クラレ岡山硬式野球部
クラレ岡山硬式野球部(クラレおかやまこうしきやきゅうぶ)は、岡山県岡山市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。1973年11月に解散した。
チーム名(通称) | クラレ岡山、クラレ |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1952年 |
廃部 | 1973年 |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 |
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都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 14回 |
最近の出場 | 1971年 |
最高成績 | 8強 |
日本産業対抗野球大会 | |
出場回数 | 12回 |
最近の出場 | 1973年 |
最高成績 | 優勝 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | ※大会創設前に廃部 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし、大会創設前に廃部 |
概要
編集1952年、繊維メーカーの倉敷レイヨンが各地に点在していた工場の軟式野球部を統合し、岡山工場の硬式野球部として『倉敷レイヨン硬式野球部』を発足させた。
創部から6年目の1957年に都市対抗野球に初出場し、8強入りを果たす。
1965年、チーム名を『クラレ岡山硬式野球部』に改称した。
岡山県内で活動していた三菱重工水島や川崎製鉄水島と切磋琢磨しプロ野球選手を輩出するに至るが、1973年にオイルショックにより本業の経営に大きな影響が及び、業績悪化と若年労働者の不足を理由に11月に解散した[1]。
沿革
編集主な大会の出場歴・最高成績
編集- 都市対抗野球大会 - 出場14回、8強3回(1957、1959、1967年)
- 日本産業対抗野球大会 - 出場12回、優勝1回(1959年)
- JABA岡山大会 - 優勝3回(1958、1970、1973年)
主な出身プロ野球選手
編集- 内海武彦(内野手) - 1955年に中日ドラゴンズに入団
- 佐川守一(投手) - 1955年に西鉄ライオンズに入団
- 藤井弘(内野手) - 1955年に広島カープに入団
- 麻生実男(内野手) - 1959年に大洋ホエールズに入団
- 栗本光明(投手) - 1961年に大毎オリオンズに入団
- 得津高宏(外野手) - 1967年第1次ドラフト6位で東京オリオンズに入団
- 安木祥二(投手) - 1968年ドラフト5位でアトムズに入団
- 門田博光(外野手) - 1969年ドラフト2位で南海ホークスに入団[2]
- 外山義明(投手) - 1969年ドラフト6位でヤクルトアトムズに入団
- 片岡新之介(捕手) - 1969年ドラフト5位で西鉄ライオンズから指名を受け、翌1970年シーズン終了後に入団
- 平野光泰(外野手) - 1971年ドラフト6位で近鉄バファローズに入団
- 上林成行(投手) - 1973年ドラフト3位で近鉄バファローズに入団
脚注
編集- ^ “クラレ岡山野球部が解散”. 毎日新聞. (1973年11月12日)
- ^ “門田博光氏が死去 74歳 40歳で本塁打、打点の2冠 「中年の星」”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2023年1月24日) 2023年1月24日閲覧。