・オノ(Kiryat Ono、Qiryat Ono、ヘブライ語: קִרְיַת אוֹנוֹ‎)は、イスラエルテルアビブ地区内に位置する都市。現代の都市としてのキリヤット・オノは、聖書に登場する地名としてのオノとは異なる場所であり、混同してはならない。旧約聖書(『歴代誌』上8:12、『ネヘミヤ記』6:2、など)に言及のあるオノは、大部分の研究者たちによって、かつてのアラブ人の集落カフル・アナの位置にあったと比定されており、現在はその跡地の近傍にオル・イェフダが建設されている[2]。2013年末の時点で、人口はおよそ35,500人であった[1]

キリヤット・オノ
كريات_أونو
イスラエルの旗
キリヤット・オノ
レヴィ・エスコル通り (Levi Eshkol Street)

市章
名称の由来: "聖書に登場する地名「オノ」と、都市地域を意味する「キリヤット」から"
位置
キリヤット・オノの位置
イスラエル全図(地図中には近隣の都市テルアビブホロンの名が見える)
キリヤット・オノの位置
キリヤット・オノの位置(テルアビブ地区)
座標: 北緯32度3分49秒 東経34度51分19秒 / 北緯32.06361度 東経34.85528度 / 32.06361; 34.85528
歴史
移民キャンプ開設 1939年
市制 1992年
行政
イスラエルの旗 イスラエル
地区 テルアビブ地区
  市 キリヤット・オノ
市長 Israel Gal
地理
面積  
  総面積 4.112 km2
人口動態 (2013年現在)
人口 35,543 人 ([1]
その他
等時帯 世界標準時UTC+2
  夏時間 夏時間UTC+3
ISOコード Qiryat ʔono
公式サイト: www.kiryatono.muni.il
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歴史 編集

1939年、クファル・オノ(Kfar Ono)と名付けられた集落が創建された。1950年代には、マアバロート英語版と称された新規移民を受け入れる暫定キャンプが近傍に開設された。1954年、この集落は周辺地域との合併によってキリヤット・オノとなった。1992年には市制が施行された[3]。人口の増加は、イギリス統治時代に始まったが、これはおそらく、今日のテル・ハショメール英語版のイギリス軍基地が近かったためであったものと思われる。基地を見下ろす丘の上には1本の木が立っており、この木は当市の精神的、文化的な象徴とされてきた。この木の周辺の土地は、農地としてアリイェフ・コニコフ (Aryeh Konikov) が所有し、保全している。この木が植樹されたとき、周辺には樹木はなく、コニコフは多年にわたってこの木を育て、周辺の土地を保全している。

人口 編集

イスラエル中央統計局 (CBS) によると、2001年時点の当市の民族構成は、全員がユダヤ人ないし、その他の非アラブ人であり、アラブ人は事実上居住していなかった。キリヤット・オノの近年の成長は著しい。CBS によると、2001年には、男性11,200人に対し、女性12,000人が住んでいた。人口のうち、19歳以下が28.1%、20歳から29歳が15.5%、30歳から44歳が19.0%、45歳から59歳が18.9%、60歳から64歳が4.5%、65歳以上が13.9%をそれぞれ占めていた。2001年における人口増加率は0.8%であった。

収入 編集

CBS によると、2000年時点で、当市には給与所得労働者9,560人、自営業者928人がいた。2000年時点における給与所得者の賃金月額の中央値はILS(新シェケル)7,648で、2000年のうちに、実質10.4%の増加をした。男性給与所得者の賃金月額の中央値は ILS9,706(実質増加率 9.1%)であるのに対し、女性は ILS 5,760(実質増加率 12.6%)であった。自営業者の中央値は ILS 9,778であった。また、378人が失業給付を受けており、395人が生活保護を受けている。

教育 編集

当市には、学校が11校ある。内訳は、公立小学校6校、公立宗教小学校1校、民主学校1校、中等教育学校3校(シャザール中学校、ベン・ズヴィ中学校、ベン・ズヴィ高等学校)で、中等教育の生徒数は2,032人にのぼる。2011年には、12年次生の 81.51% が大学入学資格 (matriculation certificate) を得た。

キリヤット・オノには、認証を受けた私立大学であるオノ・アカデミック・カレッジ英語版があり、8,500人の学生が所属している[4]

脚注 編集

  1. ^ a b תוצאות החיפוש ליישוב קריית אונו לשנת 2013”. Israel Central Bureau of Statistics. 2013年11月3日閲覧。
  2. ^ Walid Khalidi, All that Remains, Washington, D.C. 1992, pp. 247-248; Carta's Official Guide to Israel, Jerusalem 1983, p. 358.
  3. ^ Qiryat Ono (Israel)”. Crwflags.com. 2013年3月26日閲覧。
  4. ^ Ono Academic College - PROFILE - ONO ACADEMIC COLLEGE”. Ono.ac.il. 2013年3月26日閲覧。

姉妹都市 編集

キリヤット・オノの姉妹都市

外部リンク 編集