クィトラワクCuitláhuac, 1476年頃 - 1520年)は、アステカの第10代の君主(在位:1520年)。アシャヤカトルの子で、モクテスマ2世の弟にあたる。『チマルパイン文書』によると、モクテスマ2世はアシャヤカトルの8番目、クィトラワクは11番目の子であり、アステカ王になる前はイスタパラパの統治者だった[1]

クィトラワク
アステカ第10代君主
Cuitlahuac2.jpg
在位 1520年

出生 1476年
死去 1520年
父親 アシャヤカトル
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1519年にスペイン人のエルナン・コルテスの軍がテノチティトランの町にはいると、時の国王モクテスマ2世は最初コルテスをもてなし、父のアシャヤカトルの宮殿に住まわせた。テノチティトランはモクテスマ2世とコルテスの二重統治状態になったが、スペイン人に敵対的なテノチティトランの統治階級はこの協力的な態度に反対し、翌1520年にモクテスマ2世を退位させて王の弟に当たるクィトラワクを王に選んだ。その後も対立は続き、モクテスマ2世は殺されたが、アステカ人に殺されたのかスペイン人に殺されたのかは文献によって異なる[2]

コルテスらはいったんテノチティトランから逃げたが、数ヶ月後にスペインとトラスカラの連合軍を集めてテノチティトランを占領した。クィトラワクはその前後にスペイン人から持ち込まれた天然痘に倒れた[3]。『チマルパイン文書』によると、在位期間は80日に満たなかった[4]

メキシコシティにはクイトラワク通りがあり、メキシコシティ地下鉄2号線にもクイトラワク駅がある。ベラクルス州の町クイトラワク英語版の名もクィトラワクにちなむ。

脚注編集

  1. ^ Codex Chimalpahin (1997), p. 151.
  2. ^ Smith (2012), pp. 285-286.
  3. ^ Smith (2012), pp. 286-288.
  4. ^ Codex Chimalpahin (1997), p. 57.

参考文献編集

  • Smith, Michael E. (2012), The Aztecs (3rd ed.), Wiley Blackwell, ISBN 9781405194976 
  • Codex Chimalpahin, 1, edited and translated by Arthur J.O. Anderson and Susan Schroeder, University of Oklahoma Press, (1997), ISBN 0806129212 

関連項目編集