サモ・フバット(Samo Hubad、1917年7月17日 - 2016年8月31日)は、オーストリア出身の指揮者[1][2]

オーストリア=ハンガリー帝国リュブリャナの出身。リュブリャナ音楽院でスラヴコ・オステルツに作曲、ダニロ・シュバラに指揮を学ぶ。またプラハでもヴァーツラフ・ターリヒの薫陶を受けた。1942年から1958年までリュブリャナの歌劇場で指揮をとったが、その間の1945年にスロヴェニア放送のビッグ・バンドに参加し、ボヤン・アダミックの下で作曲のレッスンも受けた。1955年から1957年までザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を兼任した後、1959年から1964年までザグレブ歌劇場の首席客演指揮者として指揮台に上がった。1956年から1966年までスロヴェニア・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を歴任し、1960年から1980年までスロヴェニア放送交響楽団の首席指揮者を務めた。

スカルチナにて没。

出典 編集

  1. ^ Хубад С. (ロシア語) - Академик
  2. ^ slippedisc.com