ケメネヴァン (Quéménéven、ブルトン語:Kemeneven)は、フランスブルターニュ地域圏フィニステール県コミューン

Quéménéven
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ブルターニュ地域圏
(département) フィニステール県
(arrondissement) シャトーラン郡
小郡 (canton) シャトーラン小郡
INSEEコード 29229
郵便番号 29180
市長任期 アラン・ル・ケレック
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de Communes du Pays de Châteaulin et du Porzay
人口動態
人口 1138人
2010年
人口密度 40人/km2
住民の呼称 Quéménévenois, Quéménévenoise
地理
座標 北緯48度06分53秒 西経4度07分14秒 / 北緯48.114722度 西経4.120556度 / 48.114722; -4.120556座標: 北緯48度06分53秒 西経4度07分14秒 / 北緯48.114722度 西経4.120556度 / 48.114722; -4.120556
標高 平均:m
最低:m
最高:m
面積 28.21km2
Quéménévenの位置(フランス内)
Quéménéven
Quéménéven
公式サイト Site de la commune
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由来 編集

ケメネヴァンの教区は、1267年にKemenetmaenの名で記された[1]。ブルトン語のkemenetとはラテン語のcommendatioに対応する言葉である。元々の意味は『勧めること、資産を運用すること』である。この用語は、分割された領地が家臣に委託され与えられることを指す。例えば、モルビアン県ゲムネ=シュル=スコルフの場合は、レオン地方のケムネ=ティリの助祭またはケムネ・エボエの助祭のため生まれた名称である。彼らは中世のヴァンヌテ地方西部に広大な所領を持っていた[1]。接尾辞の-maenは、人の名であろうと推測されている[1]

ケメネヴァンは1675年の印紙税一揆につながりがある。

町の中にあるトレフリのマノワールは、第二次世界大戦中に、連合国側の飛行士が避難する経路の中継点として、重要な役割を担った。所有者のプルピケ夫妻は、レジスタンス集団パット・オリアリー(fr)の構成員であった。

人口統計 編集

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2010年
1407 1323 1208 1155 1151 1132 1149 1138

参照元:1999年までEHESS[2]、2000年以降INSEE[3][4]

脚注 編集

  1. ^ a b c Jean-Yves Le Moing, Noms de lieux de Bretagne : plus de 1200 noms expliqués, Christine Bonneton Éditeur,‎ , 231 p. (ISBN 2-86253-283-5), p. 173
  2. ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=28384
  3. ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
  4. ^ http://www.insee.fr