ゲイリー・フェイ・ロック

ゲイリー・フェイ・ロック(英語:Gary Faye Locke、中国名:駱家輝,日本語読み:らく・かき、1950年1月21日 - )は、アメリカ合衆国政治家。第21代ワシントン州知事バラク・オバマ政権で第36代アメリカ合衆国商務長官、アメリカ合衆国駐中華人民共和国大使を務めた。中国系アメリカ人としてアメリカ史上初めて州知事に就任した人物として知られている[1]

ゲイリー・フェイ・ロック
Gary Faye Locke
ゲイリー・フェイ・ロック
生年月日 (1950-01-21) 1950年1月21日(74歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントン州シアトル
出身校 フランクリン高校
イェール大学
ボストン大学
所属政党 民主党
配偶者 モナ・リー (1994年10月 - 2015年4月)
子女 エミリー・ニコール
ディラン・ジェイムズ
マデリン・リー

在任期間 2009年3月26日 - 2011年8月1日
大統領 バラク・オバマ

在任期間 1997年1月15日 - 2005年1月12日
副知事 ブラッド・オーウェン

その他の職歴
ワシントン州の旗 ワシントン州
下院議員

1983年1月10日 - 1994年1月3日
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生い立ちと家族 編集

1950年1月21日ワシントン州シアトルで、5人兄弟の第2子として誕生する。父方の祖先は清代の広東省台山からの移民であり、ロックは中国系3世である。父のジェイムズはアメリカ生まれアメリカ育ちで、母のジュリーはイギリス統治下の香港出身だった。両親はロックに中国名駱家輝広東語発音:ロク・ガー・ファイ)を与えた。いくつか簡単な台山方言と広東語を少し話せるが、標準語(北京語)は全く話せないという。

1968年にシアトルのフランクリン高校 (enを首席で卒業する。ワシントン州ボーイスカウトに所属、アメリカ・ボーイスカウトの最高階級であるイーグル・スカウトに列され、殊勲イーグルスカウト賞が授与されている[2]

ロックはアルバイトで学費を稼ぎ、加えて学資援助や奨学金を利用してイェール大学に入学した。1972年に政治学の学士号を取得[3]。1975年にはボストン大学法科大学院法務博士号を取得した。

1994年10月15日にワシントン州シアトルのテレビ局KING-TVのレポーターであったモナ・リーと結婚。モナの父親は上海・母親は湖北の生まれで、共に台湾で育った後にアメリカへ移民した。ロックはモナとの間に3人の子供をもうけた。長女は1997年3月に誕生したエミリー・ニコール、長男は1999年3月に誕生したディラン・ジェイムズ、次女は2004年11月に誕生したマデリン・リーである。2015年4月に離婚。

初期の政治経歴 編集

1982年に南シアトル地区からワシントン州下院議員に選出。ワシントン州下院歳出委員会で委員長を務めた。1993年に中国系アメリカ人として初めてキング郡長官に選出。この選挙においてロックは3選目を目指していた共和党現職のティム・ヒルを得票率58パーセント対42パーセントで下した[4]

ワシントン州知事 編集

1996年にワシントン州知事選挙で勝利を収め、中国系アメリカ人としてアメリカ史上初めて州知事に就任した。ロックはこの選挙において、共和党所属の元州下院議員エレン・クラスウェルを得票率58パーセント対42パーセントで下した。ロックは都会派の自由主義者として同性愛人工妊娠中絶を擁護する論調で支持を集めた[5]。1997年に州の選挙管理当局はロックが主宰する政治委員会に対して、2500ドルの罰金を科した。選挙管理当局はこの罰金について、1996年の選挙活動中に州の選挙資金法に抵触する行為が認められたためであると公表した[6]。2000年の州知事選挙にも立候補し、ラジオパーソナリティの共和党候補ジョン・カールソンを大差で破っている[7]

ロックは共和党の「新税は無い」という路線に迎合する政策を採った。しかしながら2001年の経済危機に続いてワシントン州の財政が悪化すると、民主党員はロックを非難し、ロックによる州の財政再建案に異を唱えた。ロックが行った支出抑制策により、数千人の州公務員が一時解雇され、健康保険支給額が削減され、州公務員に対する給与支払いが凍結され、介護施設や発育障害児支援に対する資金援助が縮小された。

ロックは国政の場において副大統領候補の有力な新星の1人として民主党から言及された。ロックはジョージ・W・ブッシュ大統領の2003年一般教書演説において、教書に対する民主党としての応答を提示する役割を任された[8]。1997年の一般教書演説の際に州知事として出席したことがあった[9]

2004年ワシントン州知事選挙 編集

2003年にワシントン州のフィル・タルマッジ元最高裁判所判事は政治的左派の支持を受けて、2004年の州知事民主党予備選挙に立候補する計画を発表した。タルマッジはロックについて指導力を欠いていると指摘し、ロックの対抗馬になると言及した[10]。だがタルマッジは健康的理由により、選挙戦を早い段階で離脱した。

2003年7月にロックは周囲の意に反して、州知事の3選目を目指さないことを明らかにした[11]。これに関して「この州に対しては、深い愛情があります。ですが私はそれ以上に家族に対して多くの時間を捧げたいと思っています」と弁解した[11]シアトル・ポスト・インテリジェンサーの特別寄稿者スーザン・ペインターは、2期連続で州知事を務めたロックが公職を退く決断を下した要因について、ロックや家族に対する中傷や脅迫が関与していることを示唆した。そしてその脅威は特に2003年の一般教書演説において民主党の応答演説者を務めた後から激しくなり、それがロックの決断を決定的なものにしたと分析した[12]。ロックは何百通もの脅迫状や脅迫メールを受け取り、その中には子供を殺すとの脅し文句も含まれていた[12]

2005年1月12日の任期満了を持って州知事を退任。後任の州知事については2004年の州知事選挙の結果をめぐってアメリカ民主党のクリスティーン・グレゴワール候補とアメリカ共和党のディノ・ロッシ候補が僅差による集計で争っていた。そのため仮にロックの任期満了までに選挙結果が確定していなかった場合、州憲法の規定により後任が確定するまでロックが継続して州知事を務めることになっていた。最終的には手作業による3度目の集計により民主党のグレゴワール候補が後任となった[13]

2005年から2009年にかけて 編集

ワシントン州知事を退任した後、国際法律事務所であるデイビス・ライト・トリメインに加わった。この法律事務所では、中国関連の案件や政府間関係の案件を扱う部門に所属。2008年アメリカ合衆国大統領選挙民主党予備選挙においてヒラリー・クリントンを支持し、クリントン陣営のワシントン担当委員長を務めた[14]

アメリカ合衆国商務長官 編集

 
商務長官への指名を受けるロック

2008年12月4日にAP通信バラク・オバマ次期政権における内務長官の有力候補として、ロックの名前を報道した。だが実際にはコロラド州選出連邦上院議員のケネス・リー・サラザールが指名を受けた。

2009年2月25日にロックはバラク・オバマ政権において商務長官に指名された[6]。指名承認は2009年3月24日に行われ、アメリカ合衆国連邦上院は満場一致でロックを承認した[15]。就任式は2009年3月26日に実施され、リチャード・ジョーンズ連邦判事が就任宣誓を執り行った[16]。ロックは中国系アメリカ人として最初のアメリカ合衆国商務長官に就任した。アジア系アメリカ人としてはバラク・オバマ政権においてチューエネルギー長官シンセキ退役軍人長官に続く3人目の大統領顧問団(閣僚)となった。これによりバラク・オバマ政権は過去最多のアジア系アメリカ人閣僚を抱える政権となった。

アメリカ合衆国中国大使 編集

 
ロックは人権活動家陳光誠(左)のアメリカ入国を手助けした。右はカート・キャンベル

2011年3月9日にバラク・オバマ大統領は2011年4月末に退任するジョン・ハンツマンの後任の駐中国大使として正式指名した。2011年6月23日にアメリカ合衆国上院外交委員会は就任を承認し、8月1日より中国系アメリカ人として初の駐中国大使となる。 [17]。米国駐華大使としては、王立軍の亡命要請を拒否して中国へ迅速に身柄を引き渡したため、批判された。また、陳光誠のアメリカへの受け入れに関わり、こちらは高く評価された[18]

2013年11月20日にアメリカ合衆国駐華大使を2014年初頭に辞任する意向を発表した。ロックはメディアの取材に対して「子供たちにアメリカの教育を受けさせたい」と辞任の理由を説明したが、突然の辞任であったために様々な憶測が飛び交っている。陳光誠の事件に反発した中国政府の意向が影響してると唱える者もいる[18]

対中関係 編集

ロックは中国製品を特に愛用しているようであり、パソコン・書籍・携帯電話・DVD・電子レンジ・庭に置かれた家具・子どものおもちゃ・一家の衣服・そして自身の財布までもが中国製品である。ロックは「まさにアメリカ人は安価で品質の良い中国製品のおかげで余ったお金を教育・住宅購入・旅行・老後の資金などにまわすことができる」と指摘する。このためロックはワシントン州知事時代にアメリカ合衆国と中華人民共和国の間の経済・貿易関係の発展を積極的に推し進めた。

ワシントン州知事当選後間も無い1997年10月にロックはワシントン州政府高官22人を引き連れて初めて中国を訪れた。その後も訪中を重ねて中国の指導者と会談。様々な経済・貿易合意を締結し、経済・貿易関係の発展を促した。まさにロックの努力によって任期中に中国がワシントン州の第3の貿易パートナーとなり、アメリカの対中国輸出の7分の1をワシントン州が占めるようになった。

参考文献 編集

  1. ^ Gilbert Cruz (2009年2月25日). “Commerce Secretary: Gary Locke”. Time. http://www.time.com/time/politics/article/0,8599,1881587,00.html 2009年3月25日閲覧。 (英語)
  2. ^ Frank Chesley (2006年6月29日). “Locke, Gary Faye (b. 1950)”. HistoryLink. 2009年3月25日閲覧。(英語)
  3. ^ Biography of Governor Gary Locke”. Who's Who of Asian Americans. 2008年11月9日閲覧。(英語)
  4. ^ Del Rosario, Carina A. (1993年11月16日). “Gary Locke is new King County Executive: Locke becomes most powerful”. International Examiner. http://www.highbeam.com/doc/1P1-2221033.html 2009年4月25日閲覧。 (英語)
  5. ^ Lilkelly, Ned (1996-11-06), “Statehouse races end in a standoff”, Pittburgh post-Gazette: A16 (英語)
  6. ^ a b Sidoti, Liz (2009年2月25日). “Obama chooses Locke to run Commerce Department”. Yahoo! News. Associated Press. オリジナルの2009年2月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090228162329/news.yahoo.com/s/ap/20090225/ap_on_go_pr_wh/obama_commerce 2009年2月25日閲覧。 (英語)
  7. ^ Postman, David (2000年11月12日). “Strong Gore vote hints Washington no longer has swing-state status”. Seattle Times Newspaper. 2009年4月25日閲覧。(英語)
  8. ^ "Democractic Leaders Announce Governor Gary Locke Will Deliver the Democratic Response to State of the Union Address" (Press release). Congresswoman Nancy Pelosi. 15 January 2003. 2009年2月24日閲覧Senate Democratic Leader Tom Daschle and House Democratic Leader Nancy Pelosi announced today that Governor Gary Locke of Washington state will deliver the Democratic response to President Bush's State of the Union address.(上院民主党院内総務トム・ダシュル及び下院民主党院内総務ナンシー・ペロシは今日、ワシントン州知事ゲイリー・ロックをブッシュ大統領の一般教書演説に対する民主党の応答の演説者とすると発表した。)(英語)
  9. ^ Clinton, Bill (1997年2月4日). “Remarks By The President In State Of The Union Address”. The White House. 2009年2月24日閲覧。 “Gary Locke, the newly elected Governor of Washington State, is the first Chinese American governor in the history of our country. He's the proud son of two of the millions of Asian American immigrants who have strengthened America with their hard work, family values and good citizenship. He represents the future we can all achieve. Thank you, Governor, for being here. Please stand up.(新任のワシントン州知事ゲイリー・ロック氏は、わが国の歴史における最初の中国系アメリカ人知事であります。彼は厳しい労働、家族重視の価値観、良好な市民権の下にアメリカを強くした何百万人ものアジア系アメリカ人移民の中の2人が産んだ、偉大な息子であります。彼は、私たち全員が到達することのできる未来の象徴であります。ご来訪いただいた知事に感謝いたします。ご起立願います。)”(英語)
  10. ^ Mercurio, John (2003年1月28日). “GOP sees easy target in Democratic responder”. CNN Washington Bureau. 2009年4月25日閲覧。(英語)
  11. ^ a b "Gov. Gary Locke Announces He Will Not Seek a Third Term" (Press release). Washington State Office of the Governor. 21 July 2003. 2009年2月24日閲覧(英語)
  12. ^ a b Paynter, Susan (2003年7月26日). “Threats to Locke's family are a factor in third-term decision”. Seattle Post-Intelligencer. http://www.seattlepi.com/paynter/132272_paynter25.html 2007年12月17日閲覧。 (英語)
  13. ^ Staff reporter (2004年12月23日). “Wash. Recount Favors Democratic Challenger”. Associated Press. 2009年2月24日閲覧。 “If the legal fighting does not produce a new governor by the scheduled Jan. 12 inauguration, lame-duck Gov. Gary Locke, a Democrat, may have to stick around. That is because of a provision of the state constitution that says the governor's term of office is four years "and until his successor is elected and qualified.(仮に法廷闘争が1月12日の就任式までに新知事を確定できなかった場合、退任間際の民主党のゲイリー・ロック知事が残任することになる。これは知事の在職期限を在任4年経過かつ“選挙で選出された有資格者がいること”とする州憲法の条項によるものである。)”(英語)
  14. ^ Ammons, David (2007年10月7日). “Ex-governor Locke named Clinton state co-chair”. Seattle Post-Intelligencer. http://seattletimes.nwsource.com/html/nationworld/2003932467_weblocke07m.html 2007年10月17日閲覧。 (英語)
  15. ^ “U.S. Senate Confirms Gary Locke as Commerce Secretary”. United States Department of Commerce. (2009年3月24日). http://www.commerce.gov/NewsRoom/PressReleases_FactSheets/PROD01_007824 2009年3月25日閲覧。 (英語)
  16. ^ O'Keefe, Ed (2009年3月27日). “Locke Officially Leading Commerce”. The Washington Post. http://voices.washingtonpost.com/federal-eye/2009/03/locke_officially_leading_comme.html 2009年3月29日閲覧。 (英語)
  17. ^ “米、駐中国大使にロック商務長官を正式指名 初の中国系”. 朝日新聞. (2011年3月10日). http://www.asahi.com/international/update/0310/TKY201103100080.html 2011年3月10日閲覧。 
  18. ^ a b “米駐中国大使の突然の辞意表明に波紋”. 産経新聞. (2013年11月21日). https://web.archive.org/web/20131122074145/http://sankei.jp.msn.com/world/news/131121/chn13112120160010-n1.htm 2013年11月21日閲覧。 

外部リンク 編集

公職
先代
ティム・ヒル
キング郡長官
1994年1月4日 - 1997年1月15日
次代
ロン・シムズ
先代
マイク・ロウリー
  ワシントン州知事
第21代:1997年1月15日 - 2005年1月12日
次代
クリスティーン・グレゴワール
先代
カルロス・グティエレス
  アメリカ合衆国商務長官
第36代:2009年3月26日 - 2011年8月1日
次代
レベッカ・ブランク
外交職
先代
ジョン・ミード・ハンツマン (ジュニア)
  在中華人民共和国アメリカ合衆国大使
2011年8月1日 - 2014年3月1日
次代
マックス・ボーカス