クロード・マケレレ
クロード・マケレレ・サンダ(フランス語: Claude Makélelé Sinda, 1973年2月18日 - )は、コンゴ民主共和国(旧ザイール)キンシャサ出身の元フランス代表サッカー選手、サッカー指導者。現在はチェルシーFCでテクニカルメンターを務めている[2]。
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![]() 2012年のマケレレ | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
クロード・マケレレ・サンダ Claude Makélelé Sinda | |||||
愛称 | Maka[1] | |||||
ラテン文字 | Claude Makélélé | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1973年2月18日(49歳) | |||||
出身地 |
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身長 | 174cm | |||||
体重 | 66kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (DMF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1989-1990 |
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1990-1991 |
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クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1991-1992 |
![]() | 12 | (0) | |||
1991-1997 |
![]() | 169 | (9) | |||
1997-1998 |
![]() | 32 | (2) | |||
1998-2000 |
![]() | 70 | (3) | |||
2000-2003 |
![]() | 94 | (0) | |||
2003-2008 |
![]() | 144 | (2) | |||
2008-2011 |
![]() | 98 | (1) | |||
代表歴 | ||||||
1995-1996 |
![]() | 11 | (1) | |||
1995-2008 |
![]() | 70 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2011-2013 |
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2014 |
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2017 |
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2017-2019 |
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1. 国内リーグ戦に限る。2014年11月4日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
キャリアを通して守備的MFでプレー。中盤の底のポジションはマケレレのポジションとして「マケレレロール(Makélélé Role)」と呼ばれることもある[3]。
経歴編集
ナント編集
1973年にザイールにて生まれ、1977年にフランスのサヴィニー=ル=タンプルへと移る。本人へのインタビューによれば、子供の頃の憧れの選手は、元ブラジル代表のペレ[4]。15歳の頃に、ムランのクラブであるUSムランに加入し、リリアン・テュラムらとともにプレーした[4]。
1993年、リーグ・アンのFCナントでキャリアをスタートする。1994-95シーズンにはクラブのUEFAカップベスト4進出に貢献した。1996年にはアトランタ五輪にフランス代表として出場するがベスト8で敗退。
マルセイユ、セルタ編集
その後オリンピック・マルセイユを経て、1998年にリーガ・エスパニョーラのセルタ・デ・ビーゴへ移籍。UEFAカップにおいてリヴァプールFC、ユヴェントスFCなどの強豪チームを破った試合で活躍し、評価を上昇させた。
レアル・マドリード編集
2000年にはレアル・マドリードへ移籍し、超攻撃的サッカーを標榜するスター集団の中において、中盤の守備を担うハードワーカーとして活躍し、2001-02シーズンにはチャンピオンズリーグの制覇に貢献。当時のチームメイトから「彼こそ、俺たちのバロンドールだ」という、最大級の賛辞が送られた。攻撃重視の選手が多数プレーする中で、イバン・エルゲラや最終ラインを支えるフェルナンド・イエロと共にチームに不可欠な存在であった。しかし2002-03シーズン終了後、給料の問題などもありサンティアゴ・ベルナベウを去る。もっとも自身は後のインタビューの中で、自身の仕事に敬意を払われなかったことが問題なのであり、当時のレアル・マドリードの会長、フロレンティーノ・ペレスに「どんなに金を積まれても、私は出て行く」と言ったと述べている。その後レアル・マドリードは失点が増加、マケレレへの依存度が高かったにも関わらず彼を評価できなかったペレス会長には批判が浴びせられた。
チェルシー編集
2003-04シーズンより、ロシアの石油王ロマン・アブラモヴィッチが新オーナーとなったチェルシーFCへ移籍。移籍後初シーズンはプレミアリーグ2位、UEFAチャンピオンズリーグではASモナコに準決勝で敗れるなど、タイトルを手にすることはできなかった。しかし2004-05シーズンにはプレミアリーグとフットボールリーグカップを制覇。2004年より監督に就任したジョゼ・モウリーニョからシーズンの最優秀選手と称賛を受け、FIFProによる2005年のベストイレブンにもチームメイトであるフランク・ランパードやジョン・テリーらとともに選出された[5]。
パリ・サンジェルマン編集
2008年7月21日、パリ・サンジェルマンFCがマケレレの獲得に関してチェルシーと合意。同時にキャプテンにも就任した。2010-11シーズン終了後に現役引退。
代表歴編集
フランスに移住し同国籍を取得。身体能力の高さを活かした活躍が評価され、1995年7月22日のノルウェー戦でフランス代表デビューを果たす。
2002年の日韓W杯に参加するが出場機会に恵まれず、FWの不調やエースジネディーヌ・ジダンの故障も響きグループリーグで敗退する。
EURO2004以降代表から遠ざかっていたが、2006年ドイツW杯の欧州予選でフランス代表は予選敗退の危機を迎える。レイモン・ドメネク監督の希望によりジダン、リリアン・テュラムとともに代表に復帰すると土壇場からの予選通過に貢献する。2006年5月15日、本選出場メンバーに選ばれ決勝戦まで進んだが、PK戦の末に準優勝に終わる。W杯終了後に地元のTV局のインタビューで代表引退を明らかにしたが、ユーロ2008の予選でドメネクによって招集され、所属するチェルシーのモウリーニョ監督を巻き込み騒動となった。EURO2008本大会にも招集されたものの、チームはグループリーグ敗退。改めて代表引退を発表した。代表引退の記者会見の席で、フランス代表としてはメジャーなタイトルを得られなかったことについては「フランス代表のユニフォームを着ることができたことが、私のトロフィーだ」と語っている。
指導歴編集
現役引退後は、古巣のパリ・サンジェルマンFCでカルロ・アンチェロッティ監督の下アシスタントコーチを経験した後、リーグ・アンの2014-2015シーズンからSCバスティアの監督に就任。しかし12試合で2勝しか挙げられず、11月3日に解任された[6]。
2016年1月8日にASモナコのテクニカルディレクターに就任したが[7]、同年6月6日に契約解除が発表された[8]。
2017年1月12日、スウォンジー・シティAFCのアシスタントコーチに就任した[9]。
11月6日、スウォンジーとの合意の下で契約を解除すると共にジュピラー・プロ・リーグに所属するKASオイペンの指揮官に就任することが発表された[10]。リーグ最下位のクラブを引き継ぐと、シーズン最終戦のREムスクロン戦で途中投入した豊川雄太が3得点を挙げるなど4-0で勝利。KVメヘレンを得失点差1で逆転し、クラブを1部残留に導いた[11]。2018-19シーズンはリーグ12位で再び1部残留を果たすと、2019年6月14日に退任することが発表された[12]。
2019年8月3日、監督として招聘されたランパードと共にチェルシーに帰還しテクニカルメンターに就任した[2]。
個人成績編集
代表での成績編集
- 出典[13]
フランス代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1995 | 1 | 0 |
1996 | 0 | 0 |
1997 | 1 | 0 |
1998 | 1 | 0 |
1999 | 0 | 0 |
2000 | 3 | 0 |
2001 | 6 | 0 |
2002 | 9 | 0 |
2003 | 6 | 0 |
2004 | 8 | 0 |
2005 | 5 | 0 |
2006 | 14 | 0 |
2007 | 11 | 0 |
2008 | 6 | 0 |
合計 | 71 | 0 |
タイトル編集
- ナント
- リーグ・アン: 1994-95
- レアル・マドリード
- リーガ・エスパニョーラ: 2000-01, 2002-03
- スペイン・スーパーカップ: 2001, 2003
- UEFAチャンピオンズリーグ: 2001-02
- UEFAスーパーカップ: 2002
- トヨタカップ: 2002
- チェルシー
- プレミアリーグ: 2004-05, 2005-06
- FAカップ: 2006-07
- コミュニティーシールド: 2005
- フットボールリーグカップ: 2005, 2007
- パリSG
- クープ・ドゥ・フランス: 2009-10
脚注編集
- ^ “Return of the Maka”. Chelsea Football Club (2017年2月25日). 2020年8月1日閲覧。
- ^ a b “マケレレ氏が古巣チェルシーに帰還! コーチとして若手の指導を担当”. サッカーキング (2019年8月3日). 2020年8月1日閲覧。
- ^ “The Makelele role”. UEFA.com. 2012年11月13日閲覧。
- ^ a b マケレレ氏がマドリーでの思い出を語る
- ^ “The FIFPro World XI of the Year 2004/2005”. FIFPro. 2012年11月13日閲覧。
- ^ “降格圏バスティア、マケレレを解任”. Goal. 2014年11月4日閲覧。
- ^ “マケレレ氏がモナコのディレクターに就任”. SANSPO.COM. 2016年1月8日閲覧。
- ^ “モナコがマケレレ氏と契約解除”. Goal.com. 2016年6月16日閲覧。
- ^ “スウォンジーのコーチに守備職人マケレレが就任…クレメントの右腕として1部残留を目指す”. Goal (2017年1月12日). 2017年1月16日閲覧。
- ^ “マケレレがスウォンジーのコーチを辞任! ベルギー1部オイペンの新監督就任へ”. 超ワールドサッカー (2017年11月6日). 2020年8月1日閲覧。
- ^ “今季最高の奇跡を起こした海外組。豊川雄太とマケレレ監督の信頼関係。”. Number Web (2018年5月25日). 2020年8月1日閲覧。
- ^ “豊川所属のオイペンがマケレレ監督の退任を発表「お互いにとって正しい決断」”. ゲキサカ (2019年6月15日). 2020年8月1日閲覧。
- ^ “Makélélé, Claude”. National-Football-Teams. 2017年7月7日閲覧。
外部リンク編集
- Claude Makélélé (@ClaudeMakelele) - Twitter
- Claude Makélélé (@makeleleofficial) - Instagram
- Claude Makelele - History | Chelsea Football Club
- Claude Makelele - Teams | Chelsea Football Club
- Claude Makélélé Player profile - Transfermarkt
- Claude Makélélé Manager profile - Transfermarkt
- C. Makélélé - Soccerwayによる個人成績
- Claude Makélélé - National-Football-Teams.com