(けい)は、周代に存在した諸侯国。周初、周公旦の第4子である姫苴が封じられたが、春秋時代に滅亡した。

前11世紀 - 前635年
国姓 姫姓邢氏
爵位 侯爵
国都 1. 邢
河北省邢台市信都区
2. 夷儀
山東省聊城市東昌府区
分封者 成王
始祖 姫苴
滅亡原因 により滅亡
史書の記載春秋左氏伝
(隠公4年に初見)
周朝諸侯国一覧
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概要 編集

邢は小国であるが、麦方鼎や邢侯簋など、邢国に関する西周時代の重要な青銅器資料が出土しており、文献の不足を補っている。

邢は北方の国であり、しばしば異民族に襲われた。『春秋左氏伝』閔公元年から僖公元年の記事によると、中山(鮮虞)の攻撃を受けて邢はいったん崩壊し、などの助けを借りて紀元前659年に夷儀(現在の山東省聊城市東昌府区)に遷った[1][2]。その後、紀元前635年にはに滅ぼされた[3]

脚注 編集

  1. ^ 『春秋』僖公元年「邢遷于夷儀。斉師・宋師・曹師、城邢。」
  2. ^ 呂氏春秋』仲秋紀・簡選「中山亡邢、狄人滅衛。桓公更立邢于夷儀、更立衛于楚丘。」
  3. ^ 春秋左氏伝』僖公二十五年正月「衛侯燬滅邢。」