コミュニケーション

社会的な行為の一つ
コミュニケイションから転送)

コミュニケーション: communication)とは、社会生活を営む人間の間で行われる知覚感情思考の共有[1]。あるいは単に、(生物学な)動物個体間での、身振り音声匂い等による情報の伝達[1]辞書的な字義としては、人間の間で行われる知覚・感情・思考の伝達[1][2]、などと定義付けられる。

女性同士のコミュニケーション
グループでのコミュニケーション
近年では端末を通じたコミュニケーションも盛んになっている。心(気持ち)の通い合いが大切であるので、表情)を互いに見つつ行うことが好まれ、(文字しか使えない端末では、代わりに)顔文字を用いたり、スマートフォンが登場してからは、ビデオ通話などが行われるようになっている。

英語の「communication」の語源は、 ラテン語の「comm(共に)」と「unio(一致)」に由来する「communis (共通の)」に、「munitare(疎通を良くする)」を付加したものである。

概説 編集

「コミュニケーション」という語は多種多様な用いられ方をしている。一般に「コミュニケーション」というのは、情報の伝達だけが起きれば充分に成立したとは見なされておらず、人間と人間の間で、《意志の疎通》が行われたり、《気持ちの通い合い》が行われたり、《互いに理解し合う》ことが起きたりして、はじめてコミュニケーションが成立した、といった説明を補っているものもある[注 1]

コミュニケーションに含まれるものは実に広範囲に及ぶ。乳児の段階から始まっている表情や身ぶりを用いた非言語的なものから、年齢を重ねるにつれ次第に学習される言語的なものまで含まれる。

非言語的なことを読み取り相手を理解することは、非常に重要である。母親は乳児が非言語的に表現すること、たとえば表情や動作や泣き声で表現することを理解した場合にようやく、適切にミルクを提供したりおむつを替えたりできる。非言語コミュニケーションができないようでは、乳児にすら適切なことを提供できない。 大人の間のコミュニケーションでも目の前の相手の表情のかすかな変化や声の高低のかすかな変化などを感じ取れないようではコミュニケーションがうまくゆかない。

人は学習する能力や模倣する能力があり、一般に、少年期、青年期、成人期と言語能力が増し、他者がコミュニケーションに用いているさまざまな表現を模倣し自分のものとして用いるようになってゆき、コミュニケーションのための言語表現も日々模倣し、自分のものとしてゆく。言語の起源については諸説あるが、一説には「他者とのコミュニケーションを目的とするもの」とも考えられており、言語を使って他者へと呼びかけるものもすべてコミュニケーションと呼ばれうる。挨拶会話演説も、すべてが言語を使ったコミュニケーションである。

人と人が対面し、相手の肉声を直接聞いたり相手の顔を直接見たりして行うコミュニケーションが基本で太古の昔から行われているものだが、古代から手紙のように遠隔地にいる人とコミュニケーションをとることも広く行われている。また19世紀ころからは電信や電話など、電気的な技術を用いて遠隔地の人とコミュニケーションを行うこともできるようになった。直接対面せず、離れた場所にいる人とコミュニケーションを行うことを通信と言う。

20世紀からはラジオ放送テレビ放送を用いた多数の人々に対する一方向的なコミュニケーションも行われている。不特定多数を相手に行うコミュニケーションをマスコミュニケーションと言う。報道も「マスコミュニケーション」の一部である。1990年代からはインターネットを用いたコミュニケーションも盛んになってきている。最近のTwitterFacebookなどのSNSを用いた個人的な情報の発信や受信、意見表明は双方向でも一方向でも、1対1でも1対多でも、コミュニケーションである。ただ「いいね」ボタンを押して相手に賞賛や賛同の意だけ伝えることもコミュニケーションである。 

学術的には、一般的な用法から離れて、広義に用いることがあり、記号などの何らかの因子の移動を伴う、ある分けられる事象間の相互作用の過程をコミュニケーションと呼ぶことがある。

種類や分類 編集

さまざまな分類法がある。

非言語的な要素で行うか言語を使うか
物理的な距離に着目して
人数を基準にして
用いられる感覚器に着目して

なお最近の研究では、植物と植物も微量物質を放出して互いに一種のコミュニケーションを行っていることが理解されるようになってきている。

心理学的解釈 編集

コミュニケーションを発信と応答という観点から見た場合、ある個体のアクション(発信)に応じて別の個体にリアクション(応答)が生じた場合、両者の間にコミュニケーションが成立していることになる[3]。コミュニケーション行動の機能は、たんに情報の伝達にとどまらず、情動的な共感、さらには相手の行動の制御をも幅広く含んでいる[3]

コミュニケーションの成立は、そのための適切な発信行動が取られたというだけではなく、受け手が適切なシグナル媒体に注意を向け情報を受信した上で、さらに的確な理解をしているかどうか、という点にもかかっている。記号の解釈にあたっては、相補的関係にあるコンテクスト(非言語的な文脈)とコード(言語的な約束)とが参照される[4]。定められたコードを参照するだけでは、メッセージが解読できないとき(たとえば子供のコミュニケーション)、コンテクストが参照され、受信者による推定が加わる事になる[注 2]

コミュニケーションによって、受け取られる、または伝えられる 情報の種類は、感情意思思考知識など、様々である。受け取るまたは伝える ための媒体としては、言葉表情ジェスチャー鳴き声分泌物質(フェロモン等)などが用いられている。動物の媒体[注 3]と人間の媒体を比較すると、人間の媒体には(身体の動作表情フェロモンなどの動物と共通の媒体に加えて)言語がある、という点が異なっている。

コミュニケーションは、その相互作用の結果として、ある種の等質性や共通性をもたらすことも少なくない[注 4]。人間の場合は特に、他者に対して自分の心の状態を伝えることで働きかけるだけでなく、他者から受け取った情報により、相手のの状態を読み取ったり共感したりすることも含まれる(他者理解)[注 5]

人間関係とコミュニケーション 編集

コミュニケーションと言語 編集

イヌネコも、イヌやネコなりにコミュニケーションをしているが、しかし人間のように細やかな関係をつくることはできない。「刎頚の交わり」すなわち、首を切られても悔いが無いような親しい友人関係という言葉があるほどに、人間は親密になることも可能である。

加藤秀俊はその理由を、ひとつには人間が「ことば」を使えるからであり[5]、お互いに「わかる」ことができ、共感(Empathy)を持つこと、共感することができるからである[6]とする。加藤によれば、共感とは、ひとりの人間の内部に発生している状態ときわめてよく似た状態がもうひとりの人間の内部に生ずる過程である[7]。例えば、誰かの「痛い」という言葉を聞いた時、聞いた人の内部では次のような過程が発生する[7]。「痛い」という言葉によって表現されたからだの状態に似た状態を、聞き手はみずからの体験に即して想像する。聞き手はべつだんその部分に痛みを感じるわけではないが、「痛い」という言葉によって表現しようとしている身体の状態がどのような性質であるかを知っているのである[7]。また、共感はしばしば、生理的な次元でも起きる[7]。例えば、親密な関係においては、痛みはたんに想像上経験されるだけでなく、実際の生理的な痛みとして体験されることもあるという[7]。また、フィクション上の登場人物の行動に心拍数が上がるとき、観客(読者)は、その登場人物に自分自身を置き換えると言えることから、人間は「相手の身になる」能力を持っているのであるという[7]

加藤は、ことばを用いた共感について、小説を読んでいるときの人間の心のうごきを分析して、インクのシミのあつまりに一喜一憂する奇妙な行為であると述べる[8]。このことから、人間は「実在世界的世界の速記法として、記号の世界を泳ぐ能力を持っている」という[8][注 6]

人間は記号によってうごく。そして人間同士は、記号を用いて互いに共感しあうことができる。加藤は、共感の過程をコミュニケーションと呼ぶ[9]共感がつみかさねられてゆけばゆくほど、人間関係は深くなってゆくとし、加藤によれば人間関係はコミュニケーションの累積だと言う[10]。また、お互いに記号を交換しあうことなしに成立する人間関係というのは、ほとんど想定できないとし、手紙デートおしゃべり会議など、どんな関係であれ、人間関係は記号、言葉の交換を通じて成立しており、「ことばをかける」ということは人間関係の基本的な条件であるという[10]

非言語コミュニケーション (NVC) 編集

 
アイコンタクトによりコミュニケーションする2人の人物(カラヴァッジオ 画 「フォーチュンテラー」)
 
ハンドジェスチャーの一種。ジェスチャーボディーランゲージといった身振り手振りもまた、コミュニケーション手段として多用される

人間はコミュニケーションを行う時、言葉を使い互いの感情や意思を伝えあってもいるが、「は口ほどにものをいう」といった諺にも示されているように、言葉よりも、顔の表情視線、身振りなどが、より重要な役割をになっていることがある。

日常的に人間は複数の非言語的手がかりを使いメッセージを伝達しあっている。これを非言語的コミュニケーション(nonverbal communication: NVC)という[11]。この非言語的なコミュニケーションは、意識して用いていることもあれば、無意識的に用いていることもある[11]

顔の表情、顔色、視線、身振り、手振り、体の姿勢、相手との物理的な距離の置き方などによって、人間は非言語的コミュニケーションを行っている[12]

他者理解:対人的コミュニケーションと個体内コミュニケーション 編集

人間は、いくら言葉をたくさん使っても理解し合うことが難しい。加藤秀俊はこれを「対話は、人間の内部で起きているからである」と説明している[13]。ひとりの人間の内部には「もうひとりの自分」がいる。それは別の表現で言えば「取り込まれた他人」ということでもある。2人の人間のあいだで進行しているようにみえるコミュニケーションは、実はひとりの人間の内部でのコミュニケーションでもある。加藤は、この人間内部のコミュニケーションを「個体内コミュニケーション Intrapersonal communication」と呼んで、「対人的コミュニケーション Interpersonal communication」と区別した[14]。加藤は、個体内コミュニケーションがうまくいっていない例として、ワンマン的な社会関係(「権威主義」的な社会)を挙げている[15]。ワンマンは「もうひとりの自分」を持っていないので「理解」能力のない人と呼ばれるという[15]

コミュニケーションの男女差 編集

翻訳元は英語版) 男性と女性とでは、人とコミュニケーションをする時の仕方が大きく異なっている。例えば、女性は自分のことを述べる頻度が男性よりも多いとされる。女性は男性よりも自分の個人的なことを詳しく述べ、相手と親しい話をしながら相手との信頼を深める傾向にある。一般的に言えば、女性は男性よりも、コミュニケーションを重要視しているとされる。

伝統的に、男性は男性とコミュニケーションを行い、女性は女性とコミュニケーションを行ってきたが、その方式は異なっている。男性は利害が共通することにより他の男性と親しくなるが、女性は相互支持に基づいて他の女性と親しくなるとされる。しかし男性も女性も、異性と親しくなるのは共通の要因による。共通の要因とは、近くにいること、受容、努力、コミュニケーション、共通の利益、愛情、新奇さなどである。

他の人とどのようにコミュニケーションを行うかを決める時に、状況というのは重要である。個々の人間関係において、どのような伝え方をするのが適切かを理解することは重要である。特に与えられた状況で、親しさや愛情がどのように伝えられるかを理解することは極めて重要である。例えば、男性は親しい関係においても競争を念頭に置き、自分の弱さや傷つきやすさを述べることを避ける傾向にある。男性は他人とのコミュニケーションにおいて、自分の個人的なことや感情に関することを話したがらないとされる。男性は友人と一緒に活動をして友情を交換しながら親しさを伝え、テレビでスポーツを見る時のように、互いに肩を並べて親しさのコミュニケーションを行うことが多いとされる。

これに対して、女性は自分の弱さや傷つきやすさを述べることを気にしない傾向がある。実際、女性はそれを述べる時に友情を深めることが多いとされる。女性は友人を身近に感じ、女性にとって友人とは、相互に批判しない関係、支持し合う関係、自己評価を高め合う関係、正当であると認め合う関係、快適さを提供し合って人間的成長に貢献し合う関係であり、女性は友人の価値を重んじているとされる。女性は、昼食を共にする時のように、顔を向かい合わせて親しさのコミュニケーションを行うことが多いとされる。

異性の友人とコミュニケーションを行うことはしばしば困難であるとされる。なぜならば、男性と女性が友人関係において使用する表現方法が根本的に異なることが多いからである。男性は女性よりも身体的な接触を性的な欲求と結びつける。また、男性は女性よりも異性関係においてセックスを求めることが多い。こうしたことにより、異性間のコミュニケーションは、非常に困難なものになる。こうした困難を乗り越えるためには両者ともに、男性のコミュニケーションの仕方と女性のコミュニケーションの仕方について、オープンに話し合うことが必要である。

コミュニケーションと男女の文化 編集

コミュニケーション文化が存在するとは、人々の集団において、互いにコミュニケーションを行う際の標準的なやり方が存在しているということである。コミュニケーション文化は、男性のものと女性のものに分けることができる。Julia T. Wood は、研究により「男性であることと女性であることの文化的定義をする上で、コミュニケーションがどうであるかは重要である」と述べている[16]。男女のコミュニケーション文化は、まず最初に形成され、他の文化との相互作用により維持されている。我々は他者とのコミュニケーションを通じて、我々の文化が、我々の性にどのような活動をするように命じているかを学ぶのである。「性が差異の根源である。性が、人々が他者に関与する仕方や他者とコミュニケーションを行う仕方を規定している」と広く考えられているが、実際、性は重要な役割を果たしていると、Woodは述べている[16]。全ての文化は、男性の文化と女性の文化に分けることができる。男性の文化と女性の文化は、コミュニケーションの方式が異なっており、また、他者とどのように折り合って行くかという点で異なっている。男性文化と女性文化とでは、コミュニケーションを行う理由とその仕方が全く異なっているとされる。その他のコミュニケーション文化としては、アフリカ出身のアメリカ人のもの、高齢者のもの、アメリカ先住民のもの、ゲイの男性のもの、レスビアンの女性のもの、障害者のものなどがある、とWoodは述べている[16]

コミュニケーションの様式の男女差 編集

Deborah Tannen(デボラ・タネン)教授は、コミュニケーションの様式における男女の違いを以下のように説明した[17]。Tannenは、男性が他の男性と多様な状況で関与するのに対して、女性は他の女性と協調的に関与すると考えた。例えば、

  • 男性は公的な状況で話す傾向がある。女性は私的な状況で話す傾向がある。
  • 女性は対面して視線を合わせながら話すことが多い。男性は視線をそらして話すことが多い。
  • 男性は、話題から話題へと飛び移るが、女性は一つの話題にある程度の時間をかける。
  • 人の話を聞く時に、女性は「うん」とか「そうね」などと声を出しながら聞くことが多いが、男性は黙って聞くことが多い。
  • 女性は、賛同と支持を表現することが多いが、男性は、論議することが多い。

などを挙げている。

しかしこの主張は、性別に根拠を置いて一般論とするには無理があり、個人差や文化的背景が大きな要因となりえるともいえる。

その一方で、男性も女性も一般的には同じ方法でコミュニケーションを行っているという研究結果もある。Suzette Haden Elginらは「タネン教授の研究は、ある特定の文化の、ある特定の経済的状況の女性にだけ当てはまる」と批判し、女性は男性よりずっと多くの単語を話すと一般的に信じられているが、それは事実ではないと説いた。しかし、文化人類学者や民族学者らの研究調査で、特にに関して、確かに女性が男性よりもずっと多くの表現を持っていて、互いにそれを使うとの観察結果がなされている。[要出典][誰によって?]

実際、コミュニケーションにおいて性別による何らかの違いや特性があることを否定することはできない。Julia T. Wood 教授は、男性文化と女性文化の違いが、コミュニケーションにどのような影響を与えているかを説明している[16]。二つの文化の違いは、子ども時代から始まっている。Maltz と Broker の研究[18] は、子どもたちの遊びは、子どもを社会化して、男性文化と女性文化を取り込ませる働きがあると述べている。 例えば、女の子のままごとは、個人的な人間関係を発展させるが、決められたルールや目標は無い。これに対して、男の子は、異なった目標や戦略を持つ競争的なチーム・スポーツをすることが多い。こうした子ども時代の差は、女性のコミュニケーションの方式とルールを女の子に学ばせる機会となる。女性のコミュニケーションの方式は、男性のものとはかなり異なっていると述べている。

西洋のコミュニケーションの方式が、アジア文化の中で行われているとは限らないのと同じように、男性のコミュニケーションの方式が、女性の文化の中で行われているとは限らない。逆も同じである。Wood 教授は、男性も女性も、どのようにすれば異性とうまくコミュニケーションができるかを説明して、次の6つの提言を行っている。

  1. 相手に対して善悪の評価を下すのは止めよう。
    異性に対する会話がうまく行かないときに、何が起きているかを理解せず、どうすれば相互理解が得られるかを把握せずに、相手を悪く言うことは止めなければならない。
  2. 異なるコミュニケーションの方式に対しても、それが正当であることを認めよう。
    女性は人間関係や感情を大切にしているが、それは競争を行う男性のコミュニケーションの方式を尊重する意思が無いことを示しているのではない。同様に、男性は仕事の結果を重視しているが、それは他の人への思いやりを示す女性のコミュニケーションの方式を尊重する意思が無いことを示しているのではない。Wood 教授は、異性間のコミュニケーションにおいては、男性であれ女性であれ、どちらか片方だけの方式を採用するのは不適当であると述べている。男性と女性が、それぞれ異なる目標と、異なる優先順位と、異なる基準を持っていることを、全ての人は認めなければならない。
  3. 相手が翻訳する手がかりを与えよう。
    前項の提言に従えば、あなたは、男性と女性が異なったコミュニケーションの方式を身に付けていることを理解できるであろう。さらにあなたは、自分が伝えたい事を、相手が翻訳するのを助けることを思いつくであろう。これは、非常に重要なことである。なぜなら、自分の性文化に無いコミュニケーションの方式を、助け無しで自動的には理解できないからである。
  4. 翻訳の手がかりを探そう。
    異性間の相互交流は、翻訳の手がかりを探して正しく反応することにより、改善させることができる。相互交流を建設的に改善させると、異なる文化に属する人からの反応を改善させることができる。
  5. 自分のコミュニケーションの技術を発展させよう。
    相手のコミュニケーションの方式を学ぶことによって、相手の文化について知ることができるだけでなく、自分の文化についても知ることができる。オープンに学んで成長して、相手の文化で大切にされていることを取り込むことによって、自分のコミュニケーションの技術を改善させることができる。 Wood 教授によれば、男性は、どうすれば友人を支援できるかについて、女性文化から多くを学ぶことができる。同様に女性は、どうすれば何かをしながら親しくなれるかについて、男性文化から多くを学ぶことができる。
  6. Wood 教授は、6番目の提言として「相手に対して善悪の評価を下すのは止めよう」と繰り返している。
    これは、特に重要な提言である。なぜなら、評価を下すことは、「他者を評価し、我々自身の立場を擁護する」という西洋文化の一部であるからである。性文化は、相手の性文化を評価し、自分の性文化を擁護するのに忙しくて、効果的な異性間のコミュニケーションを行っていない。異なる文化の間で、効果的なコミュニケーションを行う際には、相手を善悪で評価をしないことは、最初で最後の重要な原則である。

経営のコミュニケーション 編集

経営のコミュニケーションは「人、物、金、情報」といった経営資源の一つとして位置づけられる。その中心にマーケティング・コミュニケーションがある。従来マーケティングミックスの4Pの一つ、「プロモーション」に代わって、最近マーケティングミックス4Cの一つとして「コミュニケーション」が注目されている。また、統合マーケティングコミュニケーションIMC)も、マーケティングの中のコミュニケーションとして位置付けられている[19]

マス・コミュニケーションとコミュニケーション技術の進歩 編集

新聞テレビラジオインターネットなどのマスメディアを通じ大衆に大量の情報を伝達するマスコミュニケーションも、コミュニケーションという語が含まれていることからもわかるとおりコミュニケーションの一種である。ただし他のコミュニケーションが多かれ少なかれ双方向性を持つのに対し、情報の受け手である一般大衆から情報の送り手であるマスメディアへの反応が非常に微弱なものであり、ほぼ送り手であるマスメディアから受け手である一般大衆への一方的な伝達の傾向を強く持つのが特徴である。インターネットの普及によって、インターネットメディアにおいてはこの一方向性はやや薄まったものの、在来のマスメディアにおいてはこの傾向に変化はない。

こうしたマスコミュニケーションは、はるか古代に筆記がはじまり、文字のしるされた文書が残されるようになった時にはじまった。筆記によってそれまで会話によるしかなかったコミュニケーションの保存が可能となり、遠隔地やはるか後世の人々にも情報の伝達ができるようになったためである。当初粘土板パピルスによっていた記録は、2世紀初頭に後漢蔡倫を開発したことでより容易なものとなった。紙や羊皮紙などの記録媒体とインクといった筆記材料をもとに印刷出版がはじまり、これらは15世紀ヨハネス・グーテンベルク活版印刷術を発明してから急速に拡大し、社会・文化など各方面において大きな影響を及ぼした[20]

活版印刷術は新聞や雑誌といった出版文化の隆盛をもたらしたが、いまだ即時性を獲得してはいなかった。19世紀に入ると電気学の進歩によって電信電話といった即時性のある遠隔コミュニケーション手段が開発されたが、これはマスコミュニケーションではなく一対一の連絡手段として発達していった。1894年にはこの技術を基盤として無線通信が誕生し、線によってつながっていない船舶や極度の遠隔地においても即時のコミュニケーションが可能となったものの、これもまた一対一の連絡手段を志向する発展を遂げていった。ふたたびマスコミュニケーションが大きく発展するのは、無線通信技術を基礎として1920年代にラジオ放送が開始されたときのことである。このラジオの開発によってマスコミュニケーションは即時性を獲得し、さらに出版メディアとは異なり国境をやすやすと越えることができ、音声メディアであるために文字の読めない人々にも情報を届けることが可能となった。20世紀後半にはテレビの開発によってマスコミュニケーションは音声のみならず映像をも人々に伝達することが可能になり、さらに大きな役割を果たすようになった。いっぽうラジオは1950年代中盤のトランジスタラジオの開発によって小型化が進み、電池の改良と相まってどこにでも携帯することが可能になった[21]1990年代後半にはインターネットが普及することにより、マスメディア以外の一般市民の多くも不特定多数への情報発信を行うことが可能となり、また携帯電話の登場によって個人間のコミュニケーションもまた線から解き放たれ、どこにいても連絡を取り合うことが可能となった。

動物のコミュニケーション 編集

 
のさえずりもコミュニケーションの一種であり、求愛や警告など様々な機能を果たす

生物学の領域では、ある動物の個体の身振りや音声などが同種や異種の他の個体の行動に影響を与え、かつ、それらの信号を送った側の個体に有利になる場合に、個体間で情報が伝えられた、と考えて、そのような情報伝達を「コミュニケーション」と呼ぶということが行われている[22]

動物のコミュニケーションは種に共通しているが固定的ではなく、発信者の置かれた状況によって柔軟に変化する。またコミュニケーション信号のやりとりは同種間だけでなく異種間でも行われる。

コミュニケーション信号が交換されるとき、それは双方がそのやりとりから利益を受け取っていることを意味する。別種間、特に利害が相反する捕食者と被食者が、コミュニケーションによってどのように利益を得ているかは激しい議論がある。

コミュニケーションゲーム 編集

コミュニケーションを最大活用したゲームがある。

参考文献 編集

  • 広辞苑 第五版 1998年
  • 加藤秀俊『人間関係:理解と誤解』中央公論社〈中公新書〉、1966年。 
  • 高橋正臣 ほか『人間関係の心理と臨床』北大路書房、1995年。 
  • 岩波生物学辞典 第四版 1996年
  • あがさクリスマス『図書館のすぐれちゃん』真珠書院、2007年。
  • 福永英雄「高度情報化と現代文明--《当事者性》の低落をめぐって」梅棹忠夫・監修『地球時代の文明学』京都通信社、2008年

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ デジタル大辞泉では、わざわざ[補説]として次のような説明文を併記し、注意を促している。
    『「コミュニケーション」は、情報の伝達、連絡、通信の意だけではなく、意思の疎通、心の通い合いという意でも使われる。「親子の―を取る」は親が子に一方的に話すのではなく、親子が互いに理解し合うことであろうし、「夫婦の―がない」という場合は、会話が成り立たない、気持ちが通わない関係をいうのであろう。』(出典:デジタル大辞泉)
  2. ^ 脳科学では、言語的な理解を主に担っている左大脳半球に障害を負ったウェルニッケ失語症の人々は、語られたことの意味を理解できない反面、それがどのように 語られたかという非言語的な理解(またそれによる他者の感情の理解)では、障害を負っていない人々よりも優れた理解を示す。これは、右大脳半球が主に非言語的な理解を担っていることによると考えられている。
  3. ^ 動物行動学では、相手の本能行動に影響を与えるための特定の信号は「リリーサー」ないし「解発刺激」と呼ばれ、コミュニケーションの手段として機能するP.J.B. スレーター(1994)『動物行動学入門』岩波書店。
  4. ^ そもそもコミュニケーション(Communication)という語は、ラテン語のコムニカチオ(communicatio)に由来し、「分かち合うこと」を意味するものである。
  5. ^ 他者理解の困難な自閉症の子どもは、ポテトチップスの筒の中にアイスバーが入っていることを知らされても、他の子どもであればその筒の中にはポテトチップスが入っていると答えるはずだ、ということが推測できないことがある(サリー・アン課題も参照)
  6. ^ ここで言う記号とは何かと言うと、C・モリスの定義のように「あるモノが眼のまえに存在していないにもかかわらず、それが存在しているかのような反応をおこさせる刺激」ということである(『人間関係 理解と誤解』p.71)

出典 編集

  1. ^ a b c 広辞苑 第五版 pp.1004-1005 コミュニケーション
  2. ^ デジタル大辞泉
  3. ^ a b 『心理学』東京大学出版会 ISBN 4130120417
  4. ^ 池上嘉彦ほか『文化記号論への招待』有斐閣1983 ISBN 464102345X
  5. ^ 加藤秀俊 1966, p. 64.
  6. ^ 加藤秀俊 1966, p. 65.
  7. ^ a b c d e f 加藤秀俊 1966, p. 66.
  8. ^ a b 加藤秀俊 1966, p. 71.
  9. ^ 加藤秀俊 1966, p. 74.
  10. ^ a b 加藤秀俊 1966, p. 76.
  11. ^ a b 高橋正臣 1995, p. 22.
  12. ^ 高橋正臣 1995, p. 25-27.
  13. ^ 加藤秀俊 1966, p. 82.
  14. ^ 加藤秀俊 1966, p. 83.
  15. ^ a b 加藤秀俊 1966, p. 85.
  16. ^ a b c d Wood, J. T. (1998). Gender Communication, and Culture. In Samovar, L. A., & Porter, R. E., Intercultural communication: A reader. Stamford, CT: Wadsworth.
  17. ^ Tannen, Deborah (1990) Sex, Lies and Conversation; Why Is It So Hard for Men and Women to Talk to Each Other? The Washington Post, June 24, 1990
  18. ^ Maltz, D., & Borker, R. (1982). A cultural approach to male-female miscommunication. In J. Gumperz (Ed.), Language and social identity (pp. 196-216). Cambridge, UK: Cambridge University Press.
  19. ^ 水野由多加・妹尾俊之・伊吹勇亮広告コミュニケーション研究ハンドブック』有斐閣 2015年
  20. ^ 山本武利責任編集『新聞・雑誌・出版 叢書 現代のメディアとジャーナリズム5』p.153、ミネルヴァ書房、2005年11月20日初版第1刷発行
  21. ^ 柏木博『日用品の文化誌』p.149、岩波書店、1999年6月21日第1刷
  22. ^ 『岩波生物学辞典 第四版』p.481【コミュニケーション】

関連項目 編集

外部リンク 編集