ギヨーム9世 (アキテーヌ公)
ギヨーム9世(Guillaume IX、Guilhen de Peiteu、1071年10月22日 - 1126年2月10日)は、中世フランス王国の貴族でアキテーヌ公(ギヨーム9世、在位:1088年 - 1126年)、ポワティエ伯(ギエム7世、在位:同)。ギヨーム8世とブルゴーニュ公ロベール1世の娘イルドガルドの子。ギヨーム・ド・ポワチエ、オック語ではギエム・デ・ペイチュとも呼ばれる。
ギヨーム9世 Guillaume IX d'Aquitaine | |
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アキテーヌ公 | |
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在位 | 1088年 - 1126年 |
出生 |
1071年10月22日 |
死去 |
1126年2月10日(54歳没) |
配偶者 | エルマンガルド・ダンジュー |
フィリッパ ・ド・トゥールーズ | |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ポワティエ家 |
父親 | アキテーヌ公ギヨーム8世 |
母親 | イルドガルド・ド・ブルゴーニュ |
生涯編集
「最初のトルバドゥール」と呼ばれる。あまり信頼の置けないトルバドゥールの伝記を集めたヴィダス(vidas)と呼ばれる評伝には、以下の記載が見られる。
- ポワティエ伯は世界で最も上品な人物である、また最も女性を惑わすのに長けた人物であり、騎士の才能を秘め、勇ましさの出し惜しみをしない。彼は詩の作り方を知り、すばらしい歌い方を心得ている、また女性を誘惑するために諸国をさまようこともする。彼にはノルマンディ公の娘を嫁に持った息子と、イングランドのヘンリーに嫁いだ孫娘がおり、彼女は若王リチャードとブリタニアの王の母になった。
孫娘とは、北フランスにトルヴェールを生み出すきっかけとなったアリエノール・ダキテーヌのことである。アリエノールは1137年にフランス王ルイ7世と結婚したが離婚、イングランドのヘンリーは1152年にアリエノールと再婚したイングランド王兼ノルマンディー公兼アンジュー伯ヘンリー2世を指す。2人の息子リチャード1世とジョンはそれぞれイングランド・ノルマンディー・アンジューを含んだアンジュー帝国の君主となった。
ギヨーム9世は、ヴィダスでも述べられているように非常に奔放な性格だったようで、母方の従妹に当たる最初の妻アンジュー伯フルク4世の娘エルマンガルドはそのせいで情緒不安定となり修道院に入ってしまったそうである[1]。2度目の妻でトゥールーズ伯ギヨーム4世の娘フィリッパとは、彼女が気丈であったために沢山の子をもうけるが、シャテルロー子爵夫人アモーベルジュ(別名ダンジュルーズ:Dangereuse(ポワトゥー語;ダンジュローザ,Dangerosa),「危険な女」と呼ばれた)と不倫関係になって居城の敷地内のモーベルジョン塔に住まわせて堂々と通うなど、あまりの仕打ちに彼女もまた修道院にこもってしまう[2]。
こうした行状の悪さに対して地元の司教から2回も破門を言い渡されているが、1回目などは司教を平気で殺したらしい。第1回十字軍の余波とも言える1101年の十字軍でシリアへ遠征し、この十字軍は全滅に近い負け方をするが、運良く生き残ったギヨーム9世はほうほうの体でアンティオキア公国に身を寄せたそうである。この宮廷に逗留していた時に、アラブの吟遊詩人達から影響を受けたという説があり、彼が詩作に打ち込んでトルバドゥールとして姿を現すのはこの十字軍から戻って来た後のことであるとされる。
一方彼の詩に、当時イベリア半島のほとんどを支配していたアラブのベルベル人に引っ掛けて自分を述べている箇所があり、このことからイベリア半島のイスラム文化から影響されたのではないかという説もある。十字軍に関しては、後年の1120年にスペイン十字軍にも参加している。晩年は若い頃の行状を改心したか、修道院に入って過ごしたとされ、それを物語るかのように1篇の敬虔な詩が残されている。
なお孫娘のアリエノールは、2度目の妻フィリッパとの間にできた息子ギヨーム10世と、不倫相手のシャテルロー子爵夫人がシャテルローに残して来た娘アエノール(Ænor de Châtellerault)とが後に結婚して、その間にできた娘であり、ヴィダスの「ノルマンディ公の娘を嫁に持った息子」という記述は明らかな誤りである。
ギヨーム9世が残した詩は、晩年の1篇を除いて、性格を示すように自由で直接的でエロチックな諧謔に満ちている。4篇はトルバドゥールの詩に特有の定型化された形を取るが、その詩の内容はトルバドゥールの代表的な主題である形式化された宮廷愛に対して皮肉る姿が見え、彼以前に既に多くのこの形の詩歌が存在していたことを伺わせる。11編の詩が残されているが、そのうち、曲は部分的にしか残されていない。
子女編集
2度目の妻フィリッパ との間に2男6女をもうけたとされる[3]。
- ギヨーム(1099年 - 1137年) - アキテーヌ公ギヨーム10世
- レーモン(1199年 - 1149年)※ダンジュルーズ生母とする説有
- アニェス - アラゴン王ラミロ2世妃
- オーデアルド - 修道女
他、名前不詳の娘4人の内1人をペリゴール伯エリーの妻フィリッパ、 1人をシャテルロー子爵エメリー1世とダンジュルーズの次男フェイ=ラ=ヴィヌーズ領主ラウル・ド・フェイの2人目の妻アデライードとする説がある。
以下、3子はダンジュルーズとの間にもうけたとされる
- アンリ(? - 1132年以降) - クリュニー修道院次長
- アデライード
- シビーユ - サント修道院 女子修道院長
脚注編集
資料編集
- 『中世ヨーロッパの歌』ピーター・ドロンケ著、高田訳、2004年 水声社、 ISBN 4-89176-521-6
- 『フランス中世歴史散歩』レジーヌ&ジョルジュ・ベルヌー共著、福本訳、2003年 白水社、 ISBN 4-560-02848-6
- 『フランス中世文学集』第1巻 信仰と愛と、天沢、新倉訳、1997年 白水社、 ISBN 4-560-04600-X
- 『トルバドゥール恋愛詩撰』沓掛良彦 編訳、1996年 平凡社、 ISBN 4-582-30129-0
- 中内克昌 『アキテーヌ公ギヨーム九世』 九州大学出版社、2009年
- レジーヌ・ペルヌー 『中世を生きぬく女たち』 白水社、1988年
- "Medieval France an Encyclopedia" 1995年 Garland Publishing、ISBN 0-8240-4444-4
- CD: "Gullaume IX D'Aquitaine, Las Cansos del Coms de Peitieus" 演奏:Brice Duisit、2002年、ALPHA 505
関連項目編集
外部リンク編集
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