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地理編集

サン=トゥアンはパリ郊外(バンリュー)にある。コミューンの南部でパリ17区パリ18区と接しており、ポルト・サン=トゥアンを通じて往来が可能である。西側のクリシーや東側のサン=ドニとともに歴史的なペイ・ド・フランス地方の南の一部である。

1860年、アドルフ・ティエールが築いた防衛用の市壁であるティエールの城壁fr)の内側にあったコミューンはパリに併合された。このとき、かつて独立したコミューンであったモンマルトル及びラ・シャペルの各一部が市壁の外側にあったことから、これらの領域がサン=トゥアンに併合された。

欧州以外のマグリブ諸国やサブサハラアフリカからの移民に加えて、中近東からの移民も増加し、セーヌ=サン=ドニ地域一帯がそうであるように、近年では文化摩擦失業人口の増加、薬物事犯などサン=トゥアンの治安も混沌としている。

交通編集

歴史・経済編集

コミューンの名は、ヴィッラ・クリッピアクム(Villa Clippiacum)で死去したルーアン司教であった聖ウアンに由来する。イングランドでは聖オーウェンと呼ばれた聖人の遺物は、カンタベリーへ運ばれた。聖人のラテン語名はAudœnus Dadoといい、サン=トゥアン住民がオドニアン(Audonien)と自称するのはこのためである。686年に聖人が帰天後、ウアンが暮らした家は巡礼地となり、小さな村は信仰の中心地となっていった。メロヴィング朝時代、王家のヴィラが建てられてからサン=トゥアンの歴史が始まった。ダゴベルト王時代の名をクリッピアクムといった。

フランス革命中の1793年、コミューンの名はバン=シュル=セーヌ(Bains-sur-Seine)と改名された。

1830年、川港とドックが完成した。これによりサン=トゥアンは川の駅として目覚しい経済発展を始めた。1862年にこれらはパリ北駅パリ東駅へ向かうプティト・サンチュールと連結された。化学工業、金属加工業が伸びて好景気は第一次世界大戦末期まで続いた。1960年代から1980年代まで産業の空洞化を経験し、経済基盤が一新された。現在はコミューン内に32,000人を雇用する3,300箇所の事業所がある。

みどころ編集

  • 蚤の市 - サン=トゥアン市内クリニャンクールで毎週土曜日・日曜日・月曜日に開催され、世界中から古物商が集まる[1]
  • サン=トゥアン城 - 17世紀。一時はポンパドゥール夫人ジャック・ネッケルが所有した。現在はコミューンが所有し、地元歴史博物館となっている。
  • スタッド・ド・パリ - サッカークラブレッドスターFC93のホーム・スタジアム

姉妹都市編集

出身者編集

脚注編集

  1. ^ Le marché aux puces est implanté sur l'emplacement des anciennes glacières de Saint-Ouen. Elles fournissaient autrefois une grande partie de la glace utilisée à Paris. Ces glacières consistaient en un puits de 10 mètres de profondeur et de 33 mètres de diamètre. On y fabriquait de la glace par des procédés artificiels.

外部リンク編集