シビウ

ルーマニアの都市

シビウSibiuハンガリー語: Nagyszeben ナジセベン、ドイツ語: Hermannstadt ヘルマンシュタット)はルーマニアトランシルヴァニア地方南部の都市である。人口は170,000人(2002年)。シビウ県の県都である。

シビウ
Sibiu
ルーマニアの旗
シビウの市章
市章
位置
シビウの位置の位置図
シビウの位置
位置
シビウの位置(ルーマニア内)
シビウ
シビウ
シビウ (ルーマニア)
シビウの位置(ヨーロッパ内)
シビウ
シビウ
シビウ (ヨーロッパ)
座標 : 北緯45度47分45秒 東経24度09分08秒 / 北緯45.79583度 東経24.15222度 / 45.79583; 24.15222
行政
 ルーマニア
  シビウ県
 市 シビウ
市長 アストリド・フォドルルーマニア語版
地理
面積  
  市域 121 km2
標高 431 m
人口
人口 (2007年現在)
  市域 154,458人
    人口密度   1,277人/km2
その他
等時帯 東ヨーロッパ時間 (UTC+2)
夏時間 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3)
公式ウェブサイト : http://www.sibiu.ro/

歴史 編集

ローマ人が建てた街カエドニア (Caedonia) の近くに、1190年ドイツ人の入植者によって設立された。1241年にはワールシュタットの戦い後、この地でモンゴル帝国軍によりトランシルヴァニア軍が撃退された。14世紀には商業の中心地になった。1376年の書物に19のギルドに分かれた職人たちがいたことが記されている。トランシルヴァニアで最も重要な街になった。17世紀には、西洋社会の東の端の街と考えられており、一時はトランシルヴァニア公国の首都だった時期もある。

非常にドイツ色の濃い都市であったが、19世紀からルーマニア人の活躍が目立ってくる。1860年以後、オーストリア帝国ルーマニア正教会を認可したことから、府主教座が置かれた。

第一次世界大戦後、オーストリア=ハンガリー帝国は解体され、シビウはルーマニア王国に併合された。人口の大多数はルーマニア人であったが、ドイツ人とハンガリー人の大きなコミュニティーを依然として抱えていた。

ドイツ系の人々は、その大半が1950年代から1990年代のあいだにドイツへ移住した。現在市内に残っているのは2000人ほどである。2000年6月30日から2014年12月2日までシビウ市長を務めたクラウス・ヨハニスはドイツ系であり、2014年12月21日よりルーマニア大統領を務める。 2007年欧州文化首都に選ばれた。

 
地名表示に再びドイツ語が取り入れられ、ルーマニア語との2言語表記になっている。

人口 編集

2002年のシビウの人口はおよそ170,000人であり、民族の構成は、

  • ルーマニア人 95%
  • ハンガリー人 2%
  • ドイツ人 1.6%
  • その他 1.4%

となっている。

大部分は正教会の一員であるルーマニア正教会の信者で、人口の4%がカトリックまたはプロテスタントである。

観光 編集

姉妹都市・友好都市 編集

シビウは以下の都市との協定を結んでいる[4]

スポーツ 編集

シビウ出身の著名人 編集

ギャラリー 編集

参照 編集

  1. ^ 『地球の歩き方 2017〜18 ブルガリア/ルーマニア』ダイヤモンド・ビッグ社、2017年、239頁。ISBN 978-4-478-06019-3 
  2. ^ 参考サイト:romaniatourism.com 「City Landmarks」の項
  3. ^ Performing Arts Network Japan
  4. ^ http://www.sibiu.ro/index.php/primaria/orase_infratite
  5. ^ 10月9日 高山市とシビウ市の友好都市交流に関する覚書サイン”. 駐日ルーマニア大使館. 2009年12月6日閲覧。

関連項目 編集