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ケーニヒスベルク (軽巡洋艦・初代)

Bundesarchiv Bild 105-DOA3002, Deutsch-Ostafrika, Kreuzer Königsberg.jpg
艦歴
発注: 1903年4月
起工: 1905年1月12日
進水: 1905年12月12日
就役: 1906年6月4日
退役:
その後: 1915年7月11日に戦没
除籍:
性能諸元
排水量: 基準:3,400 トン
満載:3,814 トン
全長: 115.3 m
全幅: 13.2 m
吃水: 5.29 m
機関:
最大速: 24.1ノット (44.6 km/h)
兵員: 322名
兵装: 10.5cm速射砲10門
5.2cm速射砲10門
45cm魚雷発射管2門

ケーニヒスベルク (SMS Königsberg) は、ドイツ帝国海軍軽巡洋艦ケーニヒスベルク級第一次世界大戦で戦没。

艦歴編集

ケーニヒスベルクは1905年12月12日進水し、1907年4月6日に就役した。

 
イギリス海軍モニター「セヴァーン」。
 
大破着底した本艦。
 
着底後に回収した主砲は野砲に改造された。

第一次世界大戦編集

ドイツ領東アフリカに配備されていたケーニヒスベルクは、第一次世界大戦が始まる直前の1914年7月31日にダルエスサラームを出港した。ケーニヒスベルクはアデン湾へ向かい、1914年8月6日にイギリス船シティ・オブ・ウィンチェスター (City of Winchester) を拿捕し、石炭などを徴発した後に沈めた。その後、ダルエスサラームとの連絡が途絶し石炭も不足したことからルフィジ川の河口に潜んだ。その後ザンジバル島でイギリス巡洋艦が修理中であるとの情報を得て攻撃に向かい、9月20日に修理中であったイギリス防護巡洋艦ペガサスを沈めたが、機関の故障によって再びルフィジ河口に潜伏した。

イギリス軍はこれを発見し、ルフィジ河口を封鎖した。長く膠着状態が続いたが、河口内に進入可能なモニター艦マージーセヴァーンが到着し、1915年7月11日の2隻による2度目の攻撃でケーニヒスベルクは撃沈された(en:Battle of Rufiji Delta)。

艦が撃沈された後、乗員はドイツ領東アフリカで連合国側と交戦していたドイツ軍指揮官レットウ=フォルベック大佐(のち少将)の指揮下に陸戦隊として吸収された。また、無事だった艦載砲は陸揚げされ、同様に砲兵戦力を増強することとなった。

外部リンク編集