ゲーリー・ウルフGary Wolfe1967年3月11日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーニュージャージー州ハモントン出身。

ゲーリー・ウルフ
ゲーリー・ウルフの画像
プロフィール
リングネーム ゲーリー・ウルフ
ピットブル1号
ピットブル
ピットブル・スパイク
マッドブル・スパイク
本名 ゲーリー・ウルフ
ニックネーム ピットブル
猛犬戦士
身長 178cm
体重 100kg
誕生日 (1967-03-11) 1967年3月11日(57歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニュージャージー州ハモントン
トレーナー ラリー・シャープ
デビュー 1988年
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来歴 編集

1987年ラリー・シャープが主宰するトレーニングジムのモンスター・ファクトリーへ入門し、1988年1月2日、ジョージ・スコットの主宰するMAWA(Mid-Atlantic Championship Wrestling)にてデビューを果たす[1]

1989年WWFに出場。トニー・デュランテ英語版とタッグを組み、ハート・ファウンデーションブレット・ハート&ジム・ナイドハート)やブレイン・バスターズ(タリー・ブランチャード&アーン・アンダーソン)といった名タッグチームのジョバーを務めながらキャリアを積んだ。

1990年4月、AWA(Arena Wrestling Alliance)にてウルフはピットブル1号Pitbull #1)、デュランテはピットブル2号Pitbull #2)へと変更し、「ピットブルズ」のタッグチームで活動を開始した。NAWA(North American Wrestling Association )、SAPW(South Atlantic Pro Wrestling)に参戦後、1991年7月、初来日を果たし、新日本プロレスに参戦。タッグチーム名をマッドブル・バスターズにし、マッドブル・スパイクMad Bull Spike)のリングネームで出場。1992年には新日本プロレスに参戦するため再来日した。

1992年4月、ECWに入団。タッグチーム戦線においてなくてはならない存在へと成長し、ECW世界タッグ王座を巡ってパブリックエネミーエリミネーターズと激闘を繰り広げて2回戴冠。シングルにおいてはECW世界TV王座を巡りシェーン・ダグラスタズと抗争した。2000年には来日してFMWボールズ・マホーニーと共に参戦。

2001年、ECWが崩壊するとフリーランスとして活動するようになり、4月に来日してNOAHピットブルPitbull)のリングネームで参戦。スコーピオベイダーとのトリオでは勝率が良かったものの、シングルマッチにおいては一度も勝利ができず、安定した結果を残せなかった。

2002年、ECWオリジナルメンバーが多く集った3PW(Pro Pain Pro Wrestling)に本名名義で参戦。8月24日に3PWヘビー級王座争奪1dayトーナメントにエントリーしてダニー・ドーリングジョーイ・マシューズ、そして決勝でクリスチャン・ヨークに勝ってベルトを手にした。

2005年、3PWが活動を休止したことにより活動の拠点をPWU(Pro Wrestling Unplugged)へと変更。同年にはWWEがECWリユニオンショーであるECW One Night Standを開催した煽りを受けてシェーン・ダグラスレイヴェンが中心となって開催したECWリユニオンショー、Hardcore Homecomingに参戦し、ダグラスと激突した。

2008年9月14日、南アフリカの団体であるWWP(World Wrestling Professionals)を最後に引退宣言したが2012年4月28日にExtreme Reunionにてリングに戻り、レイヴェンと対戦した。6月29日にはExtreme RisingにてCWアンダーソンと対戦して勝利した。2013年3月2日、カナダの団体であるHRT(Hardcore Roadtrip)に参戦し、ボールズ・マホーニーとのタッグ、ピットボールズを結成してFBIと対戦して勝利している。

タイトル歴 編集

ECW
3PW
その他
  • ハードコア殿堂:2014年(w / ピットブル2号)

他、アメリカのインディー団体を中心に多数の王座を獲得。

得意技 編集

フィニッシャー。パワーボム

入場曲 編集

参考文献・参考サイト 編集

  • プロレスリング・ノア『Navigation For The Victory,GHC』公式パンフレット

脚注 編集

  1. ^ プロレスリング・ノア『Navigation For The Victory,GHC』公式パンフレット

外部リンク 編集