1984年サラエボオリンピック

1984年にユーゴスラビアで行われた第14回冬季オリンピック

1984年サラエボオリンピック(1984ねんサラエボオリンピック)は、1984年昭和59年)2月8日から2月19日までユーゴスラビア社会主義連邦共和国(現:ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボで行われた冬季オリンピック社会主義国でオリンピックが開催されるのは1980年モスクワ大会以来であり、冬季オリンピックでは初の開催であった。規定の変更により、入賞枠が6位から8位までに拡大された初の冬季オリンピック大会となった。

1984年サラエボオリンピック
第14回オリンピック冬季競技大会
XIV Olympic Winter Games
XIV Зимске олимпијске игре
開会式
開催都市 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア サラエボ
参加国・地域数 94
参加人数 3200人(男子1999人、女子1201人)
競技種目数 7競技112種目
開会式 1984年2月8日
閉会式 1984年2月20日
開会宣言 ミカ・シュピユリャク大統領評議会大統領
選手宣誓 ボヤユン・クリジャイ
審判宣誓 ドラユガン・ペロヴィッチ
最終聖火ランナー サユンダ・ドゥブラヴチッチ
主競技場 アシム・フェルハトヴィッチ・ハセ競技場
冬季
夏季
オリンピックの旗 Portal:オリンピック
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マスコット 編集

ブチコ(ユーゴスラビアに生息したとされる伝説のオオカミがモチーフ。)

大会開催までの経緯 編集

サラエボオリンピックの開催は1978年5月18日ギリシアアテネで開かれた第80回国際オリンピック委員会総会で決定された。 サラエボ、イェーテボリスウェーデン)、12年ぶり2度目の開催を目指す札幌日本)の3都市が立候補し、終盤まで激しい誘致合戦が繰り広げられた。既存の施設がほとんど利用できるとされた札幌が一時は最有力とも伝えられ、実際IOC委員による第1回目の投票では最も多い票数を獲得していたが、結局、大会会場をコンパクトに集約したサラエボが決選投票で逆転し開催権を獲得した。

1984年冬季オリンピック 開催地投票
都市 1回目 2回目
サラエボ   ユーゴスラビア 31 39
札幌   日本 33 36
ヨーテボリ   スウェーデン 10 -

ハイライト 編集

  • 閉会式はフィギュアスケートの会場で催された。

実施競技と競技日程 編集

競技名 / 日付 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19
開会式/閉会式
スキー アルペンスキー
クロスカントリースキー
スキージャンプ
ノルディック複合
スケート スピードスケート
フィギュアスケート
バイアスロン バイアスロン
ボブスレー ボブスレー
リュージュ リュージュ
アイスホッケー アイスホッケー

各国・地域のメダル獲得数 編集

国・地域
1   東ドイツ 9 9 6 24
2   ソビエト連邦 6 10 9 25
3   アメリカ合衆国 4 4 0 8
4   フィンランド 4 3 6 13
5   スウェーデン 4 2 2 8
6   ノルウェー 3 2 4 9
7   スイス 2 2 1 5
8   カナダ 2 1 1 4
  西ドイツ 2 1 1 4
10   イタリア 2 0 0 2
14   ユーゴスラビア(開催国) 0 1 0 1

主なメダリスト 編集

その他 編集

  • 大会後に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でメインスタジアムなど多くの競技施設が破壊され、墓場になった場所まであった。破壊された施設は戦後に再建されたものもあるが、大半の競技場が放置され現在も廃墟と化している[1]
  • 第一次世界大戦前のオーストリア=ハンガリー帝国による占領政策を恨んだ一部の地元住民がオーストリア代表チームに妨害行為を働いた。民間警備員がジャンプ代表選手を殴打する、閉会後に民衆が代表宿舎を襲撃し投石するなどが行われ、競技どころでなくなったオーストリア代表は冬季スポーツの強豪ながらわずか銅メダル1つと惨敗を喫した。
  • サラエボは2010年に2回目の冬季オリンピックを開催しようと立候補したが、一次選考で落選した。また2018年大会にも立候補する意欲を示したが、最終的に立候補を断念している。

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ Sarajevo's decaying Olympic venues Reuters.com

外部リンク 編集