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株式会社サッポロライオンは、サッポロホールディングス傘下の外食事業者である。ビアホール「銀座ライオン」や、「ヱビスバー」などを運営する。

株式会社サッポロライオン
SAPPORO LION ,Inc.
Ginza lion building 2014.jpg
銀座7丁目の銀座ライオンビル
種類 株式会社
市場情報
東証2部 8240
1988年9月26日 - 2003年6月25日
本社所在地 日本の旗 日本
150-0013
東京都渋谷区恵比寿1-23-23
恵比寿スクエア6F
設立 1949年9月1日
業種 小売業
事業内容 総合レストランチェーン
代表者 三宅 祐一郎(代表取締役社長)
資本金 48億7,821万円
売上高 240億2300万円(2018年12月31日時点)[1]
営業利益 1億8400万円(2018年12月31日時点)[1]
経常利益 2億1600万円(2018年12月31日時点)[1]
純利益 ▲1000万円(2018年12月31日時点)[1]
総資産 117億7300万円(2018年12月31日時点)[1]
支店舗数 約170店
主要株主 サッポロホールディングス株式会社
主要子会社 株式会社 ニュー三幸
株式会社マルシンカワムラ
外部リンク http://www.ginzalion.jp/
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目次

沿革編集

1899年明治32年)8月4日、東京市京橋区南金六町五番地(現在の銀座8丁目)に日本初のビヤホール「恵比壽ビヤホール」が誕生した。同社では、この日を創業日としている[2]1911年(明治44年)8月10日には築地精養軒により、のちに社名の由来となるレストラン「カフェー・ライオン」開店。場所は銀座4丁目交差点角で、現在は銀座プレイスが建っている。1918年大正7年)7月5日、京橋区竹川町(現在の銀座七丁目)に「銀座ビヤホール」開店。この店舗は関東大震災で焼失したのち、1934年昭和9年)4月8日に大日本麦酒本社ビルとして建て替えられ、1階には「ビヤホールライオン銀座七丁目店」が4月26日より営業を開始した。この店舗は現存する日本最古のビアホールとして、2017年現在も営業している[2]1931年8月30日に築地精養軒がカフェー・ライオンの経営から退き、大日本麦酒の直営となる[3]。業態をビアホールとし、店名は「ライオンヱビスビヤホール」に改めた。1936年11月16日に大日本麦酒の外食部門が独立し、共栄株式会社設立。資本金は300万円。本社は銀座の大日本麦酒本社社屋内に置き、発足時の店舗は銀座(七丁目)、ライオン(銀座五丁目)、吾妻橋、恵比寿橋、 早稲田、三田、横浜のビアホール各店と銀座一丁目のユニオンクラブの、合計8店舗であった。1939年4月には大阪出張所を開設し、大阪地区の6店舗の営業を継承した。同月には、大日本麦酒とともに本社を銀座七丁目の社屋から京橋第一相互館に移転。それまで1階で営業していたビアホールを2階まで拡げたが、3階以上を賃貸していた東宝映画が2階も使用することになり、1941年には再び1階のみの営業に戻った。1943年には、大日本麦酒は共栄とは別法人の北海道共栄(1店舗)、名古屋共栄(4店舗)、九州共栄(1店舗)を設立し、各地のビアホールの営業を統括した。1944年2月には東京で料飲店閉鎖命令が出て、ビアホールの多くは雑炊食堂や国民酒場に姿を変えた。1944年3月には、本社事務所を渋谷区永住町(現在の広尾二丁目)の大日本麦酒取締役宅に疎開したが、1945年5月には空襲で全焼したため京橋に戻った。

第二次世界大戦後の1945年9月には銀座七丁目や神戸のビアホールが進駐軍専用に営業を開始。ビアホールの再開が許可されたのは1949年6月であった。1949年9月には過度経済力集中排除法により大日本麦酒が日本麦酒(のちのサッポロビール)と朝日麦酒(のちのアサヒビール)に分割。これに伴い、共栄株式会社も日本麦酒系の日本共栄株式会社と、朝日麦酒系の朝日共栄株式会社に分割された[4]。この時、北海道共栄・名古屋共栄・九州共栄は解散し、北海道共栄と名古屋共栄は日本共栄札幌支店・同名古屋支店となった。九州共栄は朝日共栄に所属した[5]1958年4月1日、札幌市の株式会社サッポロビアホール(1953年に日本共栄札幌支店から分離)、広島市の株式会社広島ニッポンビアホール(1956年設立)、福岡市の株式会社ニッポンビアホール(1952年設立)を日本共栄に吸収合併した[6]。同時期、「ニッポンビール」と「サッポロビール」の2種類あったビールのブランドを「サッポロビール」に統合したことから、「ニッポンビアホール」の店名で運営していた店舗は「サッポロビアホール」に変更した[7]。同年9月には、吾妻橋ビアホールと銀座一丁目のユニオンクラブをアサヒビール系列の株式会社ニューアサヒに譲渡した。1949年の日本共栄・朝日共栄の分割時に東京都内の全店舗を日本共栄の所属としたが、この2店舗ではアサヒビールの製品を販売していた[6]1964年三井物産が、ライオン新橋店が入居しているビルに社員クラブを開設した。この時に同社が日本共栄に対し運営を委託した。このクラブは1976年に閉鎖されたが、これ以降法人向け受託営業を行っている[8]1961年にはニユートーキヨーと共同出資で、株式会社サッポロビール園(現 株式会社新星苑)を設立した。

日本麦酒は1964年1月1日にサッポロビールに社名変更。その2年余り後、1966年2月9日に日本共栄はサッポロ共栄株式会社に社名変更[9]。さらに1979年9月1日には、創業80周年を記念して現在の社名である株式会社サッポロライオンに変更した。日本国外に進出を開始したのは1980年で、サッポロビールを含む日本企業と中国資本の合弁会社「大連東方食品有限公司」の軽食部門を受託。翌1961年には、サッポロビールと共同でレストラン「新僑三宝楽」を開業した。1988年9月26日には東京証券取引所第二部に上場した[8]が、2003年には株式交換によりサッポロビール(この事業再編により、サッポロホールディングスに社名変更)の完全子会社となり、上場廃止した[10]

2013年にはポッカサッポロフード&ビバレッジの関連会社で、シンガポールで飲食事業を行うポッカフードシンガポールの全株式を譲り受けた[11]2017年2月には、東京都中央区八丁堀4-3-3 Daiwa京橋ビル[12]にあった本社を東京都渋谷区恵比寿1-23-23 恵比寿スクエアに移転した。サッポロホールディングスの本社がある恵比寿ガーデンプレイスからは離れている。

店舗ブランド編集

ビアホール「銀座ライオン」やプライベートダイニング「点」、「ヱビスバー」など30業態[13]を運営する。旗艦店となる銀座七丁目の銀座ライオンビルには「ビヤホールライオン」、「BEER&WINE GRILL銀座ライオン」、炉端料理「かこいや」、和食店「入母屋」、「音楽ビヤプラザ ライオン」、「銀座クラシックホール」が営業する[14]

脚注編集

  1. ^ a b c d e 株式会社サッポロライオン 第84期決算公告
  2. ^ a b 歴史・沿革”. 株式会社サッポロライオン. 2017年4月10日閲覧。
  3. ^ 『社史|サッポロビール120年史』P245
  4. ^ 『社史|サッポロビール120年史』P293-295
  5. ^ 『#社史|サッポロビール120年史』P922-923 巻末資料
  6. ^ a b 『社史|サッポロビール120年史』P400-401
  7. ^ 『社史|サッポロビール120年史』P388
  8. ^ a b 『社史|サッポロビール120年史』P669-671
  9. ^ 『社史|サッポロビール120年史』P922-923 巻末資料
  10. ^ “サッポログループの事業再編について” (プレスリリース), サッポロビール, (2003年2月21日), http://www.sapporobeer.jp/news_release/0000000374/ 2017年4月16日閲覧。 
  11. ^ “サッポログループ事業会社における組織再編のお知らせ PokkaFood(Singapore Singapore Singapore)Pte.Ltd.の株式譲受について” (PDF) (プレスリリース), サッポロライオン, (2012年12月21日), http://www.ginzalion.jp/company/images/pdf/121221_jyoujyu.pdf 2017年4月16日閲覧。 
  12. ^ サッポロライオン本社(2017年2月17日まで)”. サッポロライオン. 2017年4月16日閲覧。
  13. ^ 60秒で分かるサッポロライオン”. サッポロライオン リクルートサイト. 2017年4月16日閲覧。
  14. ^ 店舗検索 銀座エリア”. サッポロライオン. 2017年4月16日閲覧。

参考文献編集

  • サッポロビール株式会社広報室社史編纂室『サッポロビール120年史』、1996年3月10日。

外部リンク編集