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グレイシー・マンション

アーチボルド・グレイシー・マンション (Archibald Gracie Mansion) はニューヨーク市長官邸である[2]。普通は単にグレイシー・マンション (Gracie Mansion) と呼ばれる[3]。1799年に建設され、ニューヨーク市マンハッタンアッパー・イースト・サイドヨークヴィル, en)のカール・シュルツ・パーク (en) 内のイースト・エンド・アベニューと88丁目の交差点に位置している。このマンションはイースト川に面し、ヘル・ゲート (en) 水路を望んでいる。

Archibald Gracie Mansion
定義されていません
Gracie Mansion snow jeh.jpg
東側
グレイシー・マンションの位置(マンハッタン内)
グレイシー・マンション
所在地 アメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタン区
イースト・エンド・アベニュー at 88th St.
座標 北緯40度46分34秒 西経73度56分36秒 / 北緯40.77611度 西経73.94333度 / 40.77611; -73.94333座標: 北緯40度46分34秒 西経73度56分36秒 / 北緯40.77611度 西経73.94333度 / 40.77611; -73.94333
建設 1799年[1]
建築家 不明[1]またはアーチボルド・グレイシー
建築様式 連邦様式
NRHP登録番号 75001205
指定・解除日
NRHP指定日 1975年5月12日[1]
NYCL指定日: 1966年9月20日
西側
ランドマーク飾り額。

歴史編集

建設以前編集

アメリカ独立戦争時、ジョージ・ワシントンはヘル・ゲートが一望できるほぼこのマンションの敷地あたりに建っていた建物を占領した。その建物はベルビュー・マンション (Belview Mansion) と呼ばれており、ニューヨークの商人Jacob Waltonの郊外の別荘であった。イギリス軍は戦争中にこのマンションを破壊した。

グレイシーの別荘編集

その後、1799年にアーチボルド・グレイシー (en) が別の建物をその地に建設し、借金の返済に充てるために売却する1823年まで郊外の別荘として使用していた。現在では、この建物はグレイシー・マンションと呼ばれるようになった。1801年秋、グレイシーはこのマンションでニューヨーク連邦主義者 (en) 会議を主催した。この会議はアレクサンダー・ハミルトンの呼びかけで、New York Evening Post紙(現New York Post紙)を創業するための$1万を集めるために開催された。

ニューヨーク市による所有編集

1823年以降は、1896年にニューヨーク市政府によって押収されるまで他の人々によって使用されていた。ニューヨーク市政府によって、このマンションの敷地はカール・シュルツ・パーク (en) の一部へと改修された。こうして、このマンションは公園の一部として、公衆トイレやアイスクリーム売り場、教室が設置されるなど、1924年までは公共の場として利用されてきた。1924年から1936年までは、ニューヨーク市立博物館 (en) として使われ、この建物自体が歴史建造物として展示された。

1942年、ロバート・モーゼスはこのマンションを市長官邸とするようフィオレロ・ラガーディア市長を説得した。この市長官邸のメインの2フロアは一般公開されており、ガイドツアー限定の小さな博物館となっている。

グレイシー・マンションはアメリカ合衆国国家歴史登録財に1975年に登録された[1]

近年の出来事編集

このマンションはニューヨーク市の公務のためにのみ使用することができる。市への訪問者である公務員と市長の家族のみがこのマンションに住むまたは泊まることができる。これは市の税金で運営されているこのマンションが市の職員以外に利用されることを防ぐためである。そのため、ルドルフ・ジュリアーニ市長は彼の不倫相手(結婚していないので家族ではない)とこのマンションに住むことができなかった。ジュリアーニはこの場所から引っ越すこととなった[要出典]

同様にマイケル・ブルームバーグ市長もグレイシー・マンションに住むことはなかったが、彼はこの場所を会議やイベントそして市への公式訪問者の滞在場所として利用した。彼が市長職についた初期の頃に、彼はこのマンションの大規模な改修を主導した。この資金提供者は匿名であるが、億万長者である市長自身だったのではないかという憶測もある[4]

ビル・デブラシオ市長(2014年就任)は家族とともにグレイシー・マンションに居住している[5]

建築編集

アーチボルド・グレイシー (en) は木造二階建て連邦様式 (en) のマンションを建設した。その設計は著名な建築家のen:Ezra Weeksまたはニューヨーク市庁舎およびハミルトン・グレインジ (enハーレムに建つアレクサンダー・ハミルトンの別荘)の建築家であるen:John McComb, Jr.とされている[6]

Robert F. Wagner, Jr.'s市長の妻Susanの示唆により、マンションの西棟の新築計画が着手され、1966年に竣工した。この西棟は現在Susan B. Wagnerウイングと呼ばれており、建築家はen:Mott B. Schmidtである。当時はこの西棟は"モダン"ではないと批判されたが、後にこの小さなマンションを市の公務用に拡張するための適切な設計であったと評価されるようになった。グレイシー・マンション管理委員会 (Gracie Mansion Conservancy) はこのマンションの一部の改修を1981-84年に行い、2002年には大規模な装飾面・機能面での改修を行った[要出典]

大衆文化におけるグレイシー・マンション編集

関連項目編集

出典編集

脚注

  1. ^ a b c d National Park Service (2008-04-15). "National Register Information System". National Register of Historic Places. National Park Service.
  2. ^ Gracie Mansion”. Field Trip.com. 2008年8月2日閲覧。
  3. ^ 英語でマンションとは(大)邸宅という意味で、日本語で言うマンションが指す大型の集合住宅は英語ではコンドミニアムと呼ばれる。
  4. ^ Jennifer Steinhauer (2002年4月28日). “A Worn Gracie Mansion Awaits Its Face-Lift”. The New York Times. http://www.nytimes.com/2002/04/28/nyregion/a-worn-gracie-mansion-awaits-its-face-lift.html 2011年11月15日閲覧. "外装の改修は$8万5千かかると見積もられており、そのほとんどは匿名の寄付によって賄われた。この資金提供者は市長自身であったと広く噂されている(確認はされていない)。" 
  5. ^ Makarechi, Kia (2014年6月26日). “The de Blasios Move into Gracie Mansion, a Home with a History of Rodents, Marriage Problems, and a Creepy Attic”. Vanity Fair Blogs. 2014年6月30日閲覧。
  6. ^ Max Kahn (1974年). “National Register of Historic Places Registration: Gracie Mansion”. New York State Office of Parks, Recreation and Historic Preservation. 2011年3月25日閲覧。
  7. ^ Fairstein, Linda (2010). Hell Gate. Dutton Books. ASIN B004UQ9E02. 
  8. ^ “FAQs”. The Yule Log. http://www.theyulelog.com/htmls/faqs.html#wherefilmed 

参考文献