サミュエル・コールマン

サミュエル・コールマン(Samuel Colman 、1832年3月4日 - 1920年3月26日)はアメリカ合衆国の画家、インテリア・デザイナーである。ハドソン川の風景などを描いた絵画で知られている。

サミュエル・コールマン
Samuel Colman
誕生日 1832年3月4日
出生地 USA,ポートランド
死没年 1920年3月26日
死没地 USA,ニューヨーク
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「コロラド州のスパニッシュ・ピーク」(1882) メトロポリタン美術館(蔵)

略歴 編集

メイン州ポートランドに生まれた。子供時代に家族はニューヨークに移り、父親は書店を開き、多くの教養ある人々が店に集まり、若いコールマンが芸術に興味を持つのに影響した。「ハドソン・リバー派」の画家、アッシャー・ブラウン・デュランド(1796-1886)に絵を学んだと考えられていて、18歳の1850年にはナショナル・アカデミー・オブ・デザインの展覧会に初めて出展した。1854年までにニューヨークにスタジオを開き、1855年にナショナル・アカデミーの準会員に選ばれ、正会員には1862年に選ばれた。

1850年代、1860年代にハドソン・リバー派の画家たちから影響を受けた風景画を描いた。南北戦争の後にはロマン主義のスタイルの絵画も描いた。

旅好きで、国外の街や港を描いた多くの作品を残した。1860年から翌年にかけて、フランス、スペインを旅し、1870年代の初めには、4年間ヨーロッパを旅し、地中海沿岸の町で長く過ごし、外国の景観を作品に描いた。

1870年代から1880年代は再び国内、特にアメリカ西部を旅し、トーマス・モランらと同じように、アメリカ西部の風景を描いた。南北戦争後に水彩画が人気になり、1886年にアメリカ水彩画協会の設立メンバーの一人となり、初代会長に選ばれたt[1]。版画の技術にも巧みで、ニューヨーク版画クラブ(New York Etching Club)の会員であり、ヨーロッパの風景の版画を出版して人気があった。晩年は有名な工芸家のルイス・カムフォート・ティファニーに協力し、インテリア・デザイナーとしての仕事もした[2]。アジアの工芸品の収集も行い、美術に関する著書もある。

作品 編集

脚注 編集

  1. ^ Erin Corley (2007年). “American Watercolor Society records, 1867–1977, bulk 1950–1970”. Archives of American Art Oral History Program. 2011年6月17日閲覧。
  2. ^ Stern, Robert A. M., Thomas Mellins, and David Fishman. New York 1880: Architecture and Urbanism in the Gilded Age. New York, N.Y.: Monacelli Press, 1999.

参考文献 編集

  • American Watercolor Society's history. Retrieved June 1, 2005.