クウェート首長国
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- クウェート首長国
- مشيخة الكويت
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← 1752年 - 1961年 → (国旗) (国章) -
言語 アラビア語
ペルシア語首都 クウェート市 - ハーキム
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1752年 - 1776年 サバーハ・ビン・ジャービル・アッ=サバーハ 1950年 - 1961年 アブドゥッラー3世・アッ=サバーハ - 変遷
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バニ・ハリドより独立 1752年 バーレーン侵攻 1783年7月23日 アル=ハサ遠征 1871年5月5日 アングロ・クウェート協定 1899年1月23日 クウェート・ラシディ戦争 1900年12月17日 アングロ・オスマン条約 1913年7月29日 ハムドの戦い 1920年5月18日 ジャハラーの戦い 1920年10月10日 イギリスより独立 1961年6月19日
通貨 ディルハム
ディナール金貨
ルピー
湾岸ルピー
(1959年 ‐ 1961年)現在 クウェート
クウェート首長国(クウェートしゅちょうこく、アラビア語: مشيخة الكويت, ラテン文字転写: Mashīkhat al-Kuwayt、英表記:The Sheikhdom of Kuwait)は、かつてクウェートに存在した首長国である。
1871年から1899年まではオスマン帝国の従属国としてバスラ州に含まれており[1]、1899年に締結されたアングロ・クウェート協定によって1961年までイギリスの保護領となった。この協定は、主にオスマン帝国からの脅威に対する防衛手段で、ムバーラク・ビン・サバーハ・アッ=サバーハとイギリス領インド帝国の間で締結された。1961年にイギリスから正式に独立したことに伴い、クウェート国となった。
歴史
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脚注
編集- ^ Abu-Hakima, Ahmad Mustafa. "Arrival of the Utub in Kuwait." The Modern History of Kuwait, 1750-1965. London: Luzac, 1983. 3-5. Print.