コージー冨田

日本のものまねタレント、コメディアン

コージー 冨田(コージーとみた、1967年2月24日[2][3] - )は、日本ものまねタレントコメディアン兵庫県神戸市出身、愛知県豊田市育ち[2][3]トップ・カラー所属。本名は冨田 弘司(とみた こうじ)[2]

コージー冨田
コージー冨田(左側)と阿部龍(2015年12月 大井競馬場)
本名 冨田 弘司(とみた こうじ)[1]
生年月日 (1967-02-24) 1967年2月24日(57歳)
出身地 兵庫県神戸市
血液型 A型
身長 172cm[2]
言語 日本語
方言 共通語
芸風 ものまね
事務所 トップ・カラー
活動時期 1995年 -
現在の代表番組 爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル
ものまねバトル☆CLUB
週刊ことばマガジン
ものまね王座決定戦
過去の代表番組 ものまねバトル
メレンゲの気持ち
笑う子犬の生活
ものまねグランプリ
など
配偶者 既婚
公式サイト 公式プロフィール
受賞歴
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人物・来歴 編集

高校卒業後、育ちの豊田市トヨタの下請け工場に5年間勤務[1]。この頃から本名の冨田弘司名義で『森田一義アワー 笑っていいとも!』『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』など様々な番組に出演する[1]。冨田のタモリまねネタがまだ有名でなかった頃、『笑っていいとも!』の夏休み期間に行われた企画「真夏のそっくり当てまショー」のグランドチャンピオン大会(1997年9月3日放送)で優勝者と共に出場した新人としてタモリの前でタモリの物真似を披露。[要出典][4]第28回『発表!日本ものまね大賞』でグランプリを獲得後[1]本格的にプロ転向[5]タモリのものまねによって一躍有名になる[3]。2001年に第38回ゴールデン・アロー賞芸能新人賞を受賞[3][5]

桜塚やっくんとも親交があり、スケバン恐子は冨田が「目があゆに似てるね」と言ったことがきっかけだったことを、冨田自身が明かしている[6]

弟の冨田真司(しんじ)もものまね芸人であり、シンジー冨田として活躍している。

ものまね 編集

タモリのものまねの第一人者で、「あれっ? 髪切った?」、「んなぁーこたぁーない」というフレーズを用いる。「髪切った?」は『ものまねバトル』でヒロミからの振りに返した咄嗟の一言がはじまりだったことを自身のブログで明かしている[7]。素人参加番組に出演した時は松村邦洋島田紳助笑福亭鶴瓶桂歌丸櫻井和寿。初めてタモリと共演した時は本人のモノマネはせずに松村邦洋松村雄基のモノマネで、ドラマ『スクール☆ウォーズ』の「イソップが死んだのは俺のせいだ」のくだりを披露し、佐藤康恵は「松村邦洋のドスが効いてる」、東野幸治は松村邦洋のマネが上手いと評している。その他、いかりや長介板東英二古畑任三郎石橋貴明など多数のレパートリーを持つ[8][9][10]。「重箱の隅をつつくメドレー」と称する細かいものまねを得意としており[8]、それをヒントに企画されたのが『博士と助手~細かすぎて伝わらないモノマネ選手権~』である[11]。音声をまねる声帯模写、外見をまねる形態模写に対し、自分のものまねは性格模写であると本人は語っている[1][5]

コージー名義となって以降はタモリとの公式な共演はない[4]

30歳からはスキンヘッドにしており、モノマネのネタに応じてその都度カツラを被り換える[1]

松村邦洋コロッケの完全コピーも披露しているが、逆にゆうぞうに自身の完コピをされており、ゆうぞうに潰しにかかりますと言ったが、ゆうぞうに潰しには負けませんと切り返されている。[要出典] 大橋巨泉では彼の横柄な態度をコミカルにアレンジし「お前の番組に出てやる」と言って決め台詞にしていた。 原口あきまさのさんまを相手に「クイズダービー」の司会を倍率ドンと解答オープンの部分で再現したことがある。 石橋貴明はかつて久本雅美のトーク番組に出たとき「皆は「うるせーな!バーカ!」とかの部分をものまねするけど僕はトークの部分をものまねする」と語っていた。

主なものまねのレパートリー 編集

出演 編集

テレビ 編集

ドラマ 編集

ラジオ 編集

インターネット 編集

  • 脳のアンチエイジング「クイズ2:1」(2006年1月 - 、OCN
  • 溜池Now(第27回、GyaO)「溜池なんでも鑑定団」

映画 編集

CM 編集

CD 編集

脚注・出典 編集

外部リンク 編集