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クリスティアン・ルートヴィヒ (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)

クリスティアン・ルートヴィヒ

クリスティアン・ルートヴィヒドイツ語:Christian Ludwig, 1622年2月25日 - 1665年3月15日)は、ブラウンシュヴァイク=リューネブルクの1人で、カレンベルク侯(在位:1641年 - 1648年)、リューネブルク(在位:1648年 - 1665年)。カレンベルク侯ゲオルクと妃アンナ・エレオノーレ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタットの長男。ゲオルク・ヴィルヘルムヨハン・フリードリヒデンマークノルウェーフレデリク3世ゾフィー・アマーリエエルンスト・アウグストの兄。

1641年に父が急死すると彼はその後を継いだ。父同様、ハノーファーライネ川沿岸のライネ城を居城とした。1648年、伯父のリューネブルク侯フリードリヒ4世が子供のないまま亡くなったため、クリスティアン・ルートヴィヒはリューネブルク侯を兼ねた。しかしまもなく次弟のゲオルク・ヴィルヘルムにカレンベルク侯領を譲り、ツェレ城に移ってより広大なリューネブルク侯領の統治に専念した。

1642年、クリスティアン・ルートヴィヒはドイツ最初の文学サークル「実りを結ぶ会」の会員になった。彼は1653年シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルクフィリップの娘ドロテア・ゾフィーと結婚したが、子供をもうけないまま1665年に亡くなった。未亡人となったドロテアはまもなくブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムの後妻となり、新しい夫との間に大勢の子供を産んだ。

リューネブルク侯領は次弟のカレンベルク侯ゲオルク・ヴィルヘルムが相続し、ゲオルク・ヴィルヘルムはその下の弟ヨハン・フリードリヒにカレンベルク侯領を譲った。リューネブルク侯領とカレンベルク侯領は1705年、彼ら3兄弟の甥にあたるカレンベルク侯ゲオルク・ルートヴィヒ(末弟エルンスト・アウグストの子、後のイギリス王ジョージ1世)の創設したハノーファー選帝侯領に組み込まれた。

爵位・家督
先代:
ゲオルク
カレンベルク
1641年 - 1648年
次代:
ゲオルク・ヴィルヘルム
先代:
フリードリヒ4世
リューネブルク
1648年 - 1665年
次代:
ゲオルク・ヴィルヘルム