ゲームボーイ

かつて任天堂が製造販売した携帯型ゲーム機

ゲームボーイGAME BOY)は、1989年4月21日任天堂が発売した携帯型ゲーム機。略称は「GB」。

ゲームボーイ
Gameboy logo.svg
Game-Boy-FL.png
メーカー 任天堂
種別 携帯型ゲーム機
世代 第3世代
発売日 日本の旗 1989年4月21日
アメリカ合衆国の旗 1989年7月31日
欧州連合の旗香港の旗 1990年9月28日
大韓民国の旗 1991年5月2日
台湾の旗 1992年
CPU LR35902(4MHz)
対応メディア ロムカセット
対応ストレージ バッテリーバックアップ
コントローラ入力 内蔵
外部接続 通信ポート
売上台数 日本の旗 1,242万台
アメリカ合衆国の旗 1,800万台
世界 4,942万台
最高売上ソフト 日本の旗 テトリス /424万本(単独)[1]
ポケットモンスター 赤・緑 /822万本(2本合計)[1]
世界 テトリス /3,500万本[1]
互換ハードウェア スーパーゲームボーイ
ゲームボーイポケット
ゲームボーイライト
ゲームボーイカラー
前世代ハードウェア ゲーム&ウオッチ
次世代ハードウェア ゲームボーイカラー
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概要編集

1,280万台以上を売り上げた初の携帯ゲームタイトルゲーム&ウオッチの次世代ゲーム機器として発売した商品であり、任天堂の携帯ゲーム機としては2つ目にあたる。同社を玩具メーカーとして成長させた横井軍平が開発[2]。また、エポック社から発売されたゲームポケコンに次ぐROM交換方式の携帯型ゲーム機である。

開発当初はファミリーコンピュータよりも高画質なメガドライブPCエンジンなどが発売されており、任天堂もこれらに対抗するスーパーファミコンの開発を進めていた状況で、本機は乾電池の持続性と価格面の兼ね合いからモノクロ型(4階調)を採用している。社内では「今さらモノクロで売れるのか」とあまり期待しない声があったが[2]、世界累計で5,000万台近くを出荷した。

後に本機の名称を冠した携帯型ゲーム機や周辺機器が2005年の16年間に渡って同社から発売された。

沿革編集

  • 1989年
    • 1月17日 - 同年4月14日に発売と発表される。本体は月産30万台、ソフトは月産100万個のペースでの生産計画[3]
    • 3月 - 任天堂がコナミ、バンダイ、カプコン、アスキー、ジャレコなど21社とライセンス契約を結び、ライセンスは原則としてゲームソフトの種類ごとに契約する「タイトル契約」とした[4]
    • 4月21日 - ゲームボーイ発売[4]
    • 8月末 - 出荷台数が国内71万台、米国45万台でトータル100万台以上を突破。品薄状態のため、本体の月産を40万台、1990年8月までに月産100万台へ。サードパーティは約50社。[5]
  • 1990年
    • 1月 - 品薄状態のゲームボーイなどを人気のないゲームソフトと抱き合わせで小売店に販売していた玩具問屋6社、支店8ヶ所が独占禁止法違反の疑いで立入検査される[4]
    • 5月末 - 出荷台数が262万台、サードパーティは72社[6]
    • 7月31日 - ビック東海が任天堂の許諾を得て、ゲームボーイ専用の拡大鏡『ライトボーイ』を日米同時発売、1991年3月までに50万個出荷予定[7]
    • 8月 - 出荷台数が304万台、ソフトは74タイトルで1872万個出荷[8]
  • 1991年
    • 2月 - ゲームギアPCエンジンGTなどの対抗機が出現したことによりいわゆる「携帯ゲーム機戦争」に突入[4]
    • 10月 - 玩具問屋業界、ゲームボーイソフトの在庫が深刻化[4]
  • 1992年
    • 5月 - 日本航空、国際線で機内用のゲームボーイ無料貸出し開始[4]
    • 12月 - アジアでゲームボーイのコピーソフトが出回る[4]
  • 1993年12月 - 国内出荷台数が974万台、米国では1477万台、ソフトの出荷数は国内6105万個、米国6290万個[9]
  • 1994年11月21日 - 初のカラーバリエーションであるゲームボーイブロス発売。
  • 1995年10月 - タカラがゲームボーイをモチーフにした「ゲームボーイシャンプー」を発売[4]
  • 1996年
    • 2月 - 『ポケットモンスター赤・緑』発売。このゲームがキラーソフトとなり、完全に下火になっていたゲームボーイ業界が再加熱[4]
  • 1997年
    • 7月 - ハドソン全国キャラバンが、ゲームボーイ人気の急上昇を受け『スーパービーダマン ファイティングフェニックス』で行われた[4]
    • 12月 - ポケモンショックが起こり、『ポケットモンスター赤・緑』でも画面の高速点滅による健康への問題の有無が取り沙汰された[4]
    • 7月 - バンダイがゲームボーイに接続して使用する魚群探知機「ポケットソナー」を発売[4]
  • 2003年
    • 9月 - 「ゲームボーイライト」「ゲームボーイポケット」を含めたモノクロシリーズの生産が終了。
  • 2007年10月31日 - 修理サポート終了。

ハードウェア編集

名称
プロジェクトリーダーの岡田智が、偶然目にした雑誌名「ゲームボーイ」を気に入り、ゲームボーイの商標を任天堂が取得し、商品名に使用することになった。
「ゲームボーイ」という名称がイギリスでは性差別として問題となったこともある。これをコピーライターの糸井重里が名付けたという噂があるが誤り[注 1]
デザイン
パッケージのデザインは横井軍平が行っており、これはデザイン費用を軽減させるためでもあった。裏面を付属品の説明にしたのも横井のアイディアである。発注は、和多田印刷の北工場(当時)。
初代ゲームボーイの本体や初期の頃のゲームボーイソフトのパッケージに印刷されている、小さな四角は21個あり、本体の発売日の21日にちなんでいる。
初代ゲームボーイの配色や発売日を決めるのに使った花札は、任天堂の裏紙が赤の『都の花』である。
筐体
筐体デザインは、下部がアシンメトリーになっており、左側を軸にして本体を支えつつ十字キーを操作し、よく使うAボタン・Bボタンがある右側の下部は丸みをおびた曲線にして、本体が手首に当たらないように配慮している。
横井の発案で、当初はストラップホールの装着が提案されていたが、当時はストラップという存在がほとんど知られていなかったため装着が見送られた[注 2]
 
湾岸戦争で外装が破損したゲームボーイ。Nintendo New York展示。
子供が取り扱うものであるため、ゲームボーイ本体には厳しい耐久テストがあり、頑丈に設計されている。耐久テストとして本体を高いところから投げ落とし、壊れた場合には作り直し、投げられた後でもきちんと動作すると確認できてから発売が決定したとも言われ[2]、具体的には「開発当時、任天堂の社長だった山内溥が完成したばかりの最終デモ機を床に叩きつけ、問題なく動作したため発売が決定された」という情報源の不明な逸話が流布している。これについて任天堂広報室は「いつの間にか、そのような話ができあがった」とコメントしている[10]
任天堂は、「ゲーム会社にできる唯一の支援」として、湾岸戦争の際にアメリカ軍兵士に暇潰し用としてゲームボーイを提供した。その後、空爆で倒壊した兵舎から発見されたゲームボーイは、外装がひどく焼けていたが内部には問題はなく、正常に動作したというエピソードがある[11][12]。このゲームボーイは、その後ニューヨークの任天堂直営店「Nintendo New York」に保管展示されており、触ることは出来ないが、常時『テトリス』のデモ画面が動いている[12]
液晶
シチズンから液晶テレビ用のモノクロディスプレイの売り込みがあり、開発がスタートした。本機はシャープと共同で開発し、シャープは40億円を投じゲームボーイの液晶開発用の工場を設立。液晶は同社のものを使用している。
画面はSTN反射式モノクロ液晶。異なるゲームのあらゆる表現に対応する液晶表示として、細かい表示セグメントを縦横に格子状に敷き詰めたドットマトリクス式を採用した。開発時はTN液晶の採用が検討されていたが、当時任天堂の社長だった山内溥の「画面が見られない」との意見でSTNに変更された。STN型液晶は反射に弱いため、画面のコントラストを調節するダイヤルがついている。コントラストを弱くするほど電池の持ちが良くなる。ゲームボーイの液晶の寿命は短く、『スーパーマリオランド』や『アレイウエイ』などのようにプレイヤーの残り数が固定位置に表示されるソフトは、残り表示が見にくくなることがあった。また、液晶の反射板が黄色(金色)に近い色で、ドットの配置されているLCDの大部分では液晶の灰色みがわずかに混じった鈍い黄緑色になっており、視認性は悪かった。[注 3]
モノクロ液晶問題の際、横井軍平とは別に、山内溥社長(当時)と一緒に開発二課の上村雅之もシャープ総合開発センター(奈良県天理市)内にあった、液晶工場に出向きSTN液晶の調整に関わっている。最終調整は、横井軍平が行った。
液晶画面には経年とともに横線・縦線状の空ラインが発生してその部分が表示されなくなり、プレイに支障をきたす故障が多発した。湾岸戦争帰りのゲームボーイ写真では「LINES」の行で画面中央部を横切る白い横線がそれである(写真の例はまだ初期症状)。使用時間がさらに経過するとこの症状はさらに進行し、空線が幅広くなったり別の位置にも新たな空線が出現したりする。それゆえ現存する初代ゲームボーイで正常な画面のものはとても少ない。またこの不具合はゲームボーイブロス、同ポケット、同カラーへの買い替え需要の一因にもなった。多少は個体差もある。後にライン抜けの原因は特定されており、熱可塑性樹脂を採用した信号ケーブルの接触不良である[13]。この伸び縮みする弾性部分に持ち歩く等の振動に繋がる行為を極力行わない個体は酷使されても画面故障の起こらない場合もある[注 4]。また、有志によりYoutubeなどで故障部に熱を与え修理する動画も公開されている[要出典]
液晶保護カバー
液晶保護カバーのフレームの色は、花札の『藤に時鳥』にちなんで『藤色』。十字キーの『黒色』、Aボタン・Bボタンの『赤色』は、花札の裏紙の色を表している。
液晶保護カバーがついているために、中にゴミやホコリが入ると取り出せなくなり、非常に見づらくなるため、所有者の中には自らカバーを分解してホコリを取り除く者もいた。また、カバーの影が液晶に落ち、画面最上部の表示が見づらいといった難点も生じた[注 5]
音声
一般的にゲームボーイの音声チャンネルは本体のスピーカーでは、モノラルである。ステレオヘッドホンなどを使用すると、自動でステレオにチャンネルが切り換わる。最初の値下げの前まではゲームボーイにステレオイヤホン(外箱には「ステレオヘッドホン」と記載)が同梱されていた。
電源
電源には世界規格である乾電池を使っていて、かつ使用に際して本体とソフト以外の装置が不要で、発展途上国の一般家庭にまで広く普及している希有なハードでもある。
「外国人は充電してまで遊ばない」といった乾電池の搭載を指針する発言は、充電式アダプタに使用する世界各国の電圧やコンセント、プラグの形状を考慮したためである。また、持ち運んで携帯することに重点をおいたためでもある。
電池ランプ
初代ゲームボーイには「パイロットランプ」が採用されている。このランプを安定して点灯させるための電圧が電池から得られなくなると、次第にこのランプの光がチカチカするので、これによって電池を交換するタイミングがわかる。もっとも、電池残量が少なくなると画面の映りが悪くなるので、こうした形でも電池の残量は把握できる[14]
電池の持続性
ライバルメーカーであるセガやNEC-HEアタリが本ゲーム機に対抗して発売した携帯ゲーム機(「ゲームギア」、「PCエンジンGT」、「Atari Lynx」)について横井軍平は「ライバルがカラーで出たらウチの勝ち」と最初から情勢を読み切っている(当時携帯ゲーム機のカラー化は高コストかつ消費電力が高かった。ゲームボーイはコストと消費電力を抑えることのできる白黒液晶を採用していた)。
1990年(平成2年)8月28日に行われた第2回初心会展にて、当時の任天堂社長の山内溥もカラー化すればモノクロと比較して「電池の寿命が十分の一しかない、これでは携帯型ゲーム機としてユーザーが満足しない」と発言している[8]
通信
他のゲームボーイと通信ケーブルで通信できる。主に対戦やデータ交換に使われた。
可能な限り機能を削って費用削減を目指して開発されたが、後期における大躍進のきっかけとなった通信機能は、付けても大して生産費用が上がらず、何か面白いゲームができるかもしれないという漠然とした理由で、開発者の横井軍平曰く「深く考えずに付けた」などとする話が残されている。
"RDY/ACK"信号(通信準備のための信号と、通信が正確に行われたことを証明する信号)が全くないために、通信を正確に行うにはトリッキーなプログラムが必要だった。通信中にケーブルを引き抜くとデータが破損するという注意書きもあったが、通信中に誤ってまたは悪ふざけでケーブルを引き抜く事故が絶えず、これを利用してバグ技に使用するものもいた。『ポケットモンスター』ではポケモンをコピーする裏技があった。
価格
ゲームボーイ本体は1989年4月21日に12,500円(消費税3%税込)で発売後、1993年6月6日に『ゼルダの伝説 夢をみる島』発売と同時に9,800円(消費税3%税込)に価格改定(このとき専用ステレオイヤホンは別売に)が行われ[15]、翌年1994年5月1日に8,000円(税別)[16]に再度価格改定が行われた。

仕様編集

 
DMG-CPU
  • CPUシャープ製のLR35902がサウンドなどの機能と共に組み込まれている。動作クロック周波数は、4.19MHz。Intel 8080に近似した機能を持つカスタムプロセッサである。但しIntel 8080から一部の命令が削減され、Z80のフラグ処理の一部と電源制御に使われる独自命令及び仕様が追加されていることや、シャープがZ80のセカンドソースメーカーであることから、カスタムZ80とも表記される。[注 6]
  • RAM:8kバイト
  • VRAM:8Kバイト
  • ROM:256k - 32Mビット
  • 画面:4階調モノクロ、160×144ドット
  • スプライト:8×8(最少)1画面中 最大40個表示 / 1水平ライン上に 最大10個表示
  • BG:1面/256×256制御(32x32タイル)
  • ウィンドウ機能(スクロール制限あり)
  • サウンド:パルス波(矩形波)2ch+波形メモリ音源1ch+ノイズ1ch
ステレオ出力可(定位は左、中央、右の3つのみ)。イヤホン、またはヘッドフォン等の外部出力使用時のみステレオ音声。イヤホン未使用時は本体に登載のスピーカーが1つの関係で各チャンネルの音声は合成されてモノラル出力となる。
  • 電源:単3形マンガン乾電池4本 (SUM-3 AA,R6) / 専用充電式アダプタ(初代機のみ対応) / 専用バッテリーケース(単二電池4本使用で約40時間使用可・初代機のみ対応)
  • 通信ポート:シリアル通信ポート搭載(別売りの通信ケーブルにより対戦プレイが可能)
  • 割込み機能:パッド入力割込み、シリアル通信割込み、タイマー割込み、LCDC割込み、Vブランク割込み

ファミリーコンピュータとの比較編集

ファミリーコンピュータと比較してCPU,RAM,VRAMの性能で優れている。『X(エックス)』(1992年5月発売)などでは、このCPU性能を活かし、低fpsではあるが隠面消去を行ったワイヤーフレームによる完全な3DCGを描画していた。ファミリーコンピュータにも同様に3DCGを用いた『スターラスター』があるが、点とスプライトのみの描画であった。

一方で、画面解像度と色数とスプライト表示性能はファミリーコンピュータの方が優れていた。特に、ファミリーコンピュータはカラー表示ができたが、ゲームボーイはモノクロであった。従って、キャラクターのアニメーションではゲームボーイの方が優れているが、静止画の質はファミリーコンピュータの方が優れていた。

音源の面では、ゲームボーイの音源のパルス波(矩形波)やノイズはファミリーコンピュータとほぼ同等の音だが、ファミリーコンピュータでは疑似三角波とDPCM音源を鳴らせたのに対し、ゲームボーイでは波形メモリ音源を鳴らすことができた。また、ファミリーコンピュータの音源は全てモノラルだったのに対し、ゲームボーイの音源は全てステレオ再生可能だった。ただし、本体のスピーカーは1つのためモノラル出力であり、ステレオで聴くにはイヤホンジャックの利用が必要だった。

音量レジスタの値を高速に変更することでPCM再生を行うことも可能で、『ポケットモンスター ピカチュウ』のゲームスタート画面などで利用していた。 しかし、音量レジスタ書き換え時に非線形に音量が変化してノイズが発生するため、初めからPCM再生を行うことを想定してDPCMを搭載していたファミリーコンピュータに比べると音質が著しく劣っていた。

カラーバリエーション編集

ゲームボーイブロス
1994年11月21日に発売された初代製品のカラーバリエーション。ブロスとは「brothers」の省略形「bros.」をカタカナにしたもの。商標としての提案者は糸井重里[17]。任天堂発売のGBカートリッジ同梱(特に『マリオのピクロス』)の広告や雑誌などでは「ゲームボーイブラザーズ」と紹介されることもあった。初代製品に似たホワイト(白、AB両ボタンが赤紫ではなく黒)、スケルトン(透明無色)、レッド(赤)、イエロー(黄)、グリーン(緑)、ブラック(黒)がある[17]
 
ゲームボーイブロス スケルトン

ソフトウェア編集

構成
商品としてのソフトの構成は、紙製の外箱、真ん中にソフトを納めるためのくぼみが開いたプラ製の透明トレー、ソフトケース、説明書を基本としている。ソフトによっては葉書やチラシなどがついたものもあった。ゲームボーイカラー専用ソフトになるとカートリッジ形状の変更による製造コストの関係からこの構成は変化し、トレーが紙製になり、さらにソフトケースがつかなくなり薄いビニール袋で代用された。モノクロ用の全ゲームボーイソフトにケースがついていたため一部では「新品なのにケースがついていない」と勘違いするものもいた。この変化以降、任天堂のすべての携帯ゲーム機のソフトにソフトケースが付属しなくなった。
中古店などではソフトのみの状態を俗称でハダカと呼称していたが、これは箱やケースなどの付属品がすべてない状態を指す(着用品に例え、何も着ていないし何も持っていないので裸という意味)。
ソフト本体の仕様としてラベル面の右上にだけ欠けが見られるが、これは初代ゲームボーイの起動時にスイッチオンと連動して出っ張りが突出し右上の欠けたこの位置に当たるためである。この出っ張りは欠けた部分に出っ張りが引っかかるこの位置までソフトを挿入して下さいという意味でありソフトを浅く挿入しただけでは本体の出っ張りにソフトが接触して起動すらできなかった。
ライセンス表記
日本の初期のサードタイトルの多くのソフトには、タイトル画面の一番下に『LICENSED BY NINTENDO』が表記され、任天堂の許可を得てリリースされていることを示しており紙箱のイラストも任天堂のソフトと酷似しているが、スクウェア(後のスクウェア・エニックス)などのメーカーや、後期のサードソフト作品では表記されていない。ハル研究所開発、任天堂発売の『星のカービィ』では、開発元が自社で発売される予定の『ティンクルポポ』の内容をアレンジしたものであるため、『LICENSED TO NINTENDO』の表記がある。
リセット機能
ゲームボーイ専用カートリッジには「A」+「B」+「START」+「SELECT」をタイトル画面以降に同時に押すとリセットされる機能があることが多い。任天堂のソフトではほとんど備わっていて初期のソフトには説明書にも表記されていた。『ゼルダの伝説 夢をみる島』では例外的にセーブに割り当てられている。コナミなど、サードタイトルのソフトには必ずしも搭載されているわけではない。ゲームボーイアドバンス以降の任天堂携帯ゲーム機にもこの機能は引き継がれている。

ゲームタイトル編集

1989年4月21日に発売されたローンチタイトルは『スーパーマリオランド』『アレイウエイ』『ベースボール』『役満』の4本だった[2]。同年6月に発売された『テトリス』の売上本数は最終的に423万本を数えるヒットとなった。

日本国内において、本機で動かせる最後の任天堂公式ソフトは2002年6月28日に発売されたバンプレストの『From TV animation ONE PIECE 幻のグランドライン冒険記!』であり、これはカラー・モノクロ兼用ソフトである。当時は本体発売から13年2か月経過しており、任天堂ハード全体では最も長寿であった[注 7]

2002年以降も非公式としてソフトのリリースは続いており、発売30周年となる2019年4月21日には、『ゲームインパクト』から『ドラキュラの城』が発売された。

本体・周辺機器編集

製品コードのDMGは「Dot Matrix Game」が由来。

周辺機器の充電式アダプタも本体強度はゲームボーイ本体並に強かったが、表面のロゴが削れて消えやすかった他、配線のビニール素材がねじれに弱く断線不良を起こしがちであった。この充電式アダプタはスーパーファミコン本体と同じく特殊形状のネジが使用されており、市販の専用ドライバーを入手しなければ分解は困難[18]

1994年後期 - 1995年初期にカセットラベルに書かれたコード「DMG-○○J(A)」から「DMG-○○○J-JPN」に変更された。

型番 名称 備考 価格
DMG-001 ゲームボーイ 本体。発売当時は12,500円(税込)。1993年6月6日に9,800円(税込)に価格改定。1994年5月1日に8,000円(税別)に再度価格改定。 8,000円
DMG-002 ステレオヘッドホン イヤホン端子に接続して使用。本体スピーカーではモノラルだったサウンドをステレオで聴ける。本体同梱品でもあったが、価格改定時に別売りに 1,000円
DMG-003 充電式アダプタ 初代機用のACアダプタ兼用の充電式電池。フル充電時で約10時間使用可能 3,800円
DMG-004 通信ケーブル 2台の本体(それぞれソフトも必要)を接続して通信プレイが可能。
GBポケット以降への使用は変換アダプタが必要
1,500円
DMG-005 バッテリーケース バッテリー増設用のケース。単二電池4本使用で約40時間使用可能。
DMG-003ほど普及しなかったため、生産数も少ないとみられる。初代機用
 
DMG-006 ソフトケース 本体やカートリッジを収納するケース。 0800円
DMG-007 4人用アダプタ 本体とソフトは人数分、通信ケーブルは(人数分-1)本必要
公式には初代機のみ使用可能
3,000円
DMG-008 クリーニングキット GBASPまで使用可能 0800円
DMG-009 カートリッジ カートリッジのみの販売はない
ゲームボーイ用ソフトにはカートリッジケースが付属する。
 
DMG-013 振動カートリッジ ポケモンピンボール』などに搭載  
DMG-014 変換コネクタ MGB-004とは逆にMGB-008・CGB-003を初代GB対応にする。
CGB-004同等品。日本では未発売。
 
DMG-020 ジャイロセンサー
カートリッジ
コロコロカービィ』などに搭載。
型番は「DMG」だがゲームボーイカラー専用ソフトしか存在しない。
 
GB-8 ACアダプタ ホリ電機OEM製品であるため、任天堂純正と同じデザインのパッケージでありながら「DMG」の型番ではない[19] 1,500円
VG-01 カーアダプタ ホリ電機のOEM製品。12V車のシガーアダプタソケットで本体に給電出来る。

CM編集

数種類のCMが放映された。

日本発売時
3人の海外の少年がゲームボーイを持って初めて旅に出るというシチュエーションであった。2パターンあり、1つは家畜車の藁の上で寝て、夜はたき火を囲みながらゲームに興じ、便乗した貨物列車から原野に飛び出すがゲームボーイを忘れたことに少年たちは取りに戻るというシーンが描かれた[20]。もう1つは同じく海外の少年3人がヒッチハイクをするために路上で車を待つ間にゲームに興じていたら、車に意思表示をするのを忘れてしまい、通り抜けた車を走って追いかけるというものであった。2つのCMともに「君とならどこまでも」というフレーズで締めくくる。
テトリス発売時
ロボコップ風のキャラクターが指先から放った光線で成人男性を召喚しテトリスで対戦するというもの。
ゲームボーイブロス発売時
当時SMAPのメンバーであった木村拓哉が仕事の合間にゲームに興じるというもの[17]。CMの最後に木村が「君は何色?」と視聴者に問いかける。

その他編集

  • 任天堂より交通事故に遭った少年に渡されたゲームボーイは、怪我をした少年の腕に合わせて、初代ゲームボーイの十字キーとAボタン・Bボタンの位置を入れ替えたものである。このゲームボーイの基板の半田付けや筐体のボタン位置調整などは、当時開発部長だった横井軍平が当時の任天堂本社(京都市東山区福稲上高松町、後に京都リサーチセンターとなる場所)内で全て行った。なお、この行為は、山内溥社長(当時)に承諾を得ており、基板の半田付けの際に様子を見に来ている。
  • 前述の旧任天堂本社には、初代ゲームボーイにちなんで藤の木が植えられている。
  • 別冊宝島には1989年のサブカル・流行の1つとしてゲームボーイが紹介されている[21]

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ サイト『ほぼ日刊イトイ新聞2007年7月10日付にて自ら「『ゲームボーイ』と『バーチャルボーイ』のネーミングは、ぼくじゃありません」と述べている。
  2. ^ ストラップホールは横井の死後、ゲームボーイカラーに付けられた
  3. ^ なお、ゲームボーイポケット以降ではベースをやや白色に変えたり耐久性を見直したこともあり、かなり視認性が向上した。
  4. ^ 腕時計に使われる防水用の円形ゴムも振動で劣化し弾性がなくなり防水の役割を果たさなくなるが、据え置いている品はゴム部の弾性がそれなりに長持ちする。
  5. ^ この点は後にゲームボーイポケットで改善している
  6. ^ 当初はファミコンと同じCPU「MOS 6502」を採用し、ファミコンより性能を上げたものを作ろうとしていたが、当時、スーパーファミコンの開発が始まっており、山内溥から、リコーのリソースは使うなと言われ、シャープ製CPUを採用することになった。
  7. ^ これより後にリリースされたゲームボーイシリーズの任天堂公式ソフトはカラー専用もしくはアドバンス用であり初代機では動かせないが、参考までにカラー専用ソフトを含めた任天堂公式ソフトは2003年7月18日に発売されたエポック社の『ドラえもんのスタディボーイ かんじよみかきマスター』が最後となり、こちらは旧ゲームボーイシリーズ発売から14年3か月後となる。

出典編集

  1. ^ a b c ミリオンセラーのゲームソフト一覧』より転載。
  2. ^ a b c d マガジンボックス 2017, pp. 4-5.
  3. ^ 任天堂、液晶ゲーム「ゲームボーイ」発表 ソフト交換式で 他社からもカートリッジ許諾発売へ」『ゲームマシン』第350号(アミューズメント通信社)、1989年2月15日、2面。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l マガジンボックス 2017, pp. 100-103.
  5. ^ 「ゲームボーイ」好調で 携帯用市場拡大 サードパーティーも参入」『ゲームマシン』第367号(アミューズメント通信社)、1989年11月1日、2面。
  6. ^ FC/GBソフトの評価情報を提供 「スーパーマリオクラブ」で」『ゲームマシン』第385号(アミューズメント通信社)、1990年8月1日、3面。
  7. ^ GBの画面を 明るく拡大する ビック東海の「ライトボーイ」」『ゲームマシン』第385号(アミューズメント通信社)、1990年8月1日、4面。
  8. ^ a b 「スーパーファミコン」発売間近で 関心高めるソフト 初心会のSFC/FC/GB展」『ゲームマシン』第389号(アミューズメント通信社)、1990年10月1日、3面。
  9. ^ GBソフトが使える SFC周辺装置 任天堂が6月にも発売」『ゲームマシン』(PDF)、第470号(アミューズメント通信社)、1994年4月15日、4面。
  10. ^ DS故障は無償交換!?任天堂の“神対応”は本当か - ZAKZAK - ウェイバックマシン(2009年5月25日アーカイブ分)
  11. ^ CAMERON SHERRILL. “This Game Boy Survived a Bombing in the Gulf War”. Esquire.com. 2020年2月29日閲覧。
  12. ^ a b マガジンボックス 2017, p. 97.
  13. ^ 初代ゲームボーイの液晶ライン抜け修理のこと | tee-suzuki.com”. tee-suzuki.com. 2020年11月1日閲覧。
  14. ^ マガジンボックス 2017, pp. 98-99.
  15. ^ ゲームボーイチラシ 【ゲームボーイ本体チラシ】” (日本語). 自転車. 2019年11月25日閲覧。
  16. ^ ゲームボーイ”. 任天堂. 2020年11月1日閲覧。
  17. ^ a b c マガジンボックス 2017, pp. 6-7.
  18. ^ 【解体】 Nintendo GAME BOY 充電式アダプタ DMG-03 みはりんの電池コレクションブログ
  19. ^ GBアクセサリ「アダプタ系」[リンク切れ]
  20. ^ マガジンボックス 2017, p. 116.
  21. ^ 別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』p.93.

参考文献編集

  • 『懐かしゲームボーイパーフェクトガイド 未来を切り開いた伝説の携帯ゲーム機』マガジンボックス〈M.B.MOOK〉、2017年2月25日。ISBN 9784866400259OCLC 1002831980

関連項目編集

外部リンク編集