ゲイリー・カーター

アメリカ合衆国の野球選手 (1954-2012)

ゲイリー・エドマンド・カーターGary Edmund Carter, 1954年4月8日 - 2012年2月16日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州カルバーシティ出身の元プロ野球選手捕手)。右投右打。愛称はキッドKid)。

ゲイリー・カーター
Gary Carter
Gary Carter Mets.jpg
ニューヨーク・メッツでの現役時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州カルバーシティ
生年月日 (1954-04-08) 1954年4月8日
没年月日 (2012-02-16) 2012年2月16日(57歳没)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1972年 ドラフト3巡目
初出場 1974年9月16日
最終出場 1992年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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選出年 2001年
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選出年 2003年
得票率 78.02%
選出方法 BBWAA[:en]選出

メジャーリーグベースボール(以下:MLB)で活躍し、野球殿堂入りした名捕手。

経歴編集

現役時代編集

カリフォルニア州カルバーシティ(Culver City)出身。サニーヒルズ高校時代には野球の他にアメリカンフットボールバスケットボールでも活躍。1974年9月16日に弱冠20歳でモントリオール・エクスポズでメジャーデビューを果たした。

1975年は自身初めてオールスターゲームに選出された。最終的にレギュラーに定着して144試合に出場し、打率.270、17本塁打、68打点と活躍した。ナショナルリーグ新人王は15勝をあげたジョン・モンテフュスコJohn Montefuscoが受賞したが、スポーティングニュースが選ぶ新人王は受賞した。

負担の大きい捕手というポジションでありながら主力打者として活躍し、捕手として出場しない時には一塁三塁外野として先発出場することもあった。また、捕手としてもベンチからも投手陣からも信頼が厚く、まさにチームを引っ張る選手となった。その後も活躍を続け、1981年には、オールスターゲーム史上5人目の1試合2本塁打を放ち、MVPに選出された。

1984年は2度目のオールスターMVPを獲得。最終的に106打点で打点王のタイトルを獲得した。オフにヒュービー・ブルックス英語版)ら5選手との交換でニューヨーク・メッツに移籍する。

メッツでもリーダーシップを発揮し、4番で起用され、移籍初年度の1985年には32本塁打・100打点。1986年にも24本塁打・100打点を記録し、この年のワールドシリーズ優勝に大きく貢献した。特に、2勝3敗で迎えて後のないワールドシリーズ第6戦(対ボストン・レッドソックスシェイスタジアム)では、延長10回表にリードを許し、10回裏二死と追い込まれたが、カーターの安打で口火を切って、最後は相手一塁手ビル・バックナーのサヨナラ失策で逆転に成功した(詳細は同項)。

このシリーズでもフェンウェイ・パークで1試合2本塁打を放ち、オールスターゲームとワールドシリーズの両方で1試合2本塁打を記録した(現時点で)唯一の選手となっている。

しかし、この年をピークに以後成績は下降。1989年限りでメッツからFAとなる。この年のオフに彼の慈善活動が認められ、ロベルト・クレメンテ賞を受賞した。

1990年はサンフランシスコ・ジャイアンツ、1991年ロサンゼルス・ドジャースと移籍続きで、現役最後となる1992年は古巣・エクスポズに復帰し、この年限りで現役引退した。

引退後編集

 
カーターのエクスポズ在籍時の背番号「8」。
モントリオール・エクスポズの永久欠番1993年指定。

引退の翌1993年、カーターのエクスポズ在籍時の背番号8』は永久欠番に指定された。後年、2005年にチームがワシントンD.C.に移転してワシントン・ナショナルズとなったことにより欠番は失効、現在は「旧エクスポズの永久欠番」という扱いとなっている。

引退後はもうひとつの古巣・メッツの巡回コーチとして活動し、この期間中の2001年にメッツ球団殿堂とカナダ野球殿堂に入り、そして2003年野球殿堂に有資格6年目にして選出され、12シーズンを過ごしたエクスポズの選手として初の栄誉の殿堂入りを果たした。

その後は2005年から2007年までメッツ傘下のガルフコースト・メッツ(ルーキー級)、セントルーシー・メッツ(A級)の監督を歴任し、2008年から2009年まで独立リーグのオレンジカントリー・フライヤーズロングアイランド・ダックスの監督を歴任、2010年からはパームビーチアトランティック大学のヘッドコーチを務めた。

2012年2月16日、2011年5月に患った脳腫瘍のため死去[1]。57歳没。2月19日にはエクスポズと同じモントリオールに本拠地を置くNHLモントリオール・カナディアンズが追悼セレモニーを行い、ナショナルズも開幕後の4月12日にセレモニーを行った。

詳細情報編集

年度別打撃成績編集

















































O
P
S
1974 MON 9 29 27 5 11 0 1 1 16 6 2 0 0 1 1 0 0 2 0 .407 .414 .593 1.007
1975 144 590 503 58 136 20 1 17 209 68 5 2 10 4 72 8 1 83 7 .270 .360 .416 .776
1976 91 347 311 31 68 8 1 6 96 38 0 2 2 3 30 2 1 43 7 .219 .287 .309 .596
1977 154 595 522 86 148 29 2 31 274 84 5 5 3 7 58 5 5 103 9 .284 .356 .525 .881
1978 157 607 533 76 136 27 1 20 225 72 10 6 2 5 62 11 5 70 10 .255 .336 .422 .758
1979 140 559 505 74 143 26 5 22 245 75 3 2 2 7 40 3 5 62 11 .283 .338 .485 .823
1980 154 617 549 76 145 25 5 29 267 101 3 2 1 8 58 11 1 78 9 .264 .331 .486 .817
1981 100 419 374 48 94 20 2 16 166 68 1 5 3 6 35 4 1 35 6 .251 .313 .444 .757
1982 154 653 557 91 163 32 1 29 284 97 2 5 4 8 78 11 6 64 16 .293 .381 .510 .891
1983 145 609 541 63 146 37 3 17 240 79 1 1 2 8 51 7 7 57 14 .270 .336 .444 .780
1984 159 669 596 75 175 32 1 27 290 106 2 2 0 3 64 9 6 57 8 .294 .366 .487 .853
1985 NYM 149 633 555 83 156 17 1 32 271 100 1 1 0 3 69 16 6 46 18 .281 .365 .488 .853
1986 132 573 490 81 125 14 2 24 215 105 1 0 0 15 62 9 6 63 21 .255 .337 .439 .776
1987 139 573 523 55 123 18 2 20 205 83 0 0 1 6 42 1 1 73 14 .235 .290 .392 .682
1988 130 503 455 39 110 16 2 11 163 46 0 2 1 6 34 1 7 52 8 .242 .301 .358 .659
1989 50 166 153 14 28 8 0 2 42 15 0 0 0 1 12 0 0 15 5 .183 .241 .275 .516
1990 SF 92 272 244 24 62 10 0 9 99 27 1 1 0 2 25 3 1 31 2 .254 .324 .406 .730
1991 LAD 101 280 248 22 61 14 0 6 93 26 2 2 1 2 22 1 7 26 11 .246 .323 .375 .698
1992 MON 95 325 285 24 62 18 1 5 97 29 0 4 1 4 33 4 2 37 4 .218 .299 .340 .639
MLB:19年 2295 9019 7971 1025 2092 371 31 324 3497 1225 39 42 33 99 848 106 68 997 180 .262 .335 .439 .774
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績編集

捕手守備


捕手(C)




















1974 MON 6 26 4 0 1 1.000 0 1 1 .500
1975 66 280 37 5 6 .984 6 22 21 .488
1976 60 311 36 2 7 .994 3 27 27 .500
1977 146 811 101 9 14 .990 9 113 55 .327
1978 152 781 83 10 9 .989 1 80 58 .420
1979 138 751 88 9 12 .989 3 75 66 .468
1980 149 822 108 7 8 .993 3 94 63 .401
1981 100 509 58 4 11 .993 4 50 44 .468
1982 153 954 104 10 6 .991 6 103 70 .405
1983 144 847 107 5 14 .995 6 86 75 .466
1984 143 772 65 6 6 .993 7 107 50 .318
1985 NYM 143 956 67 8 11 .992 5 99 51 .340
1986 122 869 62 8 13 .991 5 114 45 .283
1987 135 874 70 9 13 .991 5 122 46 .274
1988 119 797 54 9 5 .990 9 136 31 .186
1989 47 266 31 6 6 .980 3 46 20 .303
1990 SF 80 323 31 3 2 .992 4 66 21 .241
1991 LAD 68 355 45 5 2 .988 4 59 28 .322
1992 MON 85 481 52 6 3 .989 1 98 38 .279
MLB 2056 11785 1203 121 149 .991 84 1498 810 .351
内野守備


一塁(1B) 三塁(3B)
























1975 MON - 1 0 0 0 0 ----
1978 1 6 0 0 0 1.000 -
1981 1 6 0 0 1 1.000 -
1983 1 8 1 0 1 1.000 -
1984 25 218 13 1 19 .996 -
1985 NYM 6 31 3 0 2 1.000 -
1986 9 68 5 0 4 1.000 1 1 3 0 1 1.000
1987 4 10 0 0 1 1.000 -
1988 10 45 3 1 3 .980 1 0 1 0 0 1.000
1989 1 0 0 0 0 ---- -
1990 SF 3 25 0 0 3 1.000 -
1991 LAD 10 47 7 0 3 1.000 -
1992 MON 5 26 1 0 2 1.000 -
MLB 76 490 33 2 39 .996 3 1 4 0 1 1.000
外野守備


左翼(LF) 右翼(RF)
























1974 MON - 2 2 0 0 0 1.000
1975 - 92 150 1 4 1 .974
1976 2 2 1 0 0 1.000 34 50 5 0 1 1.000
1977 1 2 0 0 0 1.000 -
1985 NYM - 1 0 0 0 0 ----
1986 2 2 0 0 0 1.000 2 3 0 1 0 .750
1987 - 1 2 0 0 0 1.000
MLB 5 6 1 0 0 1.000 132 207 6 5 2 .977

タイトル編集

表彰編集

記録編集

背番号編集

  • 57(1974年)
  • 8(1975年 - 1992年)

脚注編集

  1. ^ Gary Carter dies at age 57 ESPN 2012-2-16

関連項目編集

外部リンク編集