ロリコン漫画(ロリコンまんが)またはロリコンマンガとは、ロリータ・コンプレックスをテーマとした漫画のこと[1]。少年・少女向けのアニメや漫画のキャラクターを思わせる絵柄の少女性欲を感じたり萌えたりする漫画で[2]未成年(主に中学生以下)に見える架空美少女が描かれる[3]。いわゆる「おたく」が登場した1980年代前半、当時の劇画調エロマンガ(=三流劇画)のオルタナティブとして流行し、その後は美少女コミックとして一般化した[4]

本項ではロリコンブームの火付け役[5]となった自販機雑誌少女アリス』(アリス出版)および関連雑誌についても解説する。

ロリコン・ブームの到来編集

 
「謎の黒本」と呼ばれた日本初の男性向けエロ同人誌『シベール』
 
アニメ調や少女漫画調の可愛らしい絵柄で性的に表現された美少女ロリータ)。
 
昭和50年代中頃に流行した美少女キャラクターの典型的イメージ。当時のロリコン漫画は手塚治虫風の丸っこい描線(=ぷに系)で描かれたものが多く、反手塚的なリアリズムセックスバイオレンスを表現した三流劇画とは全く対照的であった。後に大塚英志はロリコン漫画の開祖的存在である吾妻ひでおの画期性について「決して性を描いてはいけない表現(=手塚を系譜とする戦後まんがの正統な文体)で性を描いた。つまりそこには禁忌の侵犯があった」と評価している[6][7]

三流劇画ブームがピークを迎えた1979年4月、吾妻ひでお蛭児神建らによる日本初のロリコン漫画同人誌『シベール』(無気力プロ)がコミックマーケット11でひそかに頒布された[8]。これを知ったアリス出版川本耕次は商業誌初となるロリコン漫画の連載を吾妻に依頼する。こうして吾妻は『純文学シリーズ』と後に呼ばれることになる一連の作品を自販機本少女アリス』1979年12月増刊号から1980年8月号(通巻15号)まで連載した[9][10]。この連載は川本の退職により打ち切られたが、1981年7月に奇想天外社から『陽射し』の題で単行本化され、ロリコン漫画初期の傑作となった。のちに吾妻は「新宿の大きい本屋で『陽射し』のサイン会したら、えらい列ができちゃって。夜までかかってサインを描いていた。本屋が閉まっちゃって、そのあとは倉庫で書いてた。『ふたりと5人』の時もサイン会をやったことあるけど、その時は3人くらいだったよ(笑)」と回想するなど、当時の吾妻ブームを象徴する記念碑的一冊となっている[11]

一方で『シベール』もまた初期のコミケでブームを呼ぶも早期に終刊したが、エロマンガ界ならびにコミックマーケットに与えた影響は計り知れず、これを嚆矢として1981年夏のコミケット18ではロリコン同人誌が氾濫するに至り[12]、その後のロリコンブームの直接的な起爆剤となった。志水一夫はロリコン漫画同人誌ブーム到来と共に本誌が突然廃刊したことで、欲求不満になった有志が次々にロリコン同人誌を出しはじめたと言い「盛り上がったところで消滅しちゃったもんだから、どんなモノでも売れた」と述懐している[12][13]

初期ロリコン漫画の特徴編集

この当時流行していたロリコン漫画というジャンルは、頽廃的な幼女趣味に基づく漫画表現のみを単純に指していたわけではなく[14]SFアニメ特撮などに育てられた若い世代の描き手たちが生み出した「パロディ的・アニメ的で必ずといっていいほど美少女が登場するような作品群」を半ば冗談で括ったネーミングであった。つまり、広義の意味では「美少女をキーワードとする新しい感覚少年漫画[15]全般を指していたのである。これに関してコミックマーケット準備会2代目代表で漫画評論家米沢嘉博は「同人誌における少年漫画がロリコン漫画によって復権した」と語っている[16][17]。また志水によれば、それ以前から類似同人誌に存在していた、下記3つの異なる志向がロリコン漫画ブームにより部分的に重なり合ったと言う[12][18]

その結果「ロリコン」は「美少女を素材とした広い意味でのファンタジー表現を包括する概念」として汎用化され[19]、このジャンルは後に「美少女コミック」として括られることになる。

おたく文化におけるロリコン文化の受容と拡散について米沢嘉博は次のように説明している。

ロリコンは、吾妻ひでおブームと重なって出てきた。マンガの中の少女のエロチシズムを認め、自覚しようとするものであり、当初提唱された概念は、今で言う「萌え」に非常に近い。即物的な少女姦、ペドフィリア、ではなく、精神的な「少女」への愛しさ、自らの子供時代に向けた追憶、世界として自律していた「少女」というなど様々なものを含んでいた。小説映画絵画などの中に散らばっている「少女」のモチーフのフレクト。無垢な現実の少女たちを、時間を記憶する装置であるカメラビデオによって、その時を止め置く行為。それは、SEXという行為とは無関係に成立する。かわいさへの憧憬であり、「美」の収集の一つでもあったはずだ。

ほんの一時の間、少女は輝き、子供でも女でもない「時間」の中に生きる。それが失われるものであるなら、その刹那的なまでのはかなさを記録しようとすることに、他意はない。ロリコンが、「少女の美」にこだわっていたのは、「少女」という存在が孕む物の大きさ故だったのでもあるのだろう。しかし、それは少女への性犯罪という現実の犯罪と混同され、一方では「ロリコン」という言葉から「商品化された性」として消費されていく、プラグマティックエロマンガを生み出していった。こうした「ロリコン」の一般化、混乱などが、後に問題を引き起こしていったのかもしれない。

ただ、マンガ状況の中では「ロリコンマンガ」は八〇〜八三年のわずかな時期、マンガの中の「少女」にエロスを感じたり、萌えたりすることの言い訳として、ちょっと危なげでオシャレな言葉として燃え上がっただけだ。少女の美学は、ナバコフキャロルラスキンといった作家と関係付けて語られ、ペダンティックに取り扱われもしたし、古今東西の文化芸術も漁られた。それは「JUNE」「耽美」が、ジュネ澁澤龍彦三島由紀夫などと共に一つの文学少女趣味として「少年愛」を語ったのに似ていた。ジュネは、より普通の少年たちによる「やおい」によって一般化したように、ロリコンマンガは、アニメ少女マンガ少年マンガなどの絵によって描かれる「エロマンガ」である「美少女コミック」へと一般化し、消えていくことになるのだ[20]

さらに米沢は吾妻ひでお人気とも重なる同人誌発のロリコンブームについて「“少女”というモチーフを少年漫画青年漫画の中で浮上させていくだけでなく、SFニューウェーブ少女漫画アニメ等と結びつかせたことで新世代にとっての心地良さ感覚をエロスとして描いていく方法論を内在させていた」と説明し、昭和30年代以後の世代のためのエロ表現として従来の三流劇画とは一線を画した「アニメ絵によるエロ漫画」が登場したと位置づけている[21]。また、こうした作品への思い入れは青年男性を中心に「二次元コンプレックス」なる現象を生み出すことにもつながっていった[19]

とりわけ宮崎駿監督『ルパン三世 カリオストロの城』を題材にしたさえぐさじゅんの『クラリスMAGAZINE』や高橋留美子の『うる星やつら』をはじめとするアニメ調や少女漫画風の男性向け同人誌がコミケで急増し[22][23][24][25]、そこから描き手の供給を得ながらロリコン漫画同人誌ブームのひとつの到達点として1981年12月に商業初の美少女コミック誌『レモンピープル』(あまとりあ社)が創刊される[26]。創刊に際しては米沢嘉博の全面協力[27]のもと、蛭児神建千之ナイフ破李拳竜孤ノ間和歩森野うさぎ猫井るととMEIMU阿乱霊火野妖子コミケ出身の同人作家が大量に起用されたほか、吾妻ひでお内山亜紀中島史雄村祖俊一あさりよしとお御茶漬海苔ちみもりを雨宮じゅんしのざき嶺新田真子牧村みき阿島俊らも執筆陣として参画した[15][28]

ここまでの経緯を阿島俊[注釈 1]は次のように総括している。

79年末[注釈 2]、たぶん『OUT』で連載されていた「病気の人のためのマンガ考現学」(米沢嘉博)で、さりげなく「シベール」のことが紹介され、「ロリコン」というキーワードがあたえられた時、同人誌は大きく変化し、コミケットでは、シベールに大きな列が出来、混乱が起きた。続く横浜で行なわれたコミケット18では、吾妻ひでおの出した「ミャアちゃん官能写真集」が一人一冊という頒布にもかかわらず1500冊を売っている。そして、この刺激を受けて、ロリコン同人誌と呼ばれる新たな波が同人誌界で生まれるのだ。その方向性は大きく分けて3つあった。一つは、少女という美学にこだわり、キャロル以来の流れにある「ロリータコンプレックス」という「少女妄想」をテーマに創作、研究などを行なう本。ロリコンという言葉をもっと単純に捉えて、女の子の出てくるエッチなマンガ、エロマンガを描く方向。そして、アニメやマンガの中に出てくる少女キャラクターを、男性の性的妄想をテコにパロディにする方向だ。

「シベール」を核にして、同人誌界にはロリコンブームが訪れることになる。アリス、変質社、キャロリータ。さらにピグマリオニズムをテーマにした「人形姫」(サーカスマッドカプセル)。アニメキャラ系では「カリオストロの城」のヒロインを扱った小冊子「クラリスマガジン」。80年から82年、サークルの数は20から30もなかったにも関わらず、女性が8割を占めていた同人誌界に、大量の男性参加者を呼び込むことになっていった。こうした「ロリコン」という方法論、キーワードによって、留美子系サークルなどのジャンルも築かれていったのだ。〔……〕

一方、創作少女マンガサークルは、JUNE系の特化が行なわれていき、ロリコンにたいする「アダルトコンプレックス」(おじさま趣味)がまのとのま[注釈 3]などを中心に提唱される一方、かわいい系少女マンガの描き手を中心に「ショタコン」という言葉が作られることになる。これらは明らかに「ロリコン」への女性たちの対抗文化であった。〔……〕

こうした中、初の商業誌としてのロリコンマンガ誌『レモンピープル』が創刊されることになるのである。 — 阿島俊『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史』久保書店 2004年9月 p.22「序章/マンガ同人誌の歴史 〜1981」より一部省略して引用

『漫画ブリッコ』とその周辺編集

まんが批評集団迷宮」と関わりのあった村上知彦[30]は、1982年3月発刊の『マンガ宝島』(JICC出版局月刊宝島』臨時増刊号/高取英編)に「ニューコミック派宣言」という記事を寄稿した。この記事の中で村上は1970年代後半に「迷宮」とコミケットを中心に勃興した「ニューウェーブ運動」が、少女漫画三流劇画アニメ同人誌などの要素を混然一体と巻き込みながらロリコン漫画(=ポスト・ニューウェーブ・コミック)に移行したと指摘しつつも、結局はその流れが少年誌ラブコメディ[31]の売り上げに奉仕させられているに過ぎないという現状と憂慮を記していた[32]

そうした状況のなか、ふゅーじょんぷろだくと編集部によるアンソロジー『ロリコン白書─ロリコン同人誌ベスト集成』が1982年7月に白夜書房から発売される。内容は同人誌紹介や少女写真、ルポルタージュ青山正明蛭児神建らの過去発表済みの原稿など、雑多な記事を寄せ集めたものだったが、ロリコンブームの後押しもあって同書は中ヒットを記録した[33]。これを契機として1982年9月[注釈 4]藤脇邦夫の企画[33]三流劇画誌漫画ブリッコ』(セルフ出版白夜書房)が創刊される。

ほどなく同誌は先行誌『レモンピープル』の後を追って「夢見る男の子のための美少女コミック誌!」をキャッチコピーに同誌は1983年5月号から突如ロリータ路線に誌面刷新した。この過程で『漫画ブリッコ』は徳間書店契約編集者[34]であった大塚英志(オーツカ某)と『少女アリス』『Peke』『ロリコン大全集』編集人の川本耕次と関係があった元ふゅーじょんぷろだくと編集部/群雄社緒方源次郎(おぐゎた)[35]を迎えた二頭体制となる[36][37]

さらに1983年6月号[38]から中森明夫が『東京おとなクラブ[39]』の出張版[40]として「『おたく』の研究[41]」を全3回にわたり連載し、同誌は「おたく」の語源として日本のサブカルチャー史に名を残すことになった(ただし中森の連載は読者から猛反発を受けた結果、大塚の一存で打ち切りとなる)[36][37][42]。その後、売上不振で休刊が決まっていた同年11月号より表紙を三流劇画出身の谷口敬から少女漫画風のあぽ(かがみあきら)に変更し、アリス出版嘱託社員として勤務[43][44]していた藤原カムイと、当時10代であった岡崎京子桜沢エリカ白倉由美ら3人の非少女漫画ニューウェーブ女性漫画家[45][37][46][47]を雑誌の主軸とした。結果としてリニューアル号は完売し雑誌の存続が決定する[48]

なお『漫画ブリッコ』では直接的・実用的な性的描写よりも『シベール』の雰囲気を受け継いだナンセンス色の強い不条理系作品が多く、実際に計奈恵豊島ゆーさく早坂未紀森野うさぎら『シベール』出身の同人作家が執筆陣として関わっていたほか[49]洋森しのぶ中田雅喜寄生虫早坂みけあびゅうきょいくたまき水縞とおる西秋ぐりんちみもりをねぐら☆なお外園昌也五藤加純中森愛悶悶後藤寿庵竹熊健太郎飯田耕一郎ら「一人一派」とも言えるほどの個性的なニューウェーヴ作家が多数起用されていた[42]。言い換えれば、ここに「迷宮」関係者の米沢嘉博川本耕次が主導した三流劇画ブーム[30][50]ニューウェーブ運動[51][52]ロリコン漫画革命[53]へと連なる表現運動としてのエロ漫画史の流れが確立したといえる(この潮流は「祭りの時間は終わった」という大塚英志終了宣言により雑誌を「自殺」させた1985年前後まで続いた)[54]

ちなみに大塚が『漫画ブリッコ』で唱導した「美少女コミック」とは、成人向け漫画というより「男性も読める少女漫画的なもの」[55][56]ないし「ちょっとエッチで可愛い女の子が出てくる青少年向けのマニア雑誌」[57]という位置づけが強く、作り手も18歳以下の未成年を読者に想定していた節があったため、必ずしもエロ要素は必要条件ではなく「美少女さえ出ていれば何をしてもいい」という非常に自由で実験的な漫画ジャンルだったとされている(同誌の顛末については大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』などに詳しい)[57]

以後、1980年代前半から1990年代初頭にかけて

といった模倣誌・亜流誌・類似誌・競合誌が猛烈な勢いで産み出され、このムーブメントはロリータ総合情報誌『ヘイ!バディー』(白夜書房)や川本耕次監修『ロリコンHOUSE』(三和出版)の誌面にも大いに反映された。たとえば前者では蛭児神建が連載に起用[59]されたほか、ねぐら☆なおが商業誌デビューを果たしている[60]。また後者では川猫めぐみが挿絵を担当したほか、あらきあきらが商業誌デビューを果たした。

また、この流れを受けて1980年頃から三流劇画誌ロリコン劇画に舵を切り[61]、とくに三大エロ劇画誌のひとつ『漫画エロジェニカ』(海潮社)は中島史雄村祖俊一ダーティ松本谷口敬らを起用するなど、いち早く美少女路線に移行する[62]。これを口火として『漫画大快楽』(檸檬社)も内山亜紀谷口敬村祖俊一火野妖子五藤加純牧村みき小鈴ひろみ西江ひろあきを起用し[注釈 5]亀和田武米沢嘉博が編集長を務めた自販機専門の三流劇画誌劇画アリス』(アリス出版迷宮)も吾妻ひでおの『不条理日記』『るなてっく』を連載する。以降、三流劇画における女性キャラの低年齢化が進み『漫画エロス』(司書房)では丸尾末広の残酷劇画『少女椿』(青林工藝舎)が連載され、美少女に特化した『漫画エロリータ』『漫画聖少女』『漫画ロリータ』『劇画ロリコン』『劇画ジッパー』『コミックひろこ』といったロリコン劇画誌すら出現するようになる[12][63][64]

これらのロリコン漫画誌・劇画誌は比較的短命に終わる状況が続いたが、現在では老舗エロ漫画誌の『COMICペンギンクラブ』『コミックMate』『COMIC快楽天』『コミックマショウ』『COMIC LO』『コミックホットミルク[58]などがロリコン漫画〜美少女コミックの血脈を引き継いでいる。

他ジャンルとの関連編集

アニメ界では1977年放送の『女王陛下のプティアンジェ[65][66]、1982年放送の『魔法のプリンセス ミンキーモモ[65]、1983年放送開始のぴえろ魔法少女シリーズ魔法の天使クリィミーマミ[67]を皮切りに「大きいお友達」と呼ばれる視聴層が女児向けアニメに流入するようになり[68]、1984年夏には中島史雄原作のアダルトアニメ仔猫ちゃんのいる店』がワンダーキッズから発売され、続いてフェアリーダストから美少女アニメの金字塔『くりぃむレモン パート1 媚・妹・Baby』(パート3『SF・超次元伝説ラル』およびパート10『STAR TRAP』には『シベール』出身の計奈恵孤ノ間和歩原作キャラクターデザイン作画監督などでアニメーション制作に参加している)[69]がリリースされるなど、漫画アニメ雑誌同人誌ゲームSF大会三流劇画官能小説ラブコメOVAロリータビデオロリコンショップ少女ヌード写真集にまたがる複合的な流れが「ロリコンブーム」として形成されていく[22]

この流れは美少女ゲーム業界にも波及し、PSKからは吾妻ひでお風の絵柄[70]を採用したアダルトゲームロリータ(野球拳)』(1982年12月)や『不思議の国のアリス』をモチーフにしたアドベンチャーゲームALICE』(1984年7月)がリリースされ[71]、同時期にはエニックス(現・スクウェア・エニックス)からも『マリちゃん危機一髪』(1983年2月発売。ダイナミックプロ槙村ただしが原画担当)や猟奇作品『ロリータ・シンドローム』(1983年10月発売。学習漫画で知られる望月かつみが制作[72]。1985年3月に光栄から発売された続編『マイ・ロリータ』は前作を上回る過激さ[71]からエニックスに販売拒否される)といった話題作・問題作もリリースされ、いずれも好セールスを記録した。

ちなみにロリコン漫画における「美少女ロリータ」というイメージは、漫画アニメの受容年齢層の上限が拡大したことで現れた「漫画・アニメ調のかわいい絵柄でセクシャルな漫画が読みたい」という「劇画に対して劣勢であった手塚系漫画絵の復権運動におけるアイコン」として祭り上げられたものに過ぎず、別にロリコン縛りである必然性もなかったが、当時の出版業界写真業界ではロリコンブームの実質的な火付け役となった山木隆夫撮影『Little Pretenders 小さなおすまし屋さんたち』(ミリオン出版/1979年1月)や石川洋司撮影『les Petite Fees ヨーロッパの小さな妖精たち』(世文社/同年11月)といった少女ヌード写真集[注釈 6]が大流行しており[73][74][75]、版元にとってもセールスしやすいネーミングとして現在の「萌え」に相当する言葉の不在から「ロリコン」という呼称が美少女作品全体を集約・包括するキャッチコピーとして便宜的に用いられたとみられている[76][77]。また志水一夫は「ロリコン」という言葉がアニメ雑誌で初めてクローズアップされた米沢嘉博記事「病気の人のためのマンガ考現学・第1回/ロリータ・コンプレックス」(みのり書房月刊OUT』1980年12月号掲載)で意味が曖昧なまま「ロリコン」という言葉だけが世に広まった結果、本来「ロリータ・コンプレックス」とは異なる対象までも「ロリコン」と呼ばれるような状況が生み出されてしまったと指摘していた[78]

ロリコン漫画から美少女コミックへ編集

漫画評論家永山薫は、ロリコン漫画の隆盛と三流劇画の敗北について、その形成要因と歴史的な意義について次のように語っている。

最初は全部ロリコン漫画だった。

ロリコン漫画を語る上で、まず二〇〇五年に『失踪日記』(イースト・プレス)でカムバックした吾妻ひでおの名を挙げておかなければならない。吾妻が画期的だったのは、それまではつげ義春宮谷一彦といった劇画作家が得意とした不条理文学的な表現や、三流劇画の専売状態だったエロティシズムを、児童漫画の丸っこい絵で描いてしまったことだ。当時はそれだけで強烈な異化効果があり、「児童漫画のエロパロディ」として誤読することも可能だった。

欲望の細分化はすでにこの時期から進行しており、それこそ一人一派ともいえそうなほどだった。八〇年代前半の『レモンピープル』と『漫画ブリッコ』のラインナップをざっと眺めるだけでも〔……〕それぞれの作家の属性はバラバラで、初期のロリコン漫画は「美少女さえ出てくれば何をやってもロリコン」と認証されていたわけだ。エロス以上に「可愛い少女キャラ」が最優先で、エロスは主に内山村祖中島史雄らの三流劇画経験者が担当していたが、それとても具体的で露骨な性的行為描写は抑えられており、現在の目で見れば一般青年誌の方がよほどセクシャルに映るだろう。なにしろ当時はレイプやハードなセックス場面があると読者から「ひどいことをしないで下さい」という抗議が来たほどで、読者の側が求めていたのも実はセックスシーン満載のエロ漫画ではなく、可愛くてエッチな漫画だったわけだ。

そもそも初期のロリコン漫画の中核にあったのは手塚ミームの「かわいい」と「エロティシズム」であり、「セックス」は「かわいいエロティシズム」に奉仕する構成要素の一つでしかなかったのだ。

セックス志向であれば三流劇画を読めばいい。しかし、三流劇画は結果的にポスト団塊/ポスト全共闘世代のスタンダードにはなれなかった。端的にいえば、劇画漫画じゃなかったからだ。アニメ絵っぽくなかったからだ。可愛くなかったからだ。

後にオタクと呼ばれることになる六〇年代生まれの世代は劇画のエロティシズムに官能するような「大人」にはならなかった。セックスそのものではない、セックスの周辺にもやもやと甘く切なく愛らしく漂うなにものかを求めていた。

エロ漫画におけるネオテニー(幼形成熟)と呼んでもいい。手塚漫画やアニメ絵の、つまり「幼児形態」を保ちつつ、性的刺激をもたらすこと。倒錯した表現になるが、初期ロリコン漫画の登場こそが、真の意味で「大人が漫画を読む時代」を確定したともいえるだろう[79]

しかし、その一方でロリコン漫画から派生した美少女コミックが80年代後半以降、急速に大衆化・商業化・肥大化して行く過程で森山塔などセックスに特化した次世代のエロ漫画が人気を博すようになり[80][81]、美少女漫画の始祖的存在であった吾妻ひでおは読者からのプレッシャー[82][83][84]に耐えきれず、二度の失踪事件や自殺未遂を私生活で起こすなど初期のロリコン漫画を支えた先駆的作家の多くは世代交代の波に揉まれるなどして消えていくことを余儀なくされた。

ロリコン漫画界では最古参の谷口敬も「まあ、これで谷口敬の役目は終わったのでありましょう。もはや初期のロリコン漫画の実験的な雰囲気は薄れ、マイナーなものがメジャーへと躍り出るとき、どうしても数の多い方へと移行せざるを得ないのは自然なことであります。『ロリコン漫画』がエロ主体の『美少女コミック』に変質していった、そんな時代でありました…」と行き場を失った当時の状況を述懐している[85]

美少女コミックとは、1980年代にロリコン漫画から派生した漫画のジャンル。美少女コミック研究家の稀見理都は「時代と共に変化する不定系の言葉」と前置きをしたうえで「美少女キャラクターをストーリーの中心に据え、彼女たちの美しさ、愛らしさ、健気さ、たくましさ、などの活躍を描くマンガの総称」と定義している[86]。ちなみに「美少女コミック」という名称の名付け親は吾妻ひでおとされ、日本初の美少女コミック誌『レモンピープル』(あまとりあ社)1982年6月号から用いられるようになった。なお同誌は創刊当初「ロリコン・コミック」を自称していたが、この名称が気に入らなかった吾妻が「美少女コミック」と言う名称を提案し、採用されたと言われている[57]

大塚英志は「吾妻ひでおが忘れられた理由」について1992年太田出版から刊行された『夜の魚』の解説で以下のように述べている[87]

吾妻ひでおは私たちが置き去りにしてきた作家である。いや、置き去りにされることの[注釈 7]望んだのは吾妻ひでおのほうかもしれない。どちらにせよ私たちは吾妻ひでおを忘れることで八〇年代のあの狂おしくもばかばかしい狂騒を生きていたことだけは確かだ。誰もが気づいていたことだが、ただ一人、吾妻ひでおだけが八〇年代の不毛と不可能性をあらかじめ体現し、そして黙って時代から降りていったのである。〔……〕もっと器用に気軽に全てやりすごしていいはずなのに吾妻ひでおは行き詰まり、私たちはそんな彼から目をそむけ、そして忘れた。〔……〕多くの人々がそうであったようにこの種の流行にさりげなく身をゆだねれば吾妻は八〇年代をそれなりの「カルト作家」として生きられたはずである。しかし吾妻が不幸だったのはこれらの不毛な諸現象が自分の中のどこから立ちあらわれるのかを彼が知っていた点にある。ただ不毛と気軽に戯れることに終始した時代にあって、その不毛の出自を知っている作家はやはり忘れなれなくて[注釈 8]ならなかったのである。
本書の表題となった『夜の魚』は吾妻が見てしまい私たちが顔をそむけたものをめぐって描かれている。そして吾妻しかそれを描き得なかった以上、そんなことは免罪符にならないが、八〇年代の不毛と未だ[注釈 9]地続きのこの時代に編集者であり続けるぼくは自分で始めて[注釈 10]持つレーベルの最初の配本として『夜の魚』を流通させる。 — 大塚英志「吾妻ひでおを再び「流通」させる理由」より抜粋

やがて『シベール』が蒔いたロリコン漫画の種はアニメ調の明るくポップな絵柄で描かれる実用的な「美少女コミック」へと一般化する過程で拡散・消滅し[63][80][81]、コミケにおける男性向け同人誌の主流ジャンルなども「ロリータ」の範疇から大きく外れた「美少女もの」や「アニパロ」などになっていく[88][89][90][91]明治大学准教授森川嘉一郎によれば『シベール』を起点とするこの潮流と併行してコミケの規模拡大とともに、それまで継続的に展開されていたエロパロ系の同人誌から美少女コミック誌やエロゲーメーカーへの描き手の供給が拡大していき、次第に一般誌のみならず秋葉原の屋外広告物といった街の景観レベルで美少女(萌え)キャラが露出・展開されるようになっていったという[92]

永山薫はロリコン漫画ブームの顛末について、のちに人口に膾炙して大衆化する「おたく文化」「萌え文化」の前哨戦として位置づけている[93]

学園祭でテーマをでっち上げて、盛り上がるのと似た構造だが、違うのは「ロリコン祭」を支え、展開した初期オタクたちの背後には、巨大なマーケットとなるオタク世代が控えていたことだ。オタク世代が大学生となり、あるいは社会人となって可処分所得が増加するのと並行してマーケットは倍々ゲームで膨らんでいく。文字通り「終わりなき学園祭」の時代が始まったのだ[94]
ロリコン漫画は起爆剤として有効だったが、ありがたいことに偏狭なロリコン原理主義はほとんど存在しなかった。元々、「ロリコン」は「お祭りのテーマ」にすぎなかったからだ。祭りが終われば、神輿は倉庫に収納される。ロリコン漫画ブームはたかだか二年も続かずに下火になってしまう。とはいえ、ロリコンは充分に役目を果たした。漫画読者の注目を集め、新しいエロ漫画の可能性をプレゼンテーションすることができた。

雑誌が増え、作者が増え、読者が増えれば、ありとあらゆるものが拡大していく。

元々ペドファイルでもなんでもなかった読者の九九・九%は、あっさりと次の波に乗る。〔……〕エロ漫画の歴史ということを考える上で、重要なのは「一度生まれたモード、スタイル、テーマ、モチーフ、趣味趣向、傾向は盛衰があっても決してなくならない」ということだ。どんなに時代が進んでも、相変わらずベタなロリコン漫画は存在するし、明朗な巨乳ラブコメもなくならない。年を追うごとに、エロ漫画は多様化し、細分化し、幅と奥行きが拡がり、交雑し、越境し、浸透し、拡散することを繰り返すことによって豊穣な土壌を形作っていく[95]

関連雑誌編集

1978年編集

『愛栗鼠』
蛭児神建(当時20歳)がC10(1978年冬のコミケ)で頒布した日本初のロリコン同人誌。1978年12月創刊号ピピの号のみ。蛭児神の個人サークルであるアリスマニア集団・キャロルハウス出版部が発行した。数十部程度のコピー誌(蛭児神すら現物を所持していない)かつ性的要素の乏しい文芸誌[96]のためか『シベール』ほど大きな話題にならなかった[97]手塚治虫海のトリトン』のピピをはじめ松本零士原作のテレビアニメ宇宙海賊キャプテンハーロック』に登場するまゆなど複数の幼女キャラが取り上げられている。表紙のカラー部分は手塗り。1978年12月17日発行。44頁。

1979年編集

『ロリータ』
『愛栗鼠』臨時増刊号として蛭児神建がC11(1979年春のコミケ)で頒布した「不健全ロリコン文芸誌」[98][8][99]。同年7月の2号で休刊。『シベール』と協力関係を結び、吾妻ひでお[100]沖由佳雄[101]孤ノ間和歩[102]が原稿やイラストを寄稿している。志水一夫は「読物あり漫画ありキャラ・ヌードありの、正に現在のほぼすべてのロリコン誌の先駆」と評している[103]アリスマニア集団・キャロルハウス出版部発行。
『少女アリス』
アリス出版が1979年6月頃から1981年6月まで刊行していた自販機本[9]。創刊編集長はアリス出版初代社長の小向一実。2代目編集長はロリコンブームの仕掛人である川本耕次。通巻25号で終刊[9]。ロリコンをテーマにした雑誌の第1号で「少女の恥部とかわいらしさを求めるアリスの少女愛好家のため」の雑誌を標榜し[104]、最盛期の1980年8月には自販機雑誌としては破格の5万部を売り上げた[9]。本誌は1982年にロリータ誌に転向した白夜書房発行の『ヘイ!バディー』に先駆けて刊行されていた美少女総合月刊誌であるが、メインであるヌードグラビアのモデルは全て18才以上であり、本物の少女ヌードは一切取り扱っていない所謂「疑似ロリータ誌」であった[10]。しかしながら「当時、娘の制服を借りて来たのか、と張り倒したくなるようなババアセーラー服姿でニカッと笑っているのが普通でさえあった自販機本業界にあって、おそらく本物の十代の少女が登場する数少ない総合グラフ誌」(斉田石也談)でもあったという[105]
『AMA』
1979年12月創刊。81年7月の第4号で終刊[106]。東京アニメニア・アーミー発行。『機動戦士ガンダム』の成人向け同人誌[65]。男性向けアニパロ誌の嚆矢として知られる。

1980年編集

『ロータリー』
1980年7月創刊[106]。1989年夏コミ時点で27号[107]。ロータリークラブ発行。あるデザイン学校の学生が『シベール』を見て自分たちも同様の同人誌の発行を志す[108]。1981年夏のコミケにおけるロリコンファンジンの大量出現の契機を作る。
『クラリス狂専誌 クラリスMAGAZINE』
1980年8月創刊。同年12月の2号で休刊[109]。A・W・S・C内クラリスマガジン編集室発行。さえぐさじゅんによる『ルパン三世 カリオストロの城』の非エロ同人誌[97][110]。ロリコンファンジンの中核としてコミケで人気を博すが、増刷時の未発送トラブル(サークル関係者ではなく再販時の関係者の不祥事)で再販予約を募った『アニメック』誌を巻き込んだ「同人誌史上最大の詐欺事件」と呼ばれる「クラリスマガジン事件」を引き起こした[111]
『幼女嗜好』
1980年9月創刊の過激派ロリコン文芸誌。変質社(蛭児神建)発行。4号で終刊。主に幼女姦を主題にした猟奇的な官能小説やイラスト・漫画で構成された。表紙の幼女は『機動戦士ガンダム』に登場するキッカ・キタモト。また『ロリコン大全集』(群雄社出版・1982年)には出張版も掲載されている。ちなみに1981年冬のC19で頒布された『SMロリータ』は蛭児神が「落ちる所まで落ちてやる」つもりで作った臨時増刊号[112]
『人形姫』
1980年12月創刊。サーカスマッドカプセル(千之ナイフ破李拳竜が中心のサークル)発行。少女サイボーグやピグマリオンコンプレックスを主題とした同人誌[108]。のちに『レモンピープル』の主力作家陣として同誌黎明期を支えた[113][114]
『のんき』
1980年12月創刊。鬼畜系リョナの元祖的存在である洋森しのぶ(現・みやすのんき)主宰。おとぼけ企画のんき編集室発行。アニメキャラのヌードを主題にした同人誌で創刊号は『機動戦士ガンダム』のギャルズ特集、2号はセイラ・マス特集、3・4号はロリコン特集となっている。1982年12月までに5号を刊行。当時としては過激な内容から印刷所が自主回収したとされる[13]

1981年編集

『赤本』
やおいサークル「FOX」代表が黒本『シベール』に対抗して1981年春頃に発行した男性向け同人誌[115]。主な素材は当時一部の女性に人気があったテレビアニメ超電磁マシーン ボルテスV』『闘将ダイモス』『J9シリーズ』など。計奈恵によれば「最初に見た女性作家の男性向け同人誌」だったと述懐している[116]。なお『赤本』完成直後『シベール』の終刊を知った製作者の女性は「黒本が話題なので男性向けに挑戦しようと『噂の赤本』を創ったのに、シベが解散しちゃうんだもんなぁ」と苦笑したという[115][117]
『ヴィーナス』
1981年5月創刊、同年11月の第3号で終刊[106]。ムーンライン製作室発行。「アニメ女性キャラクター・ヌード専門誌」を名乗る[109]。1981年夏のコミケにおけるロリコンファンジンの大量出現の契機を作るが、当時としては過激な内容から印刷所が自主回収したとされる[13]
『プティアンジェ専門誌 アンジェ』
1981年冬のコミケで蛭児神建が創刊した『女王陛下のプティアンジェ』のアニパロ同人誌。蛭児神の人脈が総動員されており、吾妻ひでお沖由佳雄三鷹公一破李拳竜孤ノ間和歩など元シベール編集部やサーカスマッドカプセルなどの人気サークルが大集結した。全104頁。

その他編集

『PETITパンドラ』
蛭児神建編集のモンド系ロリコン漫画雑誌(雑誌コードが取られていないため正確にはムック本)。1984年から1987年まで全12冊を刊行した。一水社発行。キャッチコピーは「どうせ亜流誌 みんなでレミング」。著名な愛読者に『美少女戦士セーラームーン』原作者の武内直子がいる[118]。主な執筆陣は新田真子沖由佳雄万寺タツヤ雨宮じゅん森山塔帯ひろ志やまぐちみゆき

参考文献編集

単行本・ムック編集

  • 米沢嘉博戦後エロマンガ史』青林工藝舎、2010年4月22日。 (担当者:浅川満寛
  • 永山薫 『増補 エロマンガ・スタディーズ「快楽装置」としての漫画入門』筑摩書房〈ちくま文庫〉、2014年4月10日。 
  • 蛭児神建責任編集・監修『ロリコン大全集』編集発行:群雄社出版株式会社/発売:都市と生活社 1982年5月31日[注釈 11]
  • 高桑常寿ふゅーじょんぷろだくと編『ロリコン白書―ロリコン同人誌ベスト集成』編集発行:エンドレス企画/発売:白夜書房 1982年7月[注釈 12]
  • 別冊宝島104『おたくの本』JICC出版局 1989年12月
    • 土本亜理子「ロリコン、二次コン、人形愛―架空の美少女に託された共同幻想」『別冊宝島』第104巻、JICC出版局、 102 - 115頁。
  • 吾妻ひでお夜の魚太田出版(太田COMICS 芸術漫画叢書)1992年9月(担当者:大塚英志[123][注釈 13]
  • 辰巳出版『同人漫画大百科』1992年10月
    • 米沢嘉博、森野うさぎ「同人漫画家インタビュー 森野うさぎ」『同人漫画大百科』、 114 - 117頁。
    • 米沢嘉博「同人誌の歴史」『同人漫画大百科』、 122 - 127頁。
  • KKベストセラーズ『ベストの本3 SEXYコミック大全―マンガで「抜く」時代がやってきた!』1998年8月
    • 米沢嘉博「略史・エロとマンガの密やかな関係」『ベストの本』第3巻、 22 - 27頁。
  • 大塚英志ササキバラ・ゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社講談社現代新書〉2001年5月
  • 東浩紀編著『網状言論F改―ポストモダン・オタク・セクシュアリティ』青土社 2003年1月
    • 竹熊健太郎「オタク第一世代の自己分析―あくまで個人的立場から」
  • ササキバラ・ゴウ『〈美少女〉の現代史―「萌え」とキャラクター』講談社〈講談社現代新書〉2004年5月
  • 吉田正高『二次元美少女論―オタクの女神創造史』二見書房 2004年9月
  • 『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史』久保書店、2004年9月。 
  • コミックマーケット準備会コミックマーケット30’sファイル青林工藝舎 2005年7月
  • 蛭児神建(元)『出家日記―ある「おたく」の生涯』角川書店 2005年11月
  • ヨコタ村上孝之 『マンガは欲望する』筑摩書房東京、2006年7月15日。ISBN 978-4480873514 
  • 吾妻ひでお『逃亡日記』日本文芸社 2007年1月
  • 難波功士『族の系譜学―ユース・サブカルチャーズの戦後史』青弓社 2007年6月
  • 家族機能研究所『アディクションと家族 第25巻2号―日本嗜癖行動学会誌』2008年8月 pp.107-112[注釈 14]
  • 霜月たかなか『コミックマーケット創世記』朝日新聞出版朝日新書〉2008年12月/Kindle版 2013年6月
  • 吉本たいまつ 『おたくの起源』NTT出版東京、2009年2月9日。ISBN 978-4-75714-209-1 
  • 高月靖 『ロリコン―日本の少女嗜好者たちとその世界』バジリコ東京、2009年10月7日。ISBN 978-4-86238-151-4  
  • KAWADE夢ムック文藝別冊[総特集]吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』河出書房新社 2011年4月30日
    • 吾妻ひでお「吾妻ひでお 2万5千字 ロングインタビュー 現代日本的美意識「かわいいエロ」の創造者」『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお』、 10 - 44頁。
    • 吾妻ひでお、山本直樹「リスペクト対談:吾妻ひでお×山本直樹」『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお』、 138 - 154頁。
    • 森川嘉一郎「吾妻ひでおはいかにして「おたく文化の祖」になったか」『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお』、 179 - 186頁。[注釈 15]
    • 大塚英志「吾妻ひでおを再び「流通」させる理由」『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお』、 192 - 195頁。
  • 川本耕次 『ポルノ雑誌の昭和史』筑摩書房〈ちくま新書〉、2011年10月。 
  • おおこしたかのぶ『美少女マンガ創世記 ぼくたちの80年代』徳間書店 2014年9月
    • 「Column*02 新世代によるエロ漫画の躍進」。
  • 藤脇邦夫 『出版アナザーサイド ある始まりの終わり 1982-2015』本の雑誌社東京、2015年12月30日。ISBN 978-4-86011-280-6 
  • 竹内オサム西原麻里編著『世界文化シリーズ別巻2 マンガ文化55のキーワード』ミネルヴァ書房 2016年2月
  • 大塚英志 『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』星海社〈星海社新書〉、2016年3月24日。 (装画:早坂未紀
  • 大塚英志『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』星海社新書 2016年4月(装画:吾妻ひでお
  • 稀見理都『エロマンガノゲンバ』三才ブックス 2016年12月
  • 北田暁大解体研『社会にとって趣味とは何か 文化社会学の方法規準』河出書房新社河出ブックス〉2017年3月
  • 宮本直毅『エロゲー文化研究概論 増補改訂版』総合科学出版 2017年5月
  • 稀見理都「補遺2『美少女コミック』と『エロマンガ』の違い」『エロマンガ表現史』、太田出版、2017年11月、 360 - 362頁。

雑誌編集

  • みのり書房月刊OUT』1978年8月号「吾妻ひでおのメロウな世界」(担当者:川本耕次米沢嘉博[125]
  • みのり書房『月刊OUT』1980年12月号
    • 米沢嘉博「病気の人のためのマンガ考現学・第1回/ロリータコンプレックス」
  • ラポートアニメック』17号(1981年4月)特集「“ろ”はロリータの“ろ”」[126]
  • ラポート『ふゅーじょんぷろだくと』1981年10月号「特集/ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」
    • 吾妻ひでお谷口敬野口正之蛭児神建早坂未紀川本耕次「ロリコン座談会──ロリコンの道は深くて険しいのだ」
    • 原丸太「ロリコンファンジンとは何か──その過去・現在・未来 ロリコン同人誌界分布図の試み」
    • 原丸太「シベールとは何だったのか──もはや手に入れようとしてもままならぬ幻の『シベール』。無念の思いをかみしめているファンも多い筈。だがその中味となると意外と知られてない。」
  • 月刊『宝島』臨時増刊号『マンガ宝島』JICC出版局 1982年3月
    • 北崎正人「三流劇画ムーブメント・エロ劇画ルネッサンスが残したもの」
    • 村上知彦「ニューコミック派宣言 “ニューウェーブ”から“ロリコン”“中道定着路線”、そして“ニューコミック”へ」
  • 小学館GORO』1982年3月11日号「成熟した女を愛せないロリコン・ボーイの世界からキミは本当に脱出しているか」
  • アニメージュ増刊『アップル・パイ 美少女まんが大全集徳間書店 1982年3月
  • 原丸太「ロリコン同人誌レビュー 幻の『シベール』伝説にはじまるロリコン同人誌の覚醒期を経て今日のブーム到来までをロリコン雑誌研究家・原丸太がドキュメント」。
  • みのり書房『月刊OUT』1982年4月号
    • 米沢嘉博「ロリコンブームに物もうす」
  • 徳間書店『アニメージュ』1982年5月号
    • アニメージュ編集部「ここまで来た『ロリコン』ブーム。その最前線を追う!」
  • 潮出版社』1982年9月号
  • サンデー社『Mr.Dandy』1982年11月号(No.129)
    • 目方海里「ロリコンマンガ・ブームの裏に潜む現代社会の抑圧された性」
  • 創出版』1982年12月号
    • 高取英「若者を覆う“ロリコンブーム”の仕掛人」『創』1982年12月号、創出版、 140 - 147頁。
  • 朝日新聞社朝日ジャーナル』1984年5月14日号
    • 米沢嘉博「『美少女』たちを主人公にしたロリコンブームは、いま同人マンガ誌の世界で大盛況だ。『レモンピープル』を筆頭に同人誌的な季・月刊誌、単行本が、かつての『ガロ』『COM』のような勢いなのだ」
  • ふゅーじょんぷろだくとCOMIC BOX Jr.』1984年12月号「特集/ロリータ・シンドローム
    • 石清水了ほか「床下放談:それからのロリコン それからのファンジン」
  • 日本出版社レモンクラブ』1990年12月号〜1991年7月号
    • 池本浩一「なつかしの業界ケンカ史─大魔神・蛭児神建の怒り」
  • 日本出版社『レモンクラブ』1991年8月号〜1991年12月号
    • 池本浩一「なつかしの業界ケンカ史─ブリッコ盛衰記」
  • 宝島30編集部+東京公司宝島30』1994年9月号、宝島社、1994年9月8日。
    • 青山正明志水一夫、斉田石也「受験と女権とロリータ文化」『宝島30』1994年9月号、 138 - 145頁。
    • 青山正明「ロリータをめぐる冒険」『宝島30』1994年9月号、 164 - 168頁。
  • パルコ出版『流行観測アクロス』1996年9月号
  • 大塚英志「ぼくと宮崎勤の'80年代 第10回 マッチョなものの行方」『諸君!』1998年7月号、文藝春秋、 234 - 239頁。
  • 大塚英志、吾妻ひでお「吾妻ひでおインタビュー 今度出て行くときは『出て行きます!』って言ってからにします──無頼派の作家が書いた小説、放浪の詩人が編んだ詩集、破滅派のまんが家が描いたまんがそのものを、本当に生きてしまった人、吾妻ひでお。本人が語る、誰のものでもない人生。」『Comic新現実』第3巻、角川書店、2005年2月、 10 - 22頁。
  • 大塚英志「吾妻ひでおのいる場所」『Comic新現実』第3巻、角川書店、2005年2月、 96 - 97頁。
  • 大塚英志「特集・真説おたくの精神史―解題」『Comic新現実』第4巻、角川書店、2005年4月、 76 - 77頁。

論文編集

同人誌編集

  • 無気力プロ内シベール編集部『シベール』Vol.1-7(1979年4月 - 1981年4月)
  • 漫画の手帖事務局『漫画の手帖』3号(1981年2月)
  • 漫画の手帖事務局『漫画の手帖』4号(1981年6月)※『シベール』廃刊を伝える小記事が14頁に掲載
  • 望月智充編『別冊アニコム 少女愛好家のために』早稲田大学アニメーション同好会 1981年10月
    • 小俣誠+佐野邦彦「こうして私は同人誌した──吾妻ひでお・高橋葉介・高橋留美子・同人誌作品カタログ」
  • 米澤英子ほか『米澤嘉博に花束を』虎馬書房 2007年8月
  • Up-Beat Underground『懐かしの同人誌:郷愁同人誌専門マガジン』VOLUME.1(70年代〜1985 収集記録)2008年5月
  • 漫画の手帖事務局『漫画の手帖』79号(2020年4月)
  • 降間『ロリコンブームの後を追って』暗黒拠点月 2020年8月初版 / 2021年6月増補改訂[注釈 17]

WEBサイト編集

関連項目編集

外部リンク編集

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 阿島俊は米沢嘉博の別名義[29]
  2. ^ 引用者注:実際には1980年12月号に掲載された。
  3. ^ 引用者注:桜玉吉の実姉・真野匡共有筆名
  4. ^ 漫画ブリッコ』創刊号の発行日は名目上「昭和57年(1982年)11月1日」となっているが、大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』(星海社新書 2016年3月 53頁)には「八二年九月に創刊」とある。
  5. ^ 五藤加純檸檬社発行の官能劇画誌漫画大快楽』に連作『移動性高気圧』を連載予定だったが、その直前に同社が倒産したため白夜書房発行の美少女まんが誌『漫画ブリッコ』に移籍連載した。ちなみに双子の弟の中森愛は当時檸檬社の編集者で失業後は東京三世社の『漫画エロチスト』に持ち込み1983年3月号掲載「夜の訪問者」で漫画家デビューした。その後、中森も五藤の後を追って兄弟ともに大塚英志の美少女コミック誌『漫画ブリッコ』(白夜書房)で再デビューする。中森愛五藤加純『二人でロリコメばかり描いていた』ネコ通信社 2019年12月31日発行 pp.38-43「対談:中森愛VS五藤加純 兄弟対決 二人でロリコメばかり描いていた―デビューから漫画ブリッコまで」
  6. ^ ほとんどの読者は当時ヘア規制されていた成人女性の性器の代替品として少女のワレメ(子供の性器はまだ性器になってない「ただの排泄器官」と当時はみなされていた)目当てに少女ヌード写真集を消費していたといわれている。
  7. ^ 「置き去りにされることの」はママ。「置き去りにされることを」の誤植と思われる。
  8. ^ 「忘れなれなくて」はママ
  9. ^ 「未だ」は引用元では「末だ」。
  10. ^ 「始めて」はママ
  11. ^ 吾妻ひでお内山亜紀米沢嘉博蛭児神建高取英谷口敬杉浦日向子さべあのま早坂未紀青山正明近藤昌良孤ノ間和歩千之ナイフ赤井孝美女子高生など多彩な人材が集ったロリコンブームの集大成本。初版2万3千部は完売し、1982年末までに4万部を発行した[119]。本書は蛭児神建が責任編集・監修という名目だが、実質的には群雄社川本耕次緒方源次郎(小形克宏)によって編集された[35][120][121]。主に少女写真やコミックのほか、ロリコン用語の基礎知識(米沢嘉博)、女子高生座談会少女愛社会学考現学を多角的に分析した評論などが掲載されている。付録にロリーポップ着せ替え人形、ろりろりシール、ロリコンカセットレーベル、蛭児神の同人誌『幼女嗜好』出張版付き。吾妻が寄稿した『仁義なき黒い太陽 ロリコン篇』は美少女が一切登場せず[122]、1982年当時のロリコン漫画界の諸相を任侠映画風のパスティーシュという形で描き出した作品である(河出書房新社刊『ポスト非リア充時代のための吾妻ひでお』に再録)[35]
  12. ^ ふゅーじょんぷろだくと編集部「パワーの時代」(協力:志水一夫
  13. ^ 吾妻ひでおの私小説的作品集。伝説的自販機本『少女アリス』や『マンガ奇想天外』掲載作品を収録。あとがき漫画『夜を歩く』(後に『失踪日記』の「夜の1」となる)は本書のための描き下ろし大塚英志に『夜を歩く』の原稿を宅配便で送ったその足で再び失踪した)[124]。巻末解説は大塚英志、いしかわじゅん飯田耕一郎。本書出版当時の顛末については『Comic新現実』Vol.3で大塚が2005年に行った吾妻ひでおインタビューを参照されたい[82]
  14. ^ 斎藤環「メディアとペドフィリア―ロリコン文化はいかに消費されたか―」(後に『博士の奇妙な成熟 サブカルチャーと社会精神病理』に再録)
  15. ^ 本稿に引用された証言は、明治大学博物館における『吾妻ひでお美少女実験室』展(2011年4月23日〜5月23日)に向けた調査のために、明治大学准教授森川嘉一郎が行ったインタビューに基づく。吾妻ひでおは2011年2月15日(同誌巻頭インタビューと併行して実施)、蛭児神建(元)は同年2月25日、沖由佳雄は同年3月8日にそれぞれインタビューが行われた。
  16. ^ 専修大学講師で文化人類学者のPatrick W. Galbraith(パトリック・W・ガルブレイス)によるおたく文化論。日本におけるロリコンブームとその周辺のサブカルチャーが多角的に分析されている。
  17. ^ 『シベール』全号の各作品評ほか、当時の資料やムックを手広く引用し、1980年代初頭までのロリコンブームを概観・整理・分析した一冊。
  18. ^ 『シベール』創刊前日(1979年4月7日)に名古屋テレビ他で放送開始されたテレビアニメ沖由佳雄は「最初の号をコピーに持って行かなきゃというときに『ガンダム』の第1話が始まったのは覚えてますね」と回想している[127]。その後、折からのガンダムブームで『シベール』でもたびたび同作のパロディが登場するようになる。また同誌から派生した蛭児神建同人誌『幼女嗜好』や『シベール』臨時増刊号『アニベール』の表紙にもキッカ・キタモトヌードイラストが象徴的に描かれた。なお『ガンダム』のキャラクターデザインおよび作画監督を務めた安彦良和吾妻ひでおファンであり、文庫版『地を這う魚 ひでおの青春日記』(角川文庫・2011年)に「あとがき漫画」を寄稿しているほか、漫画雑誌月刊COMICリュウ』(徳間書店)が主催する「龍神賞」の選考委員を、第1回から第13回まで吾妻と共に務めていた経験などがある。
  19. ^ 1975年1978年[128]に始まったコミケット周辺の同人誌ブーム、三流劇画ブーム、マニア誌ブーム(マイナー漫画誌まんが情報誌アニメ雑誌三流劇画誌自販機本[129]時に活躍した既成の枠に囚われない新しいスタイルの漫画家(吾妻ひでおいしかわじゅん大友克洋高野文子ひさうちみちおいしいひさいち宮西計三高橋葉介さべあのま柴門ふみ近藤ようこ高橋留美子吉田秋生森脇真末味ますむらひろし川崎ゆきお諸星大二郎蛭子能収ら)が一躍注目された非メジャー漫画界のオルタナティヴな潮流を指す。特にそれまで大手出版社の漫画雑誌で活動していた吾妻ひでおは1978年から三流SF少年誌『Peke』(みのり書房)や自販機本劇画アリス』(アリス出版)などのマイナー誌にマニアックな不条理SF作品を次々と発表するようになり、SF専門誌『別冊奇想天外・SFマンガ大全集PART2』(奇想天外社)に発表した『不条理日記』が第10回(1979年)星雲賞コミック部門を受賞、ニューウェーブ作家としての地位を確立することになる[130]
  20. ^ 吾妻ひでおの担当編集者。三流劇画ブームロリコンブームの仕掛け人といわれる[131][132]コミックマーケットの創設母体となった「迷宮」に学生時代から出入りし、米沢嘉博青葉伊賀丸と共に三流劇画ブームを牽引する[133]。その後、大学在学中に入社したみのり書房で『月刊OUT』1978年8月号の特集「吾妻ひでおのメロウな世界」を担当し、先駆的なニューウェーブ漫画誌Peke』を創刊する。同誌では吾妻の『どーでもいんなーすぺーす』(奇想天外コミックス『パラレル狂室』ほか収録)を担当したほか[134]内山亜紀さべあのまをデビューさせ[132]、大学時代からの知人であった日野日出志を復活させる[135]。同誌廃刊後はアリス出版に移籍してロリコンブームの火付け役となった自販機本『少女アリス』の2代目編集長に就任し、同誌で吾妻に美少女漫画を初依頼して「純文学シリーズ」(1980年)を描かせた[131]。後に吾妻は『失踪日記』で「私の転機ともいえる作品を描く時に現れる幸運を運ぶ人」と川本について語っている[136]。主な著書に『ポルノ雑誌の昭和史』(ちくま新書)ほか多数。
  21. ^ 1970〜80年代に流行した軽度の性的描写を含む少年漫画青年漫画のこと(エロ劇画は含まない)。永井豪の『ハレンチ学園』を端緒とする。1970年代の代表作品に『あばしり一家』『やけっぱちのマリア』『モーレツ先生』『あらし!三匹』『ふたりと5人』『やけくそ天使』『ドッキリ仮面』『女だらけ』『スケ番あらし』『快感ぱあマント』『おじゃまユーレイくん』などがある。

出典編集

  1. ^ 永山 2014, p. 129.
  2. ^ 米沢 2010, p. 280.
  3. ^ 永山 2014, p. 129-132.
  4. ^ 米沢 2010, p. 280-288.
  5. ^ 川本耕次「1976-79年『A5判の夢』〜『シングル・ピジョン』」『20世紀エディトリアル・オデッセイ 時代を創った雑誌たち』赤田祐一ばるぼら誠文堂新光社刊 2014年4月発行 162-164頁
  6. ^ 大塚 1998, p. 237.
  7. ^ 「おたく」の精神史 2016, p. 125.
  8. ^ a b 森川 2011, p. 184.
  9. ^ a b c d 昭和レトロ・懐かしポルノ館 - B5判64ページの夢/初期ビニ本・自販機本プライベート・コレクション - 少女アリスの伝説/全25冊紹介 - ウェイバックマシン(2011年8月24日アーカイブ分)
  10. ^ a b 高月 2009, p. 56.
  11. ^ 吾妻ひでお『逃亡日記』日本文芸社 2007年 179頁
  12. ^ a b c d 原 1982, p. 117.
  13. ^ a b c 青山, 志水 & 斉田 1994, p. 141.
  14. ^ 黒沢哲也 (2013年1月). “手塚マンガあの日あの時 第26回:手塚萌えの異色作『プライムローズ』の時代!!”. 『虫ん坊』2013年1月号(手塚プロダクションWeb事業部). 2021年5月24日閲覧。
  15. ^ a b 米沢嘉博「『美少女』たちを主人公にしたロリコンブームは、いま同人マンガ誌の世界で大盛況だ。『レモンピープル』を筆頭に同人誌的な季・月刊誌、単行本が、かつての『ガロ』『COM』のような勢いなのだ」(所載:朝日新聞社朝日ジャーナル』1984年5月14日号)
  16. ^ 編/漫画ブリッコ編集部『美少女同人誌 スーパーアンソロジー』白夜書房 1984年4月 p.166(阿島俊の解説)
  17. ^ みのり書房月刊OUT』1982年3月号 p.60
  18. ^ 原丸太「ロリコンファンジンとは何か──その過去・現在・未来 ロリコン同人誌界分布図の試み」『ふゅーじょんぷろだくと』1981年10月号「特集 ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」ラポート pp.92-98
  19. ^ a b 竹内オサム西原麻里編著『世界文化シリーズ別巻2 マンガ文化55のキーワード』ミネルヴァ書房 2016年2月 pp.60-63「ロリコンマンガ──美少女ものと結びついて」(竹内オサム)
  20. ^ 米沢 2010, p. 279-280.
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  27. ^ 「これは『レモンピープル』編集長の久保(直樹)さんに聞いたんですけど、最初はどうやって作家を集めようかとなった時に、米沢(嘉博)さんに頼んだらしいんですよ。コミケでいろいろ探してきてくれて、それからは芋づる式というか、『レモンピープル』に載った作家が知り合いの作家をどんどん連れてくるという。なので、そのいわゆる同人を商業でやるという感覚で、人が集まってきて、そういう意味では久保さんは特に何も言わずに『レモンピープル』が育っていったと。それで、久保さんは元々、ロリコンとか、そういう文化をまったく分からない人なので、むしろそういう若い世代に勝手にやってもらう。その世代の方が漫画を持ってきて、載せることが逆に良いと考えて、そういう自由な誌面になっていったと。そういう風には言ってましたね。だから、計画的に練られた雑誌ではなくて、本当に時代が作った雑誌だったっていう感じのことを話してくれました」稀見理都.レモンピープル執筆者が1980年代美少女コミックシーンをゆるゆる語る会 Vol.0(2021年6月14日放送)
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  51. ^ 米沢嘉博は「既存の枠に収まらない新しい感性の描き手」を売り出すにあたり「ニューウェーブ」という言葉で無理やりパッケージ化したと打ち明けている。

    米沢:だから、ニューウェーブっていうのはパッケージの仕方だから、同人誌と少女マンガとエロ劇画と少年マンガの新しいやつを、全部まとめてこっちがパッケージしたわけだから。パッケージしないと売れない新しい感性ということでニューウェーブっていう名前を作ったわけで。だから、ワードはSFからきているんですよね。
    大西:でも、音楽のニューウェーブと同時。
    米沢:ちょうどきてたから。だから、音楽のニューウェーブよりもコミックのニューウェーブのほうが早い。言い方としては。だから、それはもともと70年代頭にあったSFではやったバラードとかニューウェーブという言葉でこっちが作ったわけだから、あとですよ。
    高取:「劇画アリス」「エロジェニカ」に描いてたまついなつきも入っていましたね、ニューウェーブに。
    米沢:いや、何でもかんでも入れてたんです。特に、男、女、関係ない感性で書く連中っていうのをメインにしたから。だから、つまり少女マンガではない女性作家。
    高取柴門ふみとかね。
    米沢:あるいは、ほんとのドカタくさくないという言い方はなんだけど、そうでないエロ劇画、そういうものをみんな混ぜこぜにしちゃってパッケージしたわけだから。

    —座談会「三流劇画ブームの前後を語る―前史・全盛期・抗争・変化―俺たちはアナーキーなエロ劇画に賭けた」高取英編『官能劇画大全集 1978~1982』道出版、2000年、464頁。

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