クレムリンの壁墓所

座標: 北緯55度45分13秒 東経37度37分11秒 / 北緯55.75361度 東経37.61972度 / 55.75361; 37.61972

クレムリンの壁の前に、スースロフスターリンカリーニンジェルジンスキーブレジネフの墓が見える。アンドロポフの墓は、カリーニンとジェルジンスキーの間にあるが、見えない。レーニン廟はすぐ右にある。

クレムリンの壁墓所(くれむりんのかべぼしょ、ロシア語: Некрополь у Кремлёвской стены英語: Kremlin Wall Necropolis)はロシアモスクワにある「赤の広場」のクレムリンの壁に沿って作られた墓所である。

モスクワの「クレムリンの壁」墓所への埋葬は、1917年11月に10月革命の240人の親ボルシェビキの犠牲者が「赤の広場」に集団埋葬された時に始まった。 レーニン廟の両側におもに埋葬されて、1924年には木材で建てられ、1929〜1930年には花崗岩で建て直された。1921年に行われた最後の集団埋葬の後、赤の広場での葬儀は通常、国家の儀式として行われ、著名な政治家軍事指導者宇宙飛行士科学者の最後の名誉な行事とした。

1925年から1927年にかけて、地中への埋葬は中止されて、葬儀はクレムリンの壁自体に焼却灰の埋葬として行われた。しかし地中への埋葬は、1946年にミハイル・カリーニンの葬儀で再開された。赤の広場で高官を葬る習慣は1985年3月のコンスタンティン・チェルネンコの葬儀まで続いた。

壁への埋葬編集

クレムリンの壁へ最後に埋葬された人物は、1984年12月に死去した国防相のドミトリー・ウスチノフである。

地中への埋葬編集

 
スースロフの墓(左)とスターリンの墓の近影

レーニン廟の裏にある革命元勲墓には現在12人が埋葬されている。第二次世界大戦後、彫刻家のセルゲイ・メルクーロフは、ミハイル・カリーニンアンドレイ・ジダーノフヤーコフ・スヴェルドロフミハイル・フルンゼフェリックス・ジェルジンスキーの5名の個別に埋葬された政治家・革命家のために胸像を設置。時期を同じくして、赤の広場と墓所を仕切る花崗岩製のスタンドが設置された。

死後に防腐処置を施されレーニン廟に遺体が安置されたヨシフ・スターリンは、ニキータ・フルシチョフによるスターリン批判の煽りを受け遺体が火葬された後、この地に埋葬されている。

その後、クレムリンの壁墓所に葬られる名誉に付された政治家・革命家・軍人の中でも、とりわけ重要人物とみなされた者がこの地に遺体が埋葬されることが暗黙の了解となり、国家元首である最高会議幹部会議長を務めたクリメント・ヴォロシーロフ、初のソ連邦元帥であるセミョーン・ブジョーンヌイ、党第二書記として強大な影響力を保持し「クレムリンのキングメーカー」との異名を取ったミハイル・スースロフ、そして最高指導者たるソ連共産党書記長を務めたレオニード・ブレジネフユーリ・アンドロポフコンスタンティン・チェルネンコが埋葬された。

1989年7月にアンドレイ・グロムイコが死去した際には、グロムイコが最高会議幹部会議長経験者ということもあり、ソ連政府によってこの地への遺体の埋葬が提案されたが、家族によって断られている。

なお、ゲオルギー・マレンコフニキータ・フルシチョフニコライ・ポドゴルヌイ等本来この地に埋葬されてもおかしくない政治家であっても、失脚した人物はこの地に埋葬されることはなかった。

参照項目編集

脚注編集

外部リンク編集