クラース・ヤコブスゾーン・ファン・デル・ヘック

クラース・ヤコブスゾーン・ファン・デル・ヘック(Claes Jacobsz. van der Heck、1575年頃から1581年の間の生まれ[1]1652年12月19日に埋葬)はオランダの画家である。ニコラス・ファン・デル・ヘック(Nicolaes van der Heck)の名前でも知られる。

クラース・ヤコブスゾーン・ファン・デル・ヘック
Claes Jacobsz. van der Heck
ファン・デル・ヘック作「アルクマールの民兵団の将校たち」
誕生日 1575年頃から1581年の間
出生地 アルクマール
死没年 1652年12月19日(葬礼日)
死没地 アルクマール
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略歴 編集

父親が現在の北ホラント州アルクマールに1580年に市民として登録されていた記録からアルクマールで生まれたと推定されている。父親の義理の兄弟にハールレムの画家、マールテン・ファン・ヘームスケルク(1498-1574)がいた。親戚のクラース・ディルクスゾーン・ファン・デル・ヘック(Claes Dircksz. van der Heck: c.1595-1649)もアルクマールで画家になった。

「北方画家列伝」の作者で同時代の画家、カレル・ヴァン・マンデル(1548-1606)の1604年の記述によれば、「風景画を得意とする画家のヤン・ナーヘル(Jan Nagel: c.1560–1602)の弟子」[2]であったとされているがファン・デル・ヘックは人物画も描いていて、ファン・デル・ヘックの一族と親しい画家、フランス・メントン(Frans Menton: c.1550–1615) から学んだ可能性がある[1]。1608年制作の作品が知られていて、1613年によく知られた集団肖像画作品である「アルクマールの民兵団の将校たち(Officieren van de Oude Schutterij van Alkmaar)」が描かれている。1616年から1620年の間に、アルクマールの市庁舎の議場に飾る何点かの作品を描いた。1632年1月に Zacharias Paulusz.や Gerrit Cornelisz. Ruyl、Jan Willemsz. Benningといった画家たちとアルクマールに聖ルカ組合を設立した[3]

1606年までには結婚して[4]、息子には画家となったマルテン・ヘームスケルク・ファン・デル・ヘック(Marten Heemskerck van der Heck)がいる。

後世の学者の著作で、クラース・ディルクスゾーン・ファン・デル・ヘックとの混同が生じ、その作品の帰属にも混乱が生じた。

作品 編集

脚注 編集

  1. ^ a b Wortel (1943): p. 50.
  2. ^ Van Mander (1604): fol. 300r.
  3. ^ Wortel (1943): p. 53-58.
  4. ^ Zijn oudste dochter Adriana zegt in een akte uit 1638 ongeveer 32 jaar oud te zijn.

参考文献 編集

  • Arnold Houbraken (1753) “Nicolaas vander Hek”, in: Arnold Houbraken (1753) De groote schouwburg der Nederlantsche konstschilders en schilderessen, 's Gravenhage: J. Swart, C. Boucquet en M. Gaillard, deel 2, p. 7-8.
  • Mander, Carel van (1604) Het Schilder-Boeck, Haerlem: Paschier van Wesbvsch, fol. 247r, 300r.
  • Wortel, Th.P.H. (1943) ‘“Nicales van de Heck, van 't Gheslacht van Marten Hemskerck”’, Oud Holland, jrg. 60, p. 44-59.