ギュルス収容所 (Camp de Gurs) はフランス南西部の街ギュルスアキテーヌ地域圏ピレネー=アトランティック県) に1939年からフランス政府によって設置されていた強制収容所である。

現地にある記念館 (2007年11月)

概要 編集

元々はスペイン内戦の終戦時にフランシスコ・フランコの立てた新しいスペイン政権を恐れてフランスに逃れてきた難民を収容するための施設 (難民キャンプ) であった。第二次世界大戦が勃発すると、フランス政府はドイツを始めとする枢軸国国籍を持つ者、および当時のフランス政権にとって危険と見なされた自国民 (思想犯および政治犯) を、通常の犯罪者とともにギュルスに収監した。

1940年にフランスのヴィシー政権ナチス・ドイツと休戦協定を結んでから、刑務所となっていたギュルスの収容所をユダヤ人の強制収容所とし、フランス国籍でないユダヤ人を収容した。またそれまでと同様に政治犯、思想犯もギュルスに収監した。ナチス・ドイツの撤退後はドイツ人の戦犯とフランス人のナチ協力者 (ヴィシー政権下のコラボラシオンら) を収監した[1]

なお、ドイツ占領下のスペインでの抵抗勢力が連合国から見るとフランコ政権を脅かすとされたことから、1946年に閉鎖されるまで彼らの収監にも供された。

脚注 編集

  1. ^ Das Internierungslager von Gurs 写真付き解説 (ドイツ語)

参考文献 編集

  • Laharie, Claude (1993), Gurs internment camp, 1939—1945, an ignored aspect of Vichy history. Biarritz: Atlantic Publishing Company. ISBN 2-84127-000-9.

関連項目 編集

外部リンク 編集

座標: 北緯43度15分53秒 西経0度43分54秒 / 北緯43.26472度 西経0.73167度 / 43.26472; -0.73167