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地理編集

市内をヴィエンヌ川が流れ、クラン川、エンヴィーニュ川と合流する。

歴史編集

コミューンの名は、都市をつくったAiraudにちなむ。子爵の位を得て彼はこの地に城を築いた。城はラテン語でCastrum Airaldiと呼ばれ、やがてこの2つの言葉が合体して現在の名前となった。

  • 936年 - Airaudの名が初めて記録に残された
  • 952年 - ヴィエンヌ川とクラン川の合流地点、ヴィエンヌ川左岸に、Airaudの子孫が砦を築いた。
  • 11世紀 - Airaudの一族が断絶し、町はラ・ロシュフコー家の領有となる。
  • 1482年 - ラ・ロシュフコー家の領土がフランス王領に併合される。
  • 1505年 - ブルボン公妃アンヌ・ド・フランス、シャテルロー領主となる。
  • 1514年 - フランソワ1世、シャテルロー子爵位をシャテルロー公爵へ引き上げる。
  • 1549年 - アンリ2世、シャテルロー公位をスコットランド貴族であるアラン伯ジェームズ・ハミルトンへ与える。
  • 1609年 - 大シャテルロー橋(現在のアンリ4世橋)完成
  • 1630年 - 黒死病流行
  • 1900年 - 鉄筋コンクリート造のアーチ橋シャテルロー橋ヴィエンヌ川に建設される[1]
  • 1940年6月22日 - ドイツ国防軍、シャテルローを占領。

経済編集

長く刃物と武器製造の伝統を持っていたが、現在は自動車産業や航空機設備産業へ転換された。

交通編集

姉妹都市編集

著名な出身者編集

脚注編集

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  1. ^ 本田泰寛、小林一郎、ミシェル・コット (2005年5月15日). “シャテルロー橋の建設に見る鉄筋コンクリート橋技術”. 土木史研究論文集. 2019年8月1日閲覧。

外部リンク編集