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ドウェイン・ジョンソン

アメリカの俳優、プロレスラー

ザ・ロックThe Rock)ことドウェイン・ジョンソンDwayne Douglas Johnson1972年5月2日 - )[1]は、アメリカ合衆国俳優プロレスラー

ザ・ロック
(プロレスラー)
Dwayne Johnson 2, 2013.jpg
プロフィール
リングネーム ザ・ロック
ロッキー・メイビア
フレックス・カバーナ
ドウェイン・ジョンソン
本名 ドウェイン・ダグラス・ジョンソン
ニックネーム ピープルズ・チャンピオン
グレート・ワン
ブラフマ・ブル
アクション・キング
身長 196cm
体重 117kg(全盛時)
誕生日 (1972-05-02) 1972年5月2日(47歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州ヘイワード
スポーツ歴 アメリカンフットボール
トレーナー ロッキー・ジョンソン
パット・パターソン
デビュー 1995年
引退 2016年
テンプレートを表示
ドウェイン・ジョンソン
(俳優)
本名 ドウェイン・ダグラス・ジョンソン
別名義 ザ・ロック
生年月日 (1972-05-02) 1972年5月2日(47歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州ヘイワード
職業 俳優
活動期間 2001年 -
主な作品
映画
ワイルド・スピード』シリーズ
カリフォルニア・ダウン
モアナと伝説の海
ジュマンジ』シリーズ
ランペイジ 巨獣大乱闘
スカイスクレイパー
テレビドラマ
ballers/ボーラーズ
テンプレートを表示

1990年代末から2000年代初頭にかけ、WWEトリプルHジ・アンダーテイカーストーン・コールド・スティーブ・オースチンと並ぶ「ビッグ4」の一角を占めた代表的な選手である。現在は本名名義で俳優活動をメインとしている。

人物編集

カリフォルニア州ヘイワード出身、ホームタウンはフロリダ州マイアミ。祖父、父共に名プロレスラーであり、三世プロレスラーとして知られる。身長196cm、体重118kg。2001年ハムナプトラ2で映画俳優としてデビューし、2003年から本格的に俳優としての活動を開始した。プロレスやアメフトのバックグラウンドを生かし、俳優への本格転向後も役作りに必要ならばビルドアップした肉体やアクションを見せている。なお2011年の復帰以降もWWE公式サイトでは体重260ポンド(約118kg)とされている。

ザ・ロックとして「偉大な男The Great One)」、「全ての娯楽界一シビれる男The Most Electrifying man in All of Entertainment)」、「皆の王者The People's Champion)」、「猛牛The Brahma bull、ブラフマ・ブル)」、「ロッキーRocky)」など数多くのニックネームを持つ。猛牛のモチーフはオリジナルデザインの王座ベルトやグッズにも用いられている他、右肩には彼の象徴でもある片眉を吊り上げた表情(ピープルズ・アイブローとも言われる)をした赤目の猛牛のタトゥーが施されてある。モデルは子供の頃から好きだったというインド牛で、粘り強いが、同時にやさしく、感受性も豊かという意味が込められている。また2003年頃から、左半身を中心にサモアの伝統的な刺青を加え続けている。なお、日本においては「ロック様」と呼称されることが多いが、これは自らを三人称(The Rock)で語る口調をWWEの字幕放送を行っているJ SPORTSおよび翻訳会社のルミエールがそのように訳したことから始まるとされる。

プロレスラーとしては、WWE(当時WWF)デビュー当初こそ凡庸なキャラクターで観客の不評を買ったが、徐々に精悍な顔立ちに高い身体能力と優れたマイクパフォーマンスの能力を発揮していき、わずか数年で高い人気を獲得した。試合中、リング外を問わず観衆を沸かせることに非常に長け、グラウンド的なレスリングスキルの意味に限定されない高いレベルの総合的なプロレスのセンスを持っていた。特にスティーブ・オースチンスタナーなどの技を受けた際に、身体能力を活かし派手に跳ね上がるような受け身を行うのも特徴的であった。

俳優としても、コミカルな演技やアクションシーンなどで、プロレスラーとしての経験が発揮されている。活動開始当初はB級映画の出演が多かったものの、2009年の『ウィッチマウンテン』のヒットを契機に着々とヒット作への出演が増えていき、2013年にはフォーブス調査のハリウッドスターの収入ランキングで5位に入った[2]。以降2018年現在まで上位に座り続け、ハリウッドスターとしての地位を確かなものにしている。また2013年のオーバードライブを皮切りに、徐々に製作側として参加することも増えている。日本でもワイルド・スピードシリーズなどの出演により、肉体派アクション俳優としてプロモーションされる機会が増えている。

1990年代末から2000年代初頭の活躍によりすでにプロレスラーとしては成功し切っていることもあり、インタビューで引退をほのめかすような言葉を口にすることもある。正式にプロレスラーとしての引退を宣言してはいないが、現在基本的には俳優としての活動が主であり、俳優としても評価され契約から万が一にも怪我出来ないため、2011年のWWE復帰後もレッスルマニアなどの大舞台での散発的な試合復帰に留まっている。事故が起きる可能性も考慮され、自分で車も運転出来ないという。

来歴編集

青春期編集

母方の祖父はハワイマットの重鎮で伝説のサモア人レスラー、"ハイ・チーフ" ピーター・メイビア。父も絶大な人気を誇った黒人レスラー、"ソウルマン" ロッキー・ジョンソンというレスラーの家庭に生まれ育つ。どんな人種にも見える彼の独特の肌は、このサモア系と黒人のハーフという珍しい血統による。

元々はプロレス志望ではなく、ハイスクール時代からアメリカンフットボール選手として活躍し、多くの大学からのスカウト受けその中のマイアミ大学に進学。怪我に悩まされながらも同校のチーム「ハリケーンズ」でディフェンシブラインの花形選手として活躍し、1991年シーズンのオレンジボウルに勝利した。学業では犯罪学を学ぶ。卒業後はNFLを目指すが、指名が掛からずカナダのフットボールリーグCFLでNFL入りを目指すも酷い生活の中、1年ほどで解雇されてしまいプロフットボーラーを断念する。なお、この当時からグレート・ムタのファンでもあったことを公言している。

プロレスラーへ編集

その後プロレスラー転向を目指し父とロン・スリンカーのコーチを受ける。その後パット・パターソンの紹介を得てWWF(当時)でトライアウトとしてテレビ収録のダーク・マッチで2回ほど試合を行う(この時はリングネームは無く本名だった)。その後、1995年テネシー州メンフィスUSWAジェリー・ジャレット&ジェリー・ローラー主宰)でデビュー。当時のリングネームフレックス・カバーナFlex Cavanah)だった。この当時の一晩のファイトマネーは40ドルほど。

2度目のトライアウト(相手はオーエン・ハート)でついにWWFに昇格。

1996年11月にPPV大会サバイバー・シリーズでWWFデビュー。当初は父と祖父の名前にあやかったロッキー・メイビアというリングネームで戦い、トリプルHを下してIC王座を獲得するなどしたが、注目を浴びなかったため方向転換を余儀なくされた(この時のキャラクターが「どこにでもいる好青年キャラ」で、あまりにも平凡すぎたために注目されなかった)。しかしキャラクター後期には典型的なベビーフェイスにもかかわらず「サイテー」コールを浴び、彼を正統派フェイスとして売り出そうとしていたビンス・マクマホンは「どこで間違ったんだ」と唖然としたようである。その後、本人の意向もありジム・ロスが「ロッキーではなくザ・ロックに変更してはどうか」とビンスに勧め、『ザ・ロック』が誕生するに至った。

ザ・ロック出現、そして団体の顔へ編集

1997年5月にヒールターンし、黒人至上主義のユニット、ネーション・オブ・ドミネーション(NOD)に加入。その後、NODのリーダーであったファルークと険悪になり、ユニットから追放し自らリーダーとなる。リングネームを現在のものに変え、コスチュームも無駄に派手なものから黒を基調としたショートタイツとブーツに変更。髪を切り、後はカリスマ性と創造性で魅せるようになった。スラングを多用した毒舌トークから人気に火がつき、一気にスターダムへのし上がり、WWF/WWEの顔というべきスーパースターの一人となった。その人気ぶりはストーン・コールド・スティーブ・オースチンと並び、ひとたび彼が入場すれば、オースチン同様爆発するかの如き歓声が会場中に響き渡るほどである。

当時のWWF王座戦線はブレット・ハートショーン・マイケルズの独擅場だったため、IC王座を巡りオースチン、ケン・シャムロック、オーエン・ハートらと熾烈な抗争を展開。トリプルHとはそれぞれ率いるD-XとNODとの軍団抗争でも対決した。

1998年11月18日、サバイバー・シリーズで行われたWWF世界王者決定トーナメントを制し、当時最年少記録の26歳で王者となる。以降マンカインドやトリプルH、ジ・アンダーテイカーなどのライバル達とWWF王座を巡って名勝負、名インタビューを連発しWWEの「アティテュード時代」を象徴する選手となった。特にストーンコールドとのWWF王座戦は2度に渡ってレッスルマニアのメインイベントに組まれており、これを含め4年連続で同大会のメインイベントを務めた。2001年WCWが吸収合併された際にはWCW王座を獲得している。

2002年3月1日、日本横浜アリーナで行われたWWEハウス・ショー(日本公演)『SMACKDOWN TOUR LIVE IN JAPAN』で、プロレスラーとして初来日を果たした。この時はクリス・ジェリコWWE統一ヘビー級王座を賭けた王座戦を戦い、日本のファンを熱狂させた。

 
レッスルマニア18

3月17日WrestleMania X8で事実上のメインとして行われたハルク・ホーガンとの「ICON vs ICON」(新旧象徴対決)は、その歴史的な試合意義も含め名勝負として名高い。

俳優へ編集

これに前後して『スタートレック:ヴォイジャー』、『ハムナプトラ2/黄金のピラミッド』へのゲスト出演をきっかけに映画俳優転向を志し、『スコーピオン・キング』で初めて主演を務めた。この作品の撮影からの復帰後にもWWE統一ヘビー級王座を獲得したが、サマースラムブロック・レスナーに敗れて転落。

2003年1月にWWEに復帰すると、映画スターとしてのキャラクターを誇張するヒールに変貌を遂げる。ノー・ウェイ・アウトではホーガンとの再戦、WrestleMania XIXではストーンコールドとの3度目となったレッスルマニアでの対戦(なおこれがストーンコールドの実質の引退試合となっている)、バックラッシュでは「WCW最後の大物」ビル・ゴールドバーグのWWE初試合と、世紀の対決を連発した。

2004年、当時エボリューションと抗争していたかつての相棒ミック・フォーリーを助けるために3月1日のRAWに登場した。そして3月14日のWrestleMania XXではミック・フォーリーとのタッグ「ロックン・ソック・コネクション」を復活させ、エボリューションとのハンディキャップ・マッチを行ったが、試合には敗れてしまった。5月17日にはジョナサン・コーチマンに口撃されていたユージンを助けるために突如登場。途中ユージンに「好きなレスラーはトリプルH」と言われてしまう一幕もあったが、二人でコーチマンを一蹴し大歓声を受けた。6月21日に自身の地元マイアミで行われたRAWにも登場している。そこでは自身と同じ三世スターであるランディ・オートンと口論となったため、GMのエリック・ビショフに追い出されるような形で会場を後にしたが、十分に存在感を見せつけた。しかし、これを最後にロックはWWEのリングから7年弱もの間遠ざかることになった。

2007年3月12日のRAWにビデオながら突如登場し、WrestleMania 23で行われるビンス・マクマホンの代理選手ウマガドナルド・トランプの代理選手ボビー・ラシュリー勝負について語り、久々に決めゼリフも披露した。

2008年3月29日、祖父ピーター・メイビアと父ロッキー・ジョンソンのWWE殿堂入りを紹介するプレゼンターとして式典に姿を見せた。同年公開の映画『ゲット スマート』ではメインキャストの1人としてスパイを演じている。この年、米国の雑誌『エンターテインメント・ウィークリー』のインタビュー[3]に答え、「私はそのニックネームと共に全てを築いてきたことを承知しているが、そのネームバリューなしに何かもっと多くのことが出来ないものかずっと模索してきた。(私の名前が)“ザ・ロック”からドウェイン・“ザ・ロック”・ジョンソンへ、そしてドウェイン・ジョンソンへと変わるのは自然の成り行きなんだ」と語り、ザ・ロックというキャラクターと訣別する意思を持っていることを明らかにしていた。

2009年には主演映画『ウィッチマウンテン/地図から消された山』は北米での公開週の興行成績が1位[4]となるなど、俳優としての注目度及び評価も徐々に上昇していった。同年、スマックダウン10周年記念放送にビデオメッセージで久々に出演。当初は自らをドゥエイン・ジョンソンと名乗り映画スターとして落ち着いた口調で話していたが、次第にザ・ロックのキャラクターを思い出していき、最後は往年のロック節を聴かせ、復帰こそ明言しなかったものの、今なおスマックダウンの主役は自分であること、RAWのホストとしての出演を示唆するなどした。

2011年、復活編集

2011年2月14日、アナハイムで開催されたRAWにて、レッスルマニアのホストを務めるという形でおよそ7年ぶりにロックはWWEのリングに姿を現した。全盛期と変わらない大歓声で迎えられる中、往年の決め台詞を披露すると、現在もはや自分と同格の存在にあるジョン・シナと、当時のWWE王者ザ・ミズに対して痛烈なマイクアピールを行い、対決姿勢にあることを示唆した。そして迎えた4月のWrestleMania XXVIIではオープニングでマイクパフォーマンスを行うと、バックステージで往年のライバル・ストーンコールドと久々に対面した。

更に、メイン戦のザ・ミズとシナのWWE王座戦がダブルカウントアウトに終わるとすぐさま登場、その場で反則裁定なしでの再試合を命じる。すると再開直後にシナにロックボトムを見舞いシナの王座戴冠を阻む。運良く王座防衛したミズにもピープルズ・エルボーを浴びせた。翌日のRAWでシナの呼びかけに姿を表し、翌2012年のレッスルマニアXXVIIIでの一騎討ちを誓った。またこの試合へのカウントダウンもWWE公式サイト内で開始された。[5]

5月2日のRAWは、ロックの誕生日スペシャルと銘打たれた。番組内ではアメリカテレビ界における著名番組のホスト、サミュエル・L・ジャクソンら映画俳優や、NBA選手らが祝福のコメントを寄せた。またピットブルがパフォーマンスを行った他、マイアが『Happy Birthday』を熱唱した。更に終盤にはビンス・マクマホンが登場、ディディの『Coming Home』をBGMに使用したトリビュートビデオを披露し、華を添えた。その後、久々に復活したタフイナフにゲスト出演、未来のWWEスーパースター達の目の前で、衰えを感じさせないリングワークを見せ付けた。他にも2011年の復活以降は様々な形でたびたびWWEの番組に登場している。

一方、正式な試合自体はレッスルマニアでの対シナ戦まで行わないのではとの憶測も飛んでいた。しかし2011年11月、R・トゥルースとザ・ミズのコンビに苦しめられていたジョン・シナによる指名を受け、マディソン・スクエア・ガーデンで開催されたサバイバー・シリーズでシナとタッグを組み、7年半ぶりにリング復帰を果たす。試合では「まだやれる」コールが巻き起こるなど健在振りを見せ、最後はミズを得意のスパインバスターからのピープルズ・エルボーで沈め見事勝利した。試合終了後にはシナにロック・ボトムを食らわせレッスルマニアでの対戦へ向け強いインパクトを残した。

2012年編集

そして迎えた2012年4月1日レッスルマニア28にてジョン・シナとシングルで対戦。お互い同格の存在なものの、観客はロックを支持する者が多く、シナが入場する際にはブーイングが多々あったが、ロックは大歓声の中入場した。試合はシナに攻め込まれる場面がみられるも、スパイン・バスターピープルズ・エルボーロック・ボトムなど全盛期を彷彿とさせる動きを見せ観客を大いに沸かせる。試合はお互いの必殺技を出し合いながら30分以上の激闘となり、試合後半は疲れが見えたものの、最後はシナがピープルズ・エルボーを模したところへカウンターのロック・ボトムを放ちそのまま3カウント。1年にわたる長い抗争は、ロックの勝利となった。

7月23日のRAW1000回特番に再び登場し、2013年1月に行われるロイヤルランブルにてWWE王座に挑戦することを発表した。その後、同日行われていたCMパンクジョン・シナのWWE王座戦に乱入したビッグ・ショーを制するため自身も乱入したものの、ピープルズ・エルボーの最中にCMパンクからの攻撃を受け、ダウンさせられた。

2013年 - 2014年編集

 
2013年

前述のロイヤルランブルにてWWE王者CMパンクと対戦。一度は第三者の介入もあり、CMパンクに敗れるが、直後にマクマホン会長の指示で再試合が行われ、ピープルズ・エルボーでフォール勝ちを収め、11年ぶりにWWE王座を獲得した。

4月7日に行われたレッスルマニア29のメインイベントで、ジョン・シナに破れWWE王座を失う。

2014年4月6日に行われたレッスルマニア30で、レジェンドのホーガン、オースチンらと再会し、トークをしあった。(本番前では、バックステージで仲睦まじい様子が映された。)

2015年 - 2017年編集

1月25日に行われたロイヤルランブルのバトルロイヤル戦に登場して、親戚のロマン・レインズの優勝を祝福する。

2015年、3分間で自撮り写真を105枚撮影したとしてギネス世界記録に認定されたが、翌2016年にドニー・ウォルバーグが122枚の記録を出しその記録は破られた[6]。その年、米フォーブス誌の「最も稼いだ男優2016」で第1位を獲得。推定収入は6,450万ドル[7]。また、米娯楽誌ピープルの『最もセクシーな男性』に選ばれた[8] そして、 ディズニー映画モアナと伝説の海』で主要人物のマウイを演じ、声優デビューも果たした。

さらに2017年、米アップル社のアプリケーション「Siri」のCM『The Rock×Siri』に出演し、日本でも放送された。[9]

2019年 -編集

2013年のシナ戦以降、ロックは全くリングに上がらず、度々顔を出してはマイクパフォーマンスするのみに留めていた。このことから引退したのではと噂されていたが、2019年8月1日、米テレビ番組に出演し、レスリングからは2016年に引退したと公言した[10][11]

2019年8月18日、ハワイにて12年来の恋人と挙式した[12]。ロック自身2度目の結婚になる[13]

得意技編集

 
ロック・ボトム
ロック・ボトム
ロックのオリジナル技であり、ピープルズ・エルボーと並ぶ代名詞的フィニッシュ・ホールド。向かい合った相手の右脇に頭を潜り込ませて相手の左肩の上に右腕を引っ掛けて、左手で相手の背中の方に回し、胴を抱え込み、抱えた相手の体をリフトアップして前のめりに倒れ込みながら相手の右足を右足で払い、落下させた相手の背中を叩きつける。
ピープルズ・エルボー
ロックのオリジナル技であり、ロック・ボトムと並ぶ代名詞的フィニッシュ・ホールド。仰向けになった相手の頭側に仁王立ちし、主に右肘のサポーターを観客席へ投げ、人差し指を立てた両手を胸の前で何回か交差させるように振った後、左のロープに走り、帰って来て相手を飛び越えて次に右のロープで跳ね返り、相手の側で急停止してから手や足を波打たせながら派手なエルボー・ドロップを叩き込む。
アクションが重要な技で観客も一体になって盛り上がる。そのパフォーマンス性の高さからロックは「娯楽スポーツ界最高の美技(The most electrifying move in sports entertainment)」と自称していた。
スパイン・バスター
向かい合った相手の腰を左手で左腿を右手で、それぞれ抱えて相手の体を軽く宙に持ち上げて自身の体を右方向へと180度捻って相手に体を浴びせかけるような感じで前のめりに倒れ込み、相手の背中を叩きつける。ピープルズ・エルボーへの繋ぎとして用いられることが多い。
DDT
パンチを連発した後や、相手の腕を捻った後に首を捕らえて非常に素早く行う。この後にキップアップで跳ね起きることも多かった。
シャープシューター
倒れている相手の両足の間に右足を入れて相手の左脇腹の横へ踏み込んで、相手の両足を膝でクロスさせて相手の右足を自分の右腕でロックし、右足を軸にして反転(ステップオーバー)して相手をひっくり返すしてから腰を落とす。ロックの場合は深く腰を落とすことは無い。
ナックル・パート連打からの平手打ち
非常に派手なモーションながらも素早くパンチを連打して平手を掲げてから平手打ちで締めくくる。
クローズライン
フライング・クローズライン
ベリー・トゥ・ベリー・スープレックス
サモアン・ドロップ
これらのいくつかの技は試合の流れを変える時に繰り出す。
ダイビング・クロス・ボディ
若手時代に使用していた。

主な語録編集

  • Just bring it!!
(かかってこい!)
  • If you smell what The Rock is cookin'!
(ロック様の妙技を、たっぷりと、味わうがいい!)
後にピープルズ・アイブロー(皆の眉毛)を上げるのが「お約束」である。
なお、この決めゼリフはビンス・マクマホンの提案によってできたものである(自伝「ザ・ロック」の記載より)。
  • Finally The Rock has come back to○○!
(ついに、ロック様が、○○に帰ってきたぞ!)
空白部分には興行をする地名が入る。今まで訪れたことのない土地であったとしても「お約束」としてインタビュー中にこの言葉を叫ぶ。出身地であるフロリダ州マイアミで興行が行われた際には「Finally The Rock has come back home」とアレンジしたこともある。
  • Know your role, and Shut your Mouth!
(身の程を知れ、そして黙れ!)
  • Lay the SmackDown Hotel!
(お仕置きホテルにぶち込んでやる!)
WWEがウィークリー番組として放送している「SmackDown(現・SmackDown LIVE)」の番組名はこの発言から取られている。
  • It doesn't matter what you○○!
(貴様の○○など関係なし!)
まず相手に質問し、相手が喋り出すと同時に叫ぶ。空白部分にはロックが質問したこと(think「考え」やwant「希望」など)が入る。
  • Boot to Asses!
(ケツにお仕置き)

このほかにロック自身の言葉ではないが、インタビュー中に会場のファン達が「ロッキー!」とコールし、ロックはインタビューを中断してそのコールに耳を傾けるという「お約束」もある。これは控室の選手、そして視聴者を惹きつけるためである。このため、ロックのインタビューは事前収録されず、必ずその場で収録されるという。また、ロックは台詞の中で独自のスラングを使用する。

獲得タイトル編集

入場曲編集

  • Electrifying
2011年 -
  • It's Conquered
2003年 - 2004年初期に使用。2つのバージョンがある。
  • If You Smell...
2001年 - 2002年に使用。
  • Know Your Role
1999年 - 2001年、2004年、2007年、2008年、2009年に使用。
  • Do You Smell It
1998年 - 1999年に使用。
いくつかのバージョンがある。
  • Power
NOD時代に使用。
  • Destiny
ロッキー・メイビア時代に使用。

出演作品編集

映画編集

公開年 邦題
原題
役名 備考 吹き替え
2001 ハムナプトラ2/黄金のピラミッド
The Mummy Returns
スコーピオン・キング 原語音声(ソフト版)
高田延彦フジテレビ版)
郷里大輔テレビ朝日版)
2002 スコーピオン・キング
The Scorpion King
スコーピオン・キング(マサイアス) 小山力也(ソフト版)
東地宏樹日本テレビ版)
2003 ランダウン ロッキング・ザ・アマゾン
The Rundown
ベック 小山力也(ソフト版)
東地宏樹(テレビ東京版)
2004 ワイルド・タウン/英雄伝説
Walking Tall
クリス・ヴォーン 楠大典
2005 Be Cool/ビー・クール
Be Cool
エリオット・ウィルヘルム 高瀬右光
DOOM
Doom
サージ 石塚運昇
2006 サウスランド・テイルズ
Southland Tales
ボクサー・サンタロス / ジェリコ・ケイン 小山力也
ギャングスターズ 明日へのタッチダウン
Gridiron Gang
ショーン・ポーター
2007 ポリス・バカデミー/マイアミ危機一髪!
Reno 911!: Miami
リック・スミス ノンクレジット
ゲーム・プラン
The Game Plan
ジョー・キングマン 楠大典
2008 ゲット スマート
Get Smart
エージェント23 楠大典(ソフト版)
小杉十郎太(テレビ朝日版)
2009 ウィッチマウンテン/地図から消された山
Race To Witch Mountain
ジャック・ブルーノ 楠大典
2010 妖精ファイター
Tooth Fairy
デレク
アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!
The Other Guys
クリストファー・ダンソン 株田裕介
ファースター 怒りの銃弾
Faster
ドライバー 楠大典
2011 ワイルド・スピード MEGA MAX
Fast Five
ルーク・ホブス 小山力也(劇場公開版)
不明(機内上映版)
2012 センター・オブ・ジ・アース2 神秘の島
Journey 2: The Mysterious Island
ハンク 大塚明夫
2013 ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金
Pain & Gain
ポール・ドイル 楠大典
G.I.ジョー バック2リベンジ
G.I. Joe: Retaliation
ロードブロック
オーバードライヴ
Snitch
ジョン・マシューズ 兼製作
ワイルド・スピード EURO MISSION
Fast & Furious 6
ルーク・ホブス 小山力也
11ミリオン・ジョブ
Empire State
ジェームズ・ランソン ビデオ映画 楠大典
2014 ヘラクレス
Hercules
ヘラクレス
2015 ワイルド・スピード SKY MISSION
Fast & Furious 7
ルーク・ホブス 小山力也
カリフォルニア・ダウン
San Andreas
レイ 楠大典
2016 セントラル・インテリジェンス
Central Intelligence
ボブ・ストーン 日本公開は2017年11月 景浦大輔
モアナと伝説の海
Moana
マウイ 声の出演
日本公開は2017年3月
尾上松也
2017 ワイルド・スピード ICE BREAK
The Fate of the Furious
ルーク・ホブス 小山力也
ベイウォッチ
Baywatch
ミッチ・ブキャナン 兼製作総指揮
日本劇場未公開
ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル
Jumanji: Welcome to the Jungle
スモルダー・ブレイブストーン 兼製作総指揮
日本公開は2018年
楠大典
2018 ランペイジ 巨獣大乱闘
Rampage
デイビス・オコイエ 兼製作総指揮
スカイスクレイパー
Skyscraper
ウィル・ソーヤー 兼製作
2019 ワイルド・スピード/スーパーコンボ
Fast & Furious Presents: Hobbs & Shaw
ルーク・ホブス 小山力也
ジュマンジ/ネクスト・レベル
Jumanji: Next Level
スモルダー・ブレイブストーン 兼製作総指揮 楠大典

テレビシリーズ編集

放映年 邦題
原題
役名 備考 吹き替え
2000 スタートレック:ヴォイジャー
Star Trek: Voyager
チャンピオン 135話「囚われのファイター」 楠見尚己
2007 シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ
Hannah Montana
本人役 第2シーズン第17話「私がパパラッチ!」
2015- ballers/ボウラーズ
Ballers
スペンサー・ストラスモア 兼製作総指揮  (吹き替え版なし)

その他編集

  • WWEのスーパースターであると同時にハリウッドスターでもあり、それ故にレスラーとしての来日は難しい状況にある。もし、レスラーとしてブッキングする場合、「プライベートジェット機の使用」「ボディーガードを最低でも5人は用意する」「ギャラも1~2億では無理」と武藤敬司がインタビューで発言している[14]
  • ショーン・マイケルズとは一度も対戦したことがなく、その理由に関してはロックが活躍した時期がマイケルズが引退した後で、マイケルズが復帰した時期がロックがハリウッドに仕事を移した後というタイミングのズレが原因だと思われている。(他にも不仲説などがあるが、これは決定的な証拠がないため断言できない。)
  • 5歳の頃に、スティーヴ・リーヴス主演の『ヘラクレス』を見て、高校や大学でギリシャ神話やヘラクレスの12の難業を学び、ヘラクレスは肉体にしみ込んでいった。ブレット・ラトナーに会ったとき、「僕はこの役を演じるために生まれてきた」とまで言い、夢がかなったと感じている[15]

脚注編集

  1. ^ Dwayne Johnson Biography: Film Actor, Athlete (1972–)”. Biography.com (FYI / A&E Networks. 2017年12月12日閲覧。
  2. ^ Pomerantz, Dorothy. “Robert Downey Jr. Tops Forbes' List Of Hollywood's Highest-Paid Actors” (英語). Forbes. 2019年3月17日閲覧。
  3. ^ ザ・ロックことドウェイン・ジョンソンインタビュー 2008年6月8日 Entertainment Weekly閲覧(英語版)
  4. ^ ディズニーの新作SF映画、北米興行成績で初登場1位 2009年3月16日 (c)AFP
  5. ^ 「レッスルマニア28まであと200日 2008年9月18日 WWE公式サイト閲覧(英語版)
  6. ^ “47歳俳優3分間で最も自撮り写真を撮った世界記録”. 日刊スポーツ. (2016年10月26日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1729501.html 2016年10月26日閲覧。 
  7. ^ “「最も稼いだ男優2016」1位はドウェイン・ジョンソン”. シネマトゥデイ. (2016年8月30日). http://www.cinematoday.jp/page/N0085609 2016年8月30日閲覧。 
  8. ^ ドウェイン・ジョンソン、最もセクシーな男の栄冠を手に入れる!” (日本語). cinemacafe.net. 2019年6月29日閲覧。
  9. ^ Apple.com:The Rock × Siri
  10. ^ D-GENERATIONX.COM(管理者) (2019年8月5日). “ザ・ロック様曰く、プロレスラーとしては「密かに引退した」” (日本語). D-Generation X. 2019年8月5日閲覧。
  11. ^ (日本語) Dwayne "The Rock" Johnson Misses Wrestling, https://www.youtube.com/watch?v=ivBrMj4qLI4 2019年8月5日閲覧。 
  12. ^ ドウェイン・ジョンソンが12年来の恋人と結婚 - ハリウッド : 日刊スポーツ
  13. ^ @therock - Instagram:「We do. August 18th, 2019. Hawaii. Pōmaikaʻi (blessed) @laurenhashianofficial❤️ @hhgarcia41📸」” (日本語). Instagram. 2019年8月20日閲覧。
  14. ^ 週刊プロレス2013年6月19日号の武藤敬司インタビューより
  15. ^ ヘラクレス (2014年の映画)日本語パンフレットのドウェイン・ジョンソンのインタヴュー

関連項目編集

外部リンク編集