サッカー・ブンデスリーガ (オーストリア)
オーストリア・サッカー・ブンデスリーガ(ドイツ語: Österreichische Fußball-Bundesliga, ドイツ語発音: [ˈøːstɐʁaɪ̯çɪʃə ˈfuːsbal ˈbʊndəsliːɡa]、エースターライヒシェ・フースバル=ブンデスリーガ, 英語: Austrian Football Bundesliga)は、オーストリアにおけるプロサッカーの最上位リーグである。
アドミラル・ブンデスリーガ Admiral Bundesliga | |
---|---|
加盟国 | オーストリア |
大陸連盟 | UEFA |
開始年 | 1911年 / 1974年 |
参加クラブ | 12 |
リーグレベル | 第1部 |
下位リーグ | 2. ブンデスリーガ |
リーグカップ | オーストリア・カップ |
国際大会 |
UEFAチャンピオンズリーグ UEFAヨーロッパリーグ UEFAヨーロッパカンファレンスリーグ |
最新優勝クラブ | レッドブル・ザルツブルク (17回目) (2022-23) |
最多優勝クラブ | ラピード・ウィーン (32回) |
テレビ局 |
ORF、Sky Sports イージースポーツ |
公式サイト | http://www.bundesliga.at |
2022-23 |
リーグは1911年に創設されており、世界で最も古い歴史を持つサッカーリーグの一つである。1924年には2部リーグも創立し、1部と2部の全チームが完全なプロサッカークラブとして運営され、イングランド、スコットランドに次いで、ヨーロッパで3番目、同時にイギリスを除くヨーロッパ大陸で最も古い歴史を有する。
歴史
編集1890年代 - 1900年代
編集オーストリアで初めてFA(イングランドサッカー協会)のルールに基づきサッカーの公式戦が行われたのはオーストリア=ハンガリー帝国時代の1894年のこと。1897年からはチェコやハンガリー、スロバキアなどのチームも参加した国際大会のチャレンジ・カップ(オーストリア・カップの前身)が開催されるようになる。1900年からの4年間、そして1906年にはオーストリアでリーグ戦が行われているが、組織上や財政的な問題、そして実際にオーストリア内での試合よりハプスブルク帝国内で行われていた国際親善試合(オーストリア対ハンガリー、オーストリア対チェコ等)やチャレンジ・カップの方が人気があったため、なかなか継続できずにいた。[要出典]
1910年代 - 1940年代
編集1911年に現在まで続くオーストリア最高峰リーグが創設された。このような状況からオーストリアサッカー協会のフーゴ・マイスル会長は全クラブの正式なプロ化を推薦[要出典]。1924年には1部に次ぎ2部も創立され、1部と2部の全チームが完全なプロ・サッカー・チームとして運営されるようになる。そのため1924年がオーストリアでのプロサッカーの始まりとされているが[要出典]、これはイングランド、スコットランドに次いで、ヨーロッパで3番目、そしてイギリスを除くヨーロッパ大陸では最も歴史のあるプロフェッショナル・サッカーリーグの誕生を意味している。ちなみにプロリーグ初年度に1部で優勝を飾ったチームはSCハコア・ウィーンである。
1938年、オーストリアがナチス・ドイツに併合された(アンシュルス)。「サッカーで生計を立てるというプロフェッショナリズムは、1人の成人としての正式な職業に値しない」というナチス・ドイツの方針からプロサッカーは廃止される。これによってドイツ・サッカー選手権の傘下となっても、オーストリア・ブンデスリーガは「ドナウ・アルペンランド・リーガ」という名称で形は残すものの、ナチス・ドイツによるリーグのアマチュア化がレベルの低下を招く。[要出典]
1950年代 - 1980年代
編集第2次世界大戦直後からプロサッカー復活への動きがあり、1949年にはプロサッカーが、そして国内リーグ1部と2部が完全に復活した。また、1951年と1952年にブラジルで開催された国際サッカー連盟(FIFA)とブラジルサッカー連盟(CBF)が共催したクラブワールドカップ(当時の正式名称はコパ・リオ)では、開幕戦でオーストリアを代表して出場したクラブチームが1950 FIFAワールドカップでの優勝選手が5人スタメン出場し、当時南米最強チームの1つあったナシオナルをエスタジオ・ド・マラカナンで4‐0で下し、2年連続準決勝進出を果たした。1953年にはFIFA(世界サッカー連盟)が選出した世界選抜チームに11人の選手のうち6人が、そして同チームの監督までもがオーストリア人で選ばれた。
1960年代になるとドイツをはじめ、ヨーロッパの各国でプロフェッショナル・サッカーリーグがスタート。オーストリアのチームは1970年代から1980年代にかけて、UEFAチャンピオンズカップ、UEFAカップウィナーズカップ、UEFAカップ等で2度の決勝、2度の準決勝、6度の準々決勝進出を果たし、ミトローパ・カップでも3度の優勝を飾るものの、1960年代初期までのような他国を圧倒するような力は失われていき、ヨーロッパ最高峰リーグの肩書きはイングランドやドイツ、イタリアのものになる。ちなみに、「ブンデスリーガ」という名称になったのはこの時代の1974-1975シーズンからである[1]。
1990年代 - 2000年代
編集1995年12月のボスマン判決は、ドイツやイタリア、スペインのリーグ等に比べ経済力に劣るオーストリアのクラブにとって死刑判決に等しかった。実際に多くのクラブが破産するなど、オーストリア・サッカー界全体に波紋を起こした。[要出典]このような厳しい状況の中、ヨーロッパカップで好結果を残したチームもあった。SVアウストリア・ザルツブルク(現:FCレッドブル・ザルツブルク)は1994年にUEFAカップ準優勝を果たし、翌年にはUEFAチャンピオンズリーグでもオランダのアヤックス・アムステルダムとアウェーで引き分け、ギリシャのAEKアテネを破った。SKラピード・ウィーンは1996年にはUEFAカップウィナーズカップで準優勝した。また、SKシュトゥルム・グラーツが3年連続でUEFAチャンピオンズリーグ本戦に出場し、1度はグループリーグを首位で突破した。
それまではオーストリア放送協会(ORF)にオーストリア・ブンデスリーガ、及びオーストリア・ブンデスリーガ2部の放映権が独占的に与えられていたが、21世紀に入ってからはORFより高額な金額で民間放送のATVや同じく民間の有料チャンネルPremiere等が放映権を獲得。
UEFA EURO 2008がオーストリアで開催されることが決定すると、それまでは主にサッカーオーストリア代表チームの好結果も手伝い、後れを取っていた育成に関しても、オーストリアサッカー協会が全体的な見直し、及び改革を実施。UEFA EURO 2008に向けて新たな育成プロジェクト「Challenge08」(チャレンジ08)が発表され、各カテゴリーの代表チームがUEFA欧州選手権やワールドカップで好成績を残すようになる。
また、オーストリア・サッカー界に大きな衝撃を与えたのはレッドブル社によるSVアウストリア・ザルツブルクの買収である[要出典]。SVアウストリア・ザルツブルクは2004年の時点で膨大な借金をしており、破産寸前と噂されていた[要出典]が、レッドブル社の膨大な資金により、ハード面への投資、クラブマネジメントの強化、スカウティング部の設立、新トレーニングセンターの設立、育成の見直し、及び強化など様々な改革が行われた。
2010年代 - 2020年代
編集2020年8月14日、SVマッテルスブルクが財政難によりクラブを解散した[2]。
大会形式
編集12チームによる2回戦総当たり(計22試合)のレギュラーシーズンが行われ、レギュラーシーズン終了後上位6チームは優勝プレーオフへ、下位6チームは降格プレーオフに進む。その際、レギュラーシーズンの勝ち点の半分をそれぞれ持ち越す。その後、各プレーオフで再度2回戦総当たり(計10試合)行われる。
2部リーグの2. ブンデスリーガは10チームで構成されている。3部リーグとなるレギオナルリーガは、西部・中部・東部の3地区に分かれており、各リーグは16チームで構成されている。それぞれのリーグ優勝チームが2部に昇格し、下位2チームもしくは3チームが4部リーグに降格する。なお、オーストリアには9部リーグまであるが、6部から9部は完全なアマチュアリーグである。
- 優勝プレーオフ
- 優勝チームは次年度のUEFAチャンピオンズリーググループステージへ、2位は同じくチャンピオンズリーグの予選3回戦への出場権を獲得する。
- 3位はUEFAヨーロッパリーググループステージへ、4位は同じくヨーロッパリーグの予選3回戦への出場権を獲得、5位はヨーロッパリーグ予選出場権を賭けたプレーオフへ進む。
- ヨーロッパリーグプレーオフ
- 準決勝は、降格プレーオフ上位2チームによる上位チームのホームでの一発勝負。勝者が決勝へ進む。
- 決勝は、準決勝勝者と優勝プレーオフ5位チームがホーム・アンド・アウェー方式で対戦し、勝者がヨーロッパリーグ予選2回戦の出場権を獲得する。
- 降格プレーオフ
- 上位2位までは、ヨーロッパリーグ予選出場権を賭けたプレーオフへ進む。最下位(12位)は、2部リーグに自動降格する。
外国人枠
編集外国人枠は存在せず、若いオーストリア人選手を使えば使う程テレビ放映権の分配金が増えるというシステムを採用している。四半期にごとに計算して、放映権収入の50%を10チームで平等分配し、残り50%をオーストリア人選手(オーストリア国籍を保有する選手、もしくは19歳未満でオーストリアにてサッカー選手として初登録されオーストリアのU22代表チームに召集される権利を持つ選手)の起用実績に応じて分配するという仕組みである。この分配金を得るためには、少なくとも12人の上記のオーストリア人選手を試合メンバー表に登録しなければならない。分配金は試合出場時間に応じて各クラブに支払われるが、22歳以下の選手の試合出場時間は2倍として計算される[3]。
シーズン別大会名
編集- max.Bundesliga(1997-2003)
- T-Mobile Bundesliga(2003-2008)
- tipp 3-Bundesliga powered by T-Mobile(2008-2014)
- Tipico Bundesliga(2014-2021)
- Admiral Bundesliga(2021-)
所属クラブ
編集- 2023-24シーズン
クラブ名 | ホームタウン | ホームスタジアム | 収容人数 |
---|---|---|---|
SKオーストリア・クラーゲンフルト | クラーゲンフルト | ヴェルターゼー・シュターディオン | 32,000 |
FKアウストリア・ウィーン | ウィーン | ジェネラーリ・アレーナ | 17,500 |
FCブラウ=ヴァイス・リンツ | リンツ | ホフマン・パーソナル・シュタディオン | 5,595 |
LASK | リンツ | ライファイゼン・アレーナ | 19,080 |
SKラピード・ウィーン | ウィーン | アリアンツ・シュターディオン | 28,000 |
FCレッドブル・ザルツブルク | ヴァルス=ズィーツェンハイム | レッドブル・アレーナ | 30,188 |
SCラインドルフ・アルタッハ | アルタッハ | キャッシュポイント・アレーナ | 8,500 |
SCアウストリア・ルステナウ | ルステナウ | ライヒスホーフシュターディオン | 8,000 |
SKシュトゥルム・グラーツ | グラーツ | メルクール・アレーナ | 15,323 |
TSVハルトベルク | ハルトベルク | プロフェルティル・アレーナ・ハルトベルク | 4,500 |
ヴォルフスベルガーAC | ヴォルフスベルク | ラーヴァントタール=アレーナ | 7,300 |
WSGスワロフスキー・ティロル | インスブルック | ティヴォリ・シュターディオン・ティロル | 16,008 |
結果
編集歴代優勝クラブ
編集クラブ別優勝回数
編集クラブ | 優勝 | 準優勝 | 優勝年 |
---|---|---|---|
SKラピード・ウィーン | 1911–12, 1912–13, 1915–16, 1916–17, 1918–19, 1919–20, 1920–21, 1922–23, 1928–29, 1929–30, 1934–35, 1937–38, 1939–40, 1940–41, 1945–46, 1947–48, 1950–51, 1951–52, 1953–54, 1955–56, 1956–57, 1959–60, 1963–64, 1966–67, 1967–68, 1981–82, 1982–83, 1986–87, 1987–88, 1995–96, 2004–05, 2007–08 | ||
FKアウストリア・ウィーン | 1923–24, 1925–26, 1948–49, 1949–50, 1952–53, 1960–61, 1961–62, 1962–63, 1968–69, 1969–70, 1975–76, 1977–78, 1978–79, 1979–80, 1980–81, 1983–84, 1984–85, 1985–86, 1990–91, 1991–92, 1992–93, 2002–03, 2005–06, 2012–13 | ||
SVアウストリア・ザルツブルク/ FCレッドブル・ザルツブルク |
1993–94, 1994–95, 1996–97, 2006–07, 2008–09, 2009–10, 2011–12, 2013–14, 2014–15, 2015–16, 2016–17, 2017–18, 2018–19, 2019-20, 2020–21, 2021–22, 2022-23 | ||
FCヴァッカー・インスブルック/ FCスワロフスキー・ティロル/ FCティロル・インスブルック/ FCヴァッカー・ティロル/ FCヴァッカー・インスブルック |
1970–71, 1971–72, 1972–73, 1974–75, 1976–77, 1988–89, 1989–90, 1999–00, 2000–01, 2001–02 | ||
SKアドミラ・ウィーン/ FCアドミラ・ヴァッカー/ FCアドミラ・ヴァッカー・メードリング |
1926–27, 1927–28, 1931–32, 1933–34, 1935–36, 1936–37, 1938–39, 1946–47, 1965–66 | ||
ファースト・ヴィエナFC | 1930–31, 1932–33, 1941–42, 1942–43, 1943–44, 1954–55 | ||
ヴィーナー・シュポルト=クルプ | 1921–22, 1957–58, 1958–59 | ||
SKシュトゥルム・グラーツ | 1997–98, 1998–99, 2010–11 | ||
フローリツドルファーAC | 1917–18 | ||
ヴィーナーAF | 1913–14 | ||
LASK | 1964–65 | ||
SK VÖESTリンツ | 1973–74 | ||
グラーツァーAK | 2003–04 | ||
ヴィーナーAC | 1914–15 | ||
SCハコア・ウィーン | 1924–25 |
統計
編集通算成績表
編集- 2012-13シーズン終了時点
順位 | クラブ | シーズン | 試合数 | 勝利 | 引分 | 敗北 | 得点 | 失点 | 得失点 | 勝ち点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | SKラピード・ウィーン | 101 | 2789 | 1564 | 602 | 623 | 6739 | 3601 | +3138 | 5294 |
2 | FKアウストリア・ウィーン | 101 | 2789 | 1467 | 575 | 747 | 5960 | 3754 | +2206 | 4976 |
3 | SKアドミラ・ウィーン/ FCアドミラ・ヴァッカー/ FCアドミラ・ヴァッカー・メードリング |
84 | 2352 | 909 | 550 | 893 | 4203 | 4009 | +194 | 3277 |
4 | ヴィーナー・シュポルト=クルプ | 76 | 1871 | 755 | 415 | 701 | 3562 | 3347 | +215 | 2680 |
5 | ファースト・ヴィエナFC | 68 | 1672 | 729 | 354 | 589 | 3403 | 2850 | +553 | 2541 |
6 | SKシュトゥルム・グラーツ | 57 | 1824 | 689 | 454 | 681 | 2628 | 2708 | -80 | 2521 |
7 | SVアウストリア・ザルツブルク/ FCレッドブル・ザルツブルク |
49 | 1618 | 650 | 404 | 564 | 2414 | 2226 | +188 | 2354 |
8 | FCヴァッカー・インスブルック/ FCスワロフスキー・ティロル/ FCティロル・インスブルック/ FCヴァッカー・ティロル/ FCヴァッカー・インスブルック |
43 | 1452 | 659 | 370 | 423 | 2342 | 1717 | +625 | 2347 |
9 | グラーツァーAK | 50 | 1546 | 572 | 406 | 568 | 2196 | 2321 | -125 | 2122 |
10 | LASK | 48 | 1460 | 519 | 361 | 580 | 2090 | 2330 | -240 | 1918 |
11 | SCヴァッカー・ヴィーン | 52 | 1153 | 472 | 245 | 436 | 2490 | 2225 | +265 | 1661 |
12 | ヴィーナーAC | 38 | 825 | 318 | 177 | 330 | 1668 | 1666 | +2 | 1131 |
13 | フローリツドルファーAC | 38 | 787 | 285 | 154 | 348 | 1630 | 1837 | -207 | 1009 |
14 | SK VÖESTリンツ(現・FCシュタール・リンツ) | 23 | 738 | 256 | 209 | 273 | 954 | 1013 | -59 | 977 |
15 | 1.ジンメリンガーSC | 36 | 847 | 262 | 166 | 419 | 1449 | 1996 | -547 | 952 |
16 | FCヴィーン | 27 | 576 | 204 | 127 | 245 | 1054 | 1246 | -192 | 739 |
17 | SVリート | 16 | 576 | 193 | 152 | 231 | 728 | 777 | -49 | 731 |
18 | FCケルンテン | 20 | 596 | 173 | 156 | 267 | 676 | 966 | -290 | 675 |
19 | カプフェンベルガーSV | 15 | 430 | 107 | 93 | 230 | 545 | 931 | -386 | 414 |
20 | SVマッテルスブルク | 10 | 360 | 107 | 91 | 162 | 436 | 582 | -146 | 412 |
歴代得点王
編集脚注
編集- ^ “Geschichte der Bundesliga”. Bundesliga.at. 2022年4月22日閲覧。
- ^ “Commerzialbank-Skandal: SV Mattersburg beantragte Konkursverfahren”. KURIER (2020年8月14日). 2023年4月3日閲覧。
- ^ なぜオーストリア・リーグは外国人枠がなくても破綻しないのか
関連項目
編集外部リンク
編集- 公式サイト
- オーストリアサッカー協会
- League321.com - Austrian football league tables, records & statistics database.
- Austria - List of Champions RSSSFによるリーグの記録