シッド・ビシャスSid Vicious、本名:Sidney Raymond Eudy1960年7月4日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーアーカンソー州ウェスト・メンフィス出身[2]

シッド・ビシャス
シッド・ビシャスの画像
2012年
プロフィール
リングネーム シッド・ビシャス
シッド・ジャスティス
サイコ・シッド
ザ・ビシャス・ウォリアー
ロード・ヒューマンガス
本名 シドニー・レイモンド・ユーディー
ニックネーム 世界の支配者(The Master and Ruler of the World)
ミレニアム・マン
身長 206cm[1]
体重 143kg(全盛時)[1]
誕生日 (1960-07-04) 1960年7月4日(63歳)[2]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
アーカンソー州の旗 アーカンソー州
クリッテンデン郡ウェスト・メンフィス[2]
トレーナー トージョー・ヤマモト[2]
デビュー 1987年[2]
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2メートルを超える長身と筋骨隆々の肉体を誇り、シッド・ジャスティスSid Justice)、サイコ・シッドSycho Sid)などのリングネームでも活動。技術面は荒削りで素行の悪さでも有名であったが[3]、その人間離れした体躯と風貌および存在感から、全盛期の1990年代WWF(現:WWE)とWCWの両メジャー団体を行き来し、ヒールのトップスターとして活躍した[4]

セックス・ピストルズベーシストシド・ヴィシャスとは同名の別人(日本ではプロレスラーの方をシッド・ビシャスと表記しているため大きな混乱はない)[1]

来歴 編集

日系レスラーのトージョー・ヤマモトのコーチを受け、1987年にデビュー[2]アイスホッケーのマスクを付けたヒール覆面レスラーロード・ヒューマンガスLord Humongous[5]の名で、テネシー州メンフィスCWAにて活動する[4]。2月23日の初戦ではオースチン・アイドルと組み、ジェリー・ローラー&ニック・ボックウィンクルと対戦[6]。以降もローラーをはじめ、ロッキー・ジョンソンソウル・トレイン・ジョーンズと対戦した[6]

並行してNWAアラバマ地区(CCW)にもベビーフェイスのポジションで参戦し、シングルでは1987年12月25日にNWAサウスイースタン・ヘビー級王座を[7]、タッグでは1988年7月18日にシェーン・ダグラスと組んでNWAコンチネンタル・タッグ王座を獲得[8]。10月3日のバーミングハムでのイベントでは、ダグラスとのコンビでコキーナ&シカアノアイ・ファミリーと対戦した[9]

1988年11月より、CWAにてホッケーマスクを脱いで素顔となり、シッド・ビシャスSid Vicious)と改名[10]。超大型のヒールとして、ビル・ダンディージェフ・ジャレットと抗争した[10]。同年12月10日には、ブライアン・リーからCWAヘビー級王座を奪取している[11]

1989年2月、ビシャス・ウォリアーThe Vicious Warrior)のリングネームで新日本プロレスに初来日[1]。初戦となる2月22日の両国国技館大会において、藤波辰巳IWGPヘビー級王座に挑戦した[12]。来日中はスーパー・ストロング・マシーン木村健吾を破り、アントニオ猪木長州力とのシングルマッチも行われた[13]

帰国後、シッド・ビシャス名義で初期のWCWに移籍し、ダン・スパイビーとの巨人タッグチーム、ザ・スカイスクレイパーズThe Skyscrapers)を結成[14]テディ・ロングマネージャーに迎え、スタイナー・ブラザーズロード・ウォリアーズと抗争するが、スタイナーズ戦での怪我により1989年11月から欠場を余儀なくされる(スパイビーはマーク・キャラスを新パートナーにスカイスクレイパーズを継続)[14]1990年下期に復帰してからは、スティングWCW世界ヘビー級王座レックス・ルガーUSヘビー級王座に再三挑戦[15][16]リック・フレアー率いるフォー・ホースメンのメンバーにもなり、トップ戦線で活躍した[4]

1991年7月、当時引退を発表していたハルク・ホーガンの後継者候補としてWWFに引き抜かれる。当初はシッド・ジャスティスSid Justice)と名乗り、ベビーフェイスとして活動[4]テッド・デビアスをはじめ、ザ・ウォーロードタイフーンカトーザ・バーバリアンハーキュリーズなどから勝利を収め、ジ・アンダーテイカージェイク・ロバーツとも抗争した[17]。しかし、1992年1月19日のロイヤルランブル'92での遺恨を発端にホーガンと仲間割れしてヒールに戻る[4]。ロード・ヒューマンガス時代にもマネージャーを担当していたダウンタウン・ブルーノことハービー・ウィップルマンと再合体し、同年4月5日のレッスルマニアVIIIでは「ホーガン引退試合」の相手を務めた(試合はパパ・シャンゴの乱入でホーガンの反則勝ち)[18]。その後はアルティメット・ウォリアーと抗争するが、薬物検査での不正行為が発覚してWWFを解雇された[4]

1993年5月にWCWに復帰したが、同年10月28日、イギリス遠征中にアーン・アンダーソンと口論になった際、アンダーソンの胸部と腹部をハサミで数箇所突き刺す事件を起こして解雇される(「アンダーソン事件 / Arn Anderson's stabbing incident」とも呼ばれる)[4]ステロイド剤の常用による情緒不安定が原因とも言われる。

WCWを解雇された後、1994年からCWAの後継団体USWAに参戦して、ジェリー・ローラーとの抗争を再開[19]。同年7月16日には(アングルとして)試合前に対戦相手のローラーを襲って負傷させ、不戦勝によりUSWA統一ヘビー級王者となる[20]。以降、当時USWAと提携していたWWFのタタンカメイブル、アンダーテイカーらを挑戦者に迎え[21]1995年2月6日にローラーに奪還されるまで戴冠した[20]

 
1995年

1995年2月下旬より、ニュー・ジェネレーション期のWWFに再登場。前述の事件もあってか、狂人ヒールのサイコ・シッドSycho Sid)としての復帰だった(入場曲も映画『サイコ』の有名なシャワーシーンのBGMをイントロに用いていた)。当初はディーゼルに代わるショーン・マイケルズボディーガードとして登場したが、4月2日のレッスルマニアXIでのマイケルズ対ディーゼル戦での連携ミスを発端に、翌日のマンデー・ナイト・ロウで仲間割れ[22]。その後はテッド・デビアス率いるミリオンダラー・コーポレーションのメンバーとなり[4]、マイケルズ、ディーゼル、レイザー・ラモンらと抗争を展開[23]1996年11月17日、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンで開催されたサバイバー・シリーズ'96において、マイケルズを破りWWF世界ヘビー級王座を獲得した[24]。翌1997年はアンダーテイカーやストーン・コールド・スティーブ・オースチンの挑戦を退け[25]、1月19日にマイケルズに奪還されるも、2月17日にブレット・ハートを下して再び戴冠[24]。以後、前王者のブレットをはじめ、マンカインドベイダーハンター・ハースト・ヘルムスリーなどを相手に防衛戦を行い[25]、3月23日のレッスルマニア13においてアンダーテイカーに敗れるまでWWF王座を保持した[24]。その後はブリティッシュ・ブルドッグヨーロピアン王座オーエン・ハートインターコンチネンタル王座に挑戦したが[25]、同年6月に再びWWFを脱退[4]

以降、インディー団体への単発出場やECWへの短期参戦[26]などを経て、1999年7月よりWCWに復帰[4]メデューサミス・マッドネスらと共にランディ・サベージ率いる「チーム・マッドネス」のメンバーとなる。ミレニアム・マンThe Millennium Man)と名乗り、9月12日にクリス・ベノワからWCW USヘビー級王座を奪取[27]。10月24日にビル・ゴールドバーグに敗れてタイトルを明け渡すも[27]2000年1月24日にはケビン・ナッシュとの王座決定戦を制してWCW世界ヘビー級王座を獲得した[28]。翌25日にナッシュがコミッショナー権限を悪用して剥奪するが、同日にナッシュ&ロン・ハリスとの3ウェイ金網デスマッチに勝利して奪い返し、4月10日にエリック・ビショフらがWCWの全タイトルを空位にするまで戴冠した[28]。ハルク・ホーガンの結成したミリオネアーズ・クラブにも参加したが、2001年1月、試合中に脚を骨折して以降は半ばセミリタイア状態となった[4]

2002年オーストラリアWWAにコミッショナーとして登場。ツアーにも同行した[4]2004年6月12日、モントリオールのIWS(インターナショナル・レスリング・シンジケート)において、ピエール・カール・ウエレと組んでタッグチームロイヤルランブルに出場[4]。久々のリング復帰を果たした。

以降、2007年から2010年にかけて、JCWやメンフィス・レスリングなどのインディー団体にゲスト出場。トゥー・コールド・スコーピオラジ・シンジム・ドゥガンXパックチェイス・スティーブンスとも対戦した[29]2008年11月7日には、かつてUSWAで抗争を展開したジェリー・ローラーのレスラー生活35周年記念試合の対戦相手も務めた[30]

2012年6月25日、WWERAWに登場。ヒース・スレイターを得意技のパワーボムで倒し、およそ15年ぶりにWWEのリングで白星をあげた[31]

得意技 編集

206cmの長身から繰り出す、投げっ放しパワーボム。自身と同様の巨漢であるケビン・ナッシュジ・アンダーテイカーをハイアングルで投げ捨てたこともある。テリー・ゴディ以後、アメリカでパワーボムを広めた第一人者である。
この直後パワーボムにつなぐ場合もあれば、そのままフォールすることもある。時折、膝を付いて落とす形も使用する。若い頃は、軽量級相手ならば片手で投げることもあった。
1999年から2000年初頭にかけて、クリス・ベノワとの抗争直後に短期間ながら使用。これでナッシュからWCW世界ヘビー級王座を奪っている。
2001年1月14日、WCWPPV "Sin" において、スコット・スタイナーにセカンドロープから放ったが、着地に失敗して左足を膝下から完全骨折した[4]

獲得タイトル 編集

コンチネンタル・チャンピオンシップ・レスリング
コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
  • CWAヘビー級王座:1回[11]
ユナイテッド・ステーツ・レスリング・アソシエーション
  • USWA統一世界ヘビー級王座:2回[20]
ワールド・レスリング・フェデレーション
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
NWAノースイースト
  • NWAノースイースト・ヘビー級王座:1回

マネージャー 編集

逸話 編集

 
1995年
  • 無類のソフトボール好きとして知られる。WCW時代は試合をサボって草ソフトボールの試合に出場していたこともしばしばだった。
  • アーン・アンダーソンへの傷害事件を起こす以前の1991年10月12日、当時シッド・ジャスティスとしてWCWからWWFに移籍してきた頃にも「スキージー事件 / Squeegee Incident」と呼ばれる騒動を起こしている[3]。当日はジョージア州アトランタオムニ・コロシアムでWCWのハウス・ショーが開催されたが、翌日には同会場でWWFのショーも行われることになっており、そのためアトランタ空港内のホテルには両団体のレスラーが宿泊していた。ホテルのバーでは敵対する団体のレスラー同士が酒を飲みながら交流していたが、酒に酔ったシッドは数ヵ月前まで同僚だったWCWのレスラーたちに、いかにWWFが優れ、WCWが劣っているかを自慢し始めた[3]。WCWでロード・エージェントを兼務していたベテランのマイク・グラハムはシッドに静まるよう頼んだが、シッドはグラハムが今までの全キャリアで稼いだ以上の金を1週間で得たなどと豪語した[3]。さらに、同席していたブライアン・ピルマンに向かって、WWFが優れているのは、小さなレスラーに自分のような巨漢との試合をさせないからだと語った[3]。同年初頭、小柄なピルマンはシッドが意図的に危険な角度で放ったパワーボムで負傷させられたことがあり、この発言に激怒してシッドに私闘を挑んだ[3]。シッドは「上腕二頭筋を負傷したばかりなので怪我を悪化させたくない」などと話して一時その場を去ったが、武器のスキージー(窓掃除などに使われる用具)を持ってバーに戻り、グラハムとピルマンを挑発した[3]。しかし、臆することないグラハムにスキージーを掴まれ、周りに制止されながらもピルマンが殴りかかろうとすると、シッドは2人に罵詈雑言を浴びせながら、今度は本当にバーから去っていったという[3]。後のインタビューでシッドは、この騒動について「彼らにWWFの素晴らしさを伝えただけだったが、ピルマンが口を挟んできた」「1対2では不利だからスキージーを持って戻ってきた」などと話している[3]

脚注 編集

  1. ^ a b c d 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P44(2002年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b c d e f g h i j k Sid”. Wrestlingdata.com. 2023年11月14日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i Sid Vicious and the Infamous Squeegee Incident”. Pro Wrestling Stories (2023年1月23日). 2023年11月3日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n Sid Vicious”. Online World of Wrestling. 2023年11月3日閲覧。
  5. ^ 映画『マッドマックス2』に登場する同名キャラクターを模したギミックで、1980年代当時のアメリカ・マット界には同じリングネームおよびギミックのレスラーが南部エリアを中心に複数存在した(Online World of Wrestling)
  6. ^ a b The USWA matches fought by Sid in 1987”. Wrestlingdata.com. 2023年11月14日閲覧。
  7. ^ a b NWA Southeastern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年11月3日閲覧。
  8. ^ a b NWA Continental Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年11月3日閲覧。
  9. ^ CWF - Event @ Boutwell Auditorium in Birmingham, Alabama”. Cagematch.net. 2023年11月14日閲覧。
  10. ^ a b The USWA matches fought by Sid in 1988”. Wrestlingdata.com. 2023年11月3日閲覧。
  11. ^ a b CWA Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年11月6日閲覧。
  12. ^ NJPW Special Fight In Kokugikan”. Cagematch.net. 2023年11月3日閲覧。
  13. ^ The NJPW matches fought by Sid in 1989”. Wrestlingdata.com. 2023年11月3日閲覧。
  14. ^ a b Skyscrapers”. Online World of Wrestling. 2023年10月31日閲覧。
  15. ^ The WCW matches fought by Sid in 1990”. Wrestlingdata.com. 2023年11月3日閲覧。
  16. ^ The WCW matches fought by Sid in 1991”. Wrestlingdata.com. 2023年11月3日閲覧。
  17. ^ The WWE matches fought by Sid in 1991”. Wrestlingdata.com. 2023年11月3日閲覧。
  18. ^ WWF WrestleMania VIII "Friendship Torn Apart!"”. Cagematch.net. 2023年10月31日閲覧。
  19. ^ The USWA matches fought by Sid in 1994”. Wrestlingdata.com. 2023年11月3日閲覧。
  20. ^ a b c USWA Unified World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年11月3日閲覧。
  21. ^ The USWA matches fought by Sid in 1994”. Wrestlingdata.com. 2023年11月3日閲覧。
  22. ^ WWF - 1995 Results”. The History of WWE. 2020年7月4日閲覧。
  23. ^ The WWE matches fought by Sid in 1995”. Wrestlingdata.com. 2023年11月3日閲覧。
  24. ^ a b c d WWWF/WWf/WWE Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年11月3日閲覧。
  25. ^ a b c The WWE matches fought by Sid in 1997”. Wrestlingdata.com. 2023年11月3日閲覧。
  26. ^ The ECW matches fought by Sid in 1999”. Wrestlingdata.com. 2023年11月3日閲覧。
  27. ^ a b c NWA/WCW United States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年11月6日閲覧。
  28. ^ a b c WCW World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年11月3日閲覧。
  29. ^ Sid Vicious: Matches”. Cagematch.net. 2023年11月3日閲覧。
  30. ^ USACW Lawler 35 - A Tribute Fit For The King”. Cagematch.net. 2023年11月3日閲覧。
  31. ^ WWE Monday Night RAW #996”. Cagematch.net. 2023年11月3日閲覧。

外部リンク 編集