ヨハン・ゲオルク・ファウスト: Johann Georg Faust: Johannes Faustus1480年? - 1540年?)は、15世紀から16世紀ドイツに実在したとされる占星術師、錬金術師。「ファウスト博士: Doktor Faustus)」の名でも呼ばれる。

ファウストの肖像画(17世紀)

民衆本『実伝ファウスト博士(: Historia von D. Johann Fausten)』や人形劇などで伝説が人口に膾炙し、後世これに取材した様々な創作が作られた。その中でも特にゲーテの戯曲『ファウスト』が著名。

姓のファウストは、ラテン語の「faustus(幸福な、祝福されたの意)」に由来する。

史実のファウスト 編集

実在性も含めて、その生涯には多分に不明な部分が含まれており、ヴュルテンベルククニットリンゲンまたはハイデルベルクで1466年もしくは1480年に生まれたとされる。1509年1月15日、ハイデルベルク大学神学博士号の16人の授与者1人に含まれているという記録があるが、別人説もある。生前は各地を放浪し、マルティン・ルターからは悪魔の力を借りていると非難されたという。1538年には、フォン・シュタオフェン男爵に雇われている。最期は錬金術の実験中に爆死したとされ、五体はばらばらとなったという。このことが後世に伝説の根拠となった。

物語のファウスト博士 編集

その死後、魔術に通じていたなどという伝説が出来上がり、特に悪魔(メフィストフェレス)と契約した人物として世に広く知られるようになった。

民衆本 編集

1587年、民衆本(: Volksbuch)『実伝ファウスト博士』(Historia von D. Johann Fausten)が書かれた。作者は不詳であるが、ヨーハン・シュピースという説もある。

ヨハネス(ヨハン)・ファウストは月夜のある日、魔法円を描きサタン召喚し、サタンの従者メフィストフェレスを呼び出した。そして、メフィストフェレスを24年間使役するかわりに、自分の肉体と魂を売る契約をした。ファウストは贅沢な暮らしの中、近所の娘に恋をした。その娘と結婚したいと欲するも、メフィストフェレスとの契約に違反するため願いは叶わなかった。そしてファウストは、ギリシア神話のヘレンを連れてくるようにとメフィストフェレスに命じた。同棲の末、ファウストとヘレンはユストゥスという息子をもうけた。だが最期にファウストはその息子ユストゥスに殺された。

他の創作 編集

その他オペラなどがある。

関連書 編集

外部リンク 編集