コンスタンサ・マヌエル・デ・カスティーリャ

コンスタンサ・マヌエル・デ・カスティーリャ西Constanza Manuel de Castilla, Constança Manuel de Castela, 1310年代から1320年代 - 1345年11月13日)は、ポルトガルペドロ1世の2番目の妃。ただしペドロの即位以前に死去している。コンスタンサ・マヌエル・デ・ビリェーナ(Constanza Manuel de Villena)とも。父はカスティーリャフェルナンド3世の孫ペニャフィエル公フアン・マヌエル、母はその2番目の妻でアラゴンハイメ2世の娘コンスタンサ。異母妹にカスティーリャ王エンリケ2世の王妃フアナ・マヌエルがいる。

コンスタンサ・マヌエル・デ・カスティーリャ
Constanza Manuel de Castilla
カスティーリャ王妃
Constança Manuel.jpg
在位 1325年 - 1327年

出生 1310年代/1320年代
Flag of Castile.svg カスティーリャ王国、カスティージョ・デ・ガルシムニョス
死去 1345年11月13日
PortugueseFlag1248.svg ポルトガル王国サンタレン
埋葬 PortugueseFlag1248.svg ポルトガル王国サンタレン
結婚 1325年11月28日 バリャドリッド
1340年8月24日 リスボン大聖堂
配偶者 カスティーリャ王アルフォンソ11世
  ポルトガル王ペドロ1世
子女 ルイス
マリア
フェルナンド1世
家名 マヌエル・デ・ビリェーナ家(ボルゴーニャ家
父親 ペニャフィエル公フアン・マヌエル
母親 コンスタンサ・デ・アラゴン
宗教 キリスト教カトリック教会
テンプレートを表示

生涯編集

幼少時にカスティーリャ王アルフォンソ11世と結婚し、形式上は王妃となっていたが、この結婚は1327年に無効とされた。

その後、1340年にのちのポルトガル王ペドロ1世とリスボンで結婚した。ペドロも最初の妻ベアトリスとの結婚は幼少時のもので、少年期に別れていた。コンスタンサとペドロとの間には2男1女が生まれた。

ペドロはコンスタンサを差し置いて、その侍女であったイネス・デ・カストロを寵愛し、コンスタンサの死後にその関係は公然化したが、ペドロの父アフォンソ4世の命を受けた貴族によってイネスは殺害された。