ゲルマニクスの死』(ゲルマニクスのし、: La Mort de Germanicus: The Death of Germanicus)は、17世紀フランスの巨匠ニコラ・プッサンによって描かれた、古代ローマの歴史を題材にしたキャンバス上の油彩画である。アメリカ合衆国ミネソタ州にあるミネアポリス美術館に所蔵されている[1]

『ゲルマニクスの死』
フランス語: La Mort de Germanicus
英語: The Death of Germanicus
作者ニコラ・プッサン
製作年1627年
寸法147,96 cm × 198,12 cm (5,825 in × 7,800 in)
所蔵ミネアポリス美術館ミネアポリス
ゲルマニクスの胸像 (10年ごろ)

来歴 編集

本作は、ローマの名門貴族バルベリーニ家英語版の出身であったローマ教皇ウルバヌス8世の甥フランチェスコ・バリベリーニ枢機卿によってプッサンに委嘱された[1][2]。芸術の庇護者としてバリベリーニ家は当時の芸術の発展を助けていた。本作は1958年までバルベリーニ家の末裔のもとにあったが、その年にミネアポリス美術館に購入された[1]

解説 編集

作品の主題は、タキトゥスの『年代記英語版』(117年) から取られた古代ローマの将軍ゲルマニクスの死である。プッサンはラテン語はできなかったが、イタリア語版を参照したと思われる[2]。作品は、おそらくこの主題を扱った最初の絵画である。第4代ローマ皇帝クラウディウスの兄であったゲルマニクスは第2代皇帝ティベリウスに奉仕して、熱烈な祖国愛によりゲルマン人との闘いに従事し、祖国を防衛した。ゲルマニクスの名はそれに由来する。その後、シリアに送られたが、シリア総督ピソと敵対し、アンティオキアで死んだ。ゲルマニクスは、死ぬ前にティべリウス帝の命でピソが自分を毒殺したと糾弾し、妻のアグリッピナと家族に自分のために復讐するよう誓わせた。ローマ人の間で、この悲劇は大変反響を呼んだ[2][3]

プッサン初の主要な歴史画である本作は、以降2世紀の間に制作された無数の「臨終」の絵画の原型となった。作品には、数多くのテーマ―死、苦痛、不正、悲嘆、忠誠、復讐―が表現されている。プッサンは歴史の主題だけでなく、人物の形体においてもローマ美術に倣っている。人物たちが前景に集めれている構図は、ローマの石棺レリーフに基づいている[1]

プッサンが古代ギリシアの画家ティマンテスの故事に倣っていることも指摘されている。ティマンテスは『イフィゲニアの犠牲』を描くに際し、何人かの登場人物の悲嘆の表情をだんだん高めていったが、最も悲痛である父アガメムノンの姿にはそのあまりの悲しみの仕草が彼の品位を落とすのを恐れ、衣で首をすっぽり覆って描いたといわれている。プッサンの本作で画面右下隅に座り、悲しみにくれているゲルマニクスの妻アグリッピナも、右手で顔を覆っているで描かれている[2]

脚注 編集

  1. ^ a b c d ミネアポリス美術館の本作のサイト (英語) [1] 2022年12月2日閲覧
  2. ^ a b c d カンヴァス世界の大画家 14 プッサン、1984年刊行、82頁、ISBN 4-12-401904-1
  3. ^ Pierre Rosenberg and Nathalie Butor, La Mort de Germanicus de Poussin du Musée de Minneapolis, Éditions des musées nationaux, coll. « Dossier du département des peintures » (no 7), 1973, 72 p.

外部リンク 編集