クラウトロック

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クラウト・ロック: Krautrock)は、1960年代末から1970年代初めにかけて西ドイツに登場した実験的バンド群、およびその音楽をさす一般名詞である。

Krautrock
様式的起源 プログレッシブ・ロック
ファンク
実験音楽
サイケデリック・ロック
文化的起源 1960年代後半から1970年代前半の西ドイツ
使用楽器 ギター, エレクトリックベース, ドラム, シンセサイザー
派生ジャンル 環境音楽
ニューエイジ・ミュージック
ノイエ・ドイチェ・ヴェレ
ポストパンク
ポストロック
地域的なスタイル
BerlinDüsseldorf

目次

概要:名称編集

クラウト・ロックは、ドイツ人のロックという意味。クラウト(ザワークラウト)は、ドイツでよく食べられている「キャベツの漬け物」のこと。この言葉は、はじめは軽蔑の意味を込めて使われていたが、後に賞賛の意味を込めて使われるようになった。クラウト・ロックという呼び名への変更の時期は1990年ごろで、それまでたとえば日本の音楽メディアは、ジャーマン・ロック、ジャーマン・プログレ、ジャーマン・エレクトロニック・ミュージックという言葉を使っていた(『フールズ・メイト』誌「ジャーマン・ロック史学」(Vol.13、1980年)など)。

クラウト・ロックの要素の一つは、ミニマル・ミュージック的な「反復」であり、クラフトワーク[1]のサウンドはその典型である。

詳細編集

1968年、世界的なサイケデリック・ムーブメントの波を受けて、西ドイツの各地にサイケデリック・クラブが続々とオープンした。これがアーティストたちを育む土壌となった。同年9月、西ドイツ初のロック・フェスティバルである「エッセン・ソングターゲ」が開かれ、フランク・ザッパなどの英米のアーティストとともに、アモン・デュールタンジェリン・ドリームグル・グルらが出演した。このイベント開催が、クラウト・ロックが誕生した瞬間であった。

1969年にアモン・デュールI、アモン・デュールII(分裂して二つのバンドに分かれた)、カンがレコードデビュー。1970年にタンジェリン・ドリーム、グル・グルが続いた。これらのバンドは、いずれも編成的には従来のロックの延長線上にあった。電子音楽の道に先鞭をつけたのは同70年にレコードデビューしたクラスターである。その音楽の特徴は、混沌とした電子ノイズであった。やや遅れてクラフトワークもレコードデビューしている。両者に録音技師として関わったのが名ミキサーのコニー・プランク[2]で、彼はその後もクラウト・ロックをさまざまな面で支え、イギリスのニュー・ウェイヴにも大きな影響を与えた。クラウト・ロックの普及には、イギリスのDJジョン・ピールの貢献が大きかった。ピールがさかんに自身のラジオ番組でクラウト・ロックをかけ、その結果ドイツのロックにロック・ファンの関心が集まっていったという経緯がある。さらにジョン・ピールがオンエアしたアーティストの一部は、日本のロック評論家、渋谷陽一によっても紹介された。

1990年代のベルリンの壁崩壊による統一ドイツは16州の連邦となっており、地域性がそれぞれ異なる。クラフトワーク、ノイ! らは、ドイツ西部のノルトライン=ヴェストファーレン州の都市デュッセルドルフが拠点であり、カンも西部ケルンが拠点だった。タンジェリン・ドリームアシュ・ラ・テンペルクラウス・シュルツェらはドイツ東部のベルリンが拠点で、「コスミッシェ・ムジーク(宇宙音楽)」を展開した。アモン・デュール(I、II)、ポポル・ヴー、エンブリオはカトリックワーグナーの伝統が息づくバイエルン州ミュンヘンのグループだった。ファウストはドイツ北部のヴュメが地元のバンドである。

関連項目編集

参考文献編集

脚注編集