グスク
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グスク(御城)もしくはスク(城)とは、南西諸島の内、沖縄地方領域である奄美群島(鹿児島県)から八重山諸島(沖縄県)の沖縄弧とも呼ばれる地域にかけて、多数存在するグスク時代の遺跡。本土の戦国時代の城とは異なり、戦いに備えた建築物とは限らず、館や拝所であったと考えられるものもあり、地域、時期、により形態や呼び方に違いがある。三山時代には王や按司の居城となっていた。
起源
編集グシク、グスクは、古くは具足(日本で言う甲冑や鎧・兜、あるいは馬具や仏具)の字が当てられており、その意味は日本本土でいうところの「城」に相当するものとされ、琉球でもグスクに「城」の文字を当てている(奄美では「城」はキズキとも読む)が、学説的には、本土のように単に軍事拠点として作られたものとは考えられていない。
但し奄美群島においては、グスクに相当するものは古くはモリ、ハラなどと呼ばれており、グスクと呼ばれるようになったのは琉球による奄美征服以降の後世であり、最初から軍事拠点であったとの指摘もなされている。
ほか地方により、スク、シク、シュク、ゴスコとなる場合もある。
奄美・琉球においてグスクと呼ばれるものには陵墓の意義もあるとされる[1]。
グスクの起源には様々な説がある。
- (1)「聖域説」
- 沖縄の信仰の聖地として、御嶽(うたき)があり、グスクはもともと御嶽であったと考える説。
- (2)「集落説」
- もともと集落として発生し、周辺を石垣で囲ったものとする説。また、(1)とあわせ、御嶽を中心に発達した集落であるとする説。
- (3)「城館説」
- 地域の有力者の居城として構築されたとする説。
特徴
編集沖縄本島以南では早くから野積みの石垣が使われているが、その構築技術は極めて高く、マチュ・ピチュの石造技術と比較されることもある。沖縄本島北部の一部や奄美群島では石垣を用いない「土のグスク」もある。また古いグスクには必ず、その中に御嶽があるともいわれ、奄美群島では未調査のものが多いものの大半がその痕跡を確認できるという。
2000年(平成12年)12月2日、以下に示したグスクの遺構のうち、今帰仁城跡、座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、首里城跡は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成するグスクとして世界遺産に登録された[2][3]。今帰仁城、座喜味城、勝連城、中城城は三山時代から琉球王国成立期にかけて造営されたものであり、首里城は琉球統一王朝成立後、尚氏がその居所と統治機関を置くために築かれたグスクであった[3][注釈 1]。これらのグスクの城壁は、おもに珊瑚石灰岩によって営まれていた[3]。
主要グスク一覧
編集沖縄諸島
編集主要グスク[4] | その他のグスク | 所在 | 備考 |
---|---|---|---|
アマングスク、奥間グスク | 国頭村 | ||
根謝銘グスク | 喜如嘉グスク、津波グスク、石グスク | 大宜味村 | |
今帰仁城、シイナグスク | 内グスク、ハナグスク、ターラグスク、ミームングスク、古宇利グスク | 今帰仁村 | |
瀬底グスク、備瀬グスク、本部具志川森グスク、山川チヂグスク、陣グスク、アメラグスク、富盛グスク | 本部町 | ||
名護城 | 屋我グスク、アマグスク、ウチグスク、大グスク、上グスク、真喜屋グスク、親グスク、親川グスク、デーグスク、前田グスク、上里グスク、嘉陽上グスク | 名護市 | |
漢那グスク | 宜野座村 | ||
金武グスク | 金武町 | ||
山田城 | 恩納グスク、イチグスク、ガヂャグスク、アンナーグスク | 恩納村 |
主要グスク | その他のグスク | 所在 | 備考 |
---|---|---|---|
座喜味城、泊城 | カナグスク、瀬名波グスク、字座グスク、トウヤマグスク、マテージグスク、タカヤマグスク、イットカグスク、ウフグスク、メーダグスク | 読谷村 | |
嘉手納グスク、屋良グスク、国直グスク | 嘉手納町 | ||
勝連城、伊波城、天願城、安慶名城、喜屋武城、伊計城 | 兼箇段グスク、具志川グスク (うるま市)、江州グスク、クーグスク、泊グスク (うるま市)、平安座東グスク、平安座西グスク、ナチジングスク、平安名上グスク、フニグスク、浜グスク、比嘉グスク、クボウグスク、新川グスク | うるま市 | |
越来城 | 知花グスク、仲宗根グスク、インジングスク、アマグスク | 沖縄市 | |
北谷城 (北谷グスク) | イチグスク | 北谷町 | |
喜友名グスク、我如古グスク、黄金森グスク、嘉数グスク | 宜野湾市 | ||
大城城 | ヒニグスク、安谷屋グスク、マーシリグスク | 北中城村 | |
中城城 | 台グスク、新垣グスク | 中城村 | |
我謝遺跡(ヨナグスク) | イシグスク、棚原グスク、幸地グスク、津喜武多グスク | 西原町 | |
伊祖城跡、浦添城跡 | 親富祖グスク、内間グスク、沢岻グスク、ジングスク、皇グスク | 浦添市 |
主要グスク | その他のグスク | 所在 | 備考 |
---|---|---|---|
首里城跡、屋良座森城 | クンダグスク、石田グスク、三重グスク、御物グスク、天久グスク、具志グスク、小禄グスク、硫黄グスク、天妃グスク、サキハラグスク | 那覇市 | |
豊見城グスク、瀬長グスク、長嶺グスク、平良グスク、保栄茂グスク、石原グスク、渡橋名グスク、ユダマグスク | 豊見城市 | ||
八重瀬グスク、世名城グスク、テミグラグスク、勢理グスク、上グスク (八重瀬町)、多々名グスク、具志頭グスク、ミドリグスク、新城グスク | 八重瀬町 | ||
大里城跡、佐敷城、知念城、垣花城跡、ミントングスク、玉城城跡、糸数城跡 | 大城グスク (南城市)、ミーグスク、稲福遺跡、屋比久グスク、知名グスク、ヰナグワンダー遺跡、安座真グスク、寒水グスク、古間グスク、ウフグスク、志喜屋グスク、テミィグスク、仲栄真グスク、根石グスク、船越グスク | 南城市 | |
南山城跡、フェンサグスク、具志川城跡 | 武富グスク、阿波根グスク、賀数グスク、瀬平グスク、大城森グスク、与座グスク、上座グスク、奥間グスク、兼城グスク、照屋グスク、国吉グスク、真栄里グスク、伊敷グスク、当間グスク、チチャマグスク、喜屋武古グスク、カタハラグスク、東辺名グスク、山城グスク、上里グスク、佐慶グスク、糸洲グスク、波平グスク、石原グスク、米須グスク、ガーラグスク、オドサトグスク、摩文仁グスク、真壁グスク、字江城グスク、新垣グスク、真栄平グスク、ブリ原グスク、仲間グスク、チングスク、安里グスク | 糸満市 |
主要グスク | その他のグスク | 所在 | 備考 |
---|---|---|---|
田名城跡 | ヤヘーグスク | 伊平屋村 | |
伊是名城跡 | アマグスク | 伊是名村 | |
伊江城跡 | 伊江村 | ||
メーグスク、シルグスク、グスク山 (座間味村) | 座間味村 | ||
スンジャグスク、アマグスク、里遺跡 | 渡名喜村 | ||
具志川城跡、伊敷索城跡、宇江城城跡、登武那覇城跡、塩原城跡 | マカイグスク、久根グスク、ウニシグスク、与那嶺グスク、天宮グスク、ミンチブナーグスク、小グスク | 久米島町 | |
八重川グスク | 粟国村 |
(出典[5])
奄美群島
編集先島群島
編集関連項目
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 仲松弥秀『神と村』(1990年)、梟社、ISBN 978-4787763013
- ^ a b 沖縄の世界遺産(せかいいさん)(沖縄県教育庁文化財課)
- ^ a b c d 世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」(「世界遺産オンライン」:文化庁)
- ^ ここでは単独項目のあるもの、国や県指定のグスク・遺跡など。太字は世界遺産指定。以下同じ
- ^ 沖縄県教育委員会(1983)。なお、上記以外にも多数の未確認のグスクがある。
参考文献
編集- 『ぐすく グスク分布調査報告(I) - 沖縄本島及び周辺離島-』(1983年)沖縄教育委員会、沖縄県文化財調査報告書第53集
- 仲松弥秀『神と村』梟社、1990年7月。ISBN 978-4787763013。
関連文献
編集- 上里隆史・山本正昭(編) 編『沖縄の名城を歩く』吉川弘文館、2019年。ISBN 978-4642083447。
- 山内健治『基地と聖地の沖縄史-フェンスの内で祈る人びと-』吉川弘文館、2019年。ISBN 978-4642083454。
外部リンク
編集- 世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」(「世界遺産オンライン」:文化庁)
- 沖縄の世界遺産(せかいいさん)(沖縄県教育庁文化財課)