シャルケ04

ドイツのサッカークラブ

シャルケ04(FC Schalke 04, ドイツ語: [ʔɛf t͡seː ˈʃalkə nʊl fiːɐ̯]、Fußballclub Gelsenkirchen-Schalke 04 e. V.[1][注 1])は、ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州ゲルゼンキルヒェンを本拠地とする総合スポーツクラブでS04ドイツ語: [ˈʔɛs nʊl fiːɐ̯])とも表記される。サッカー部門はドイツサッカーリーグ機構(ブンデスリーガ)に加盟し、過去7回のリーグ準優勝の経験を持つ。収入規模や平均観客動員数では国内屈指である。同じくノルトライン=ヴェストファーレン州に本拠地があるライバルのボルシア・ドルトムントとのダービーマッチルールダービーと呼ばれる。その他、バスケットボール陸上競技ハンドボール卓球などクラブチームおよび専属選手の保有や運営、育成に携わる。

シャルケ04
crest
原語表記 Fußballclub Gelsenkirchen-Schalke 04 e. V.[1]
愛称 Königsblau(王者の青)
Die Knappen(炭鉱夫たち)
クラブカラー     青(ブルー)・    白(ホワイト)
創設年 1904年
所属リーグ ドイツ・ブンデスリーガ
所属ディビジョン 1部
ホームタウン ゲルゼンキルヒェン
ホームスタジアム 2010-06-03 Arena AufSchalke 01.jpgフェルティンス・アレーナ
収容人数 62,271
代表者 ドイツの旗 アクセル・ヘファー[2]
監督 ドイツの旗 トーマス・レイス
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

概要編集

 
練習中の選手
 
観戦中のサポーター

欧州サッカーのトップリーグの一つであるブンデスリーガに所属しており、その前身であるドイツ・サッカー選手権を通算7度制覇し、DFBポカールUEFAカップなどといった数々のタイトルを獲得しているが、ブンデスリーガでの優勝はない。2000-01シーズンに勝ち点1差でリーグ優勝を逃して以降も2位を3回記録したが、マイスターシャーレには届かない状況が続いている。

かつて国内最強を誇った時代に、"Königsblau"(王者の青)という愛称が定着した。またゲルゼンキルヒェンがかつて炭鉱の町であり、クラブの創設にも当時の石炭産業が関わっていたことから、炭鉱が寂れた現在でも "Die Knappen"(若い炭鉱夫たち)という愛称が用いられるほか、所属選手が炭鉱採掘を体験するイベントが毎年恒例となっている。また、本拠地のロッカールームからピッチへ向かう通路の壁も炭鉱をイメージしたものとなっており、チームスローガンの「Glück auf(グリュック アウフ)」も「(炭鉱から地上に無事に戻ってこれるよう)幸運を祈る」という意味で使われている。

ドイツ国内においてその人気は高く、ホームスタジアムをフェルティンス・アレーナに移した2001-02シーズン以降は2008年現在7シーズン連続で6万人を超える平均観客動員を記録中である。2001-02シーズンから2004-05シーズンまではドルトムントに続くブンデスリーガ2位の平均観客動員を記録していたが、バイエルン・ミュンヘン(Bミュンヘン)がアリアンツ・アレーナにホームスタジアムを移した2005-06シーズン以降は、ドルトムントやBミュンヘンに続くブンデスリーガ3位の平均観客動員が定位置となっている。

2014年1月、世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2012-13シーズンのクラブ収入は1億9820万ユーロであり、世界のサッカークラブの中では13位、ドイツではバイエルン・ミュンヘン、ボルシア・ドルトムントに次ぐ3位である[3]

第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世はクラブの名誉会員であった。

ユニフォームサプライヤーはアディダス、胸スポンサーはドイツのオンライン自動車ディーラーMeinAuto.de

歴史編集

創立期編集

1904年、2つの地域名を合わせた「ウェストファリア・シャルケ」というクラブ名で創設される[4]。創設に関わったのは若い炭鉱労働者で、当時のクラブカラーは赤と黄色だった[4]。1924年に「FCシャルケ04」と改称し、クラブカラーも現在まで続く青と白に変更された[4]。1920年代のサッカー界ではキック・アンド・ラッシュ戦術が流行していたが、イングランド育ちのハンス、フレッドのバルマン兄弟がスコットランド・スタイルをチームに持ち込み、「シャルケのコマ回し」と評されたパス・サッカーを展開した[4][5]

黄金時代編集

1933年から1942年にかけてドイツ・サッカー選手権優勝6回を数え、1936-37シーズンにはDFBポカールとの2冠を達成するなど黄金時代を迎えた。1957-58シーズンには7度目のサッカー選手権優勝を果たした。

ブンデスリーガ加入編集

1963年のブンデスリーガ発足とともに加入。1973年には、翌年のワールドカップのためにパルクシュタディオンが新設され本拠を移転した。1980年代に入ると成績が低迷し、1980-81シーズンで2部に降格。1981-82シーズンで1部に復帰するも、翌1982-83シーズンでプレーオフの末、再び降格した。1984-85シーズンから1部に復帰するも1987-88シーズンに三たび降格したが1991-92シーズンに1部復帰を果たした。

初のUEFAカップ制覇とDFBポカール連覇編集

1991-92シーズン以降はブンデスリーガ上位に顔を出すようになり、1996-97シーズン途中で監督に就任したフーブ・ステフェンスの下、初めてUEFAカップを制した。インテルナツィオナーレ・ミラノとの決勝戦ではPK戦に持ち込まれたがイェンス・レーマンの活躍もあり優勝した。

1998-99シーズンと1999-00シーズンは主力選手の怪我が相次ぎ下位に低迷した。このような理由からステフェンスは解任を免れた。

2000-01シーズンには、ライバルのドルトムントからアンドレアス・メラーが加入した。このシーズンはリーグで躍進し、Bミュンヘンとの直接対決を制して最終節まで優勝争いを演じ、DFBポカールでは優勝を果たした。特にメラーの加入は大きく、このシーズンに得点王になったエッベ・サンドエミール・ムペンザとのトライアングルは高い攻撃力を見せた。2001-02シーズンもこの強さは続き、DFBポカールで連覇も果たした。

フェルティンス・アレーナ完成以降編集

2001年に新たなスタジアム、フェルティンス・アレーナ(当時の名称はアレーナ・アウフシャルケ)が完成し、本拠を移転した。この建設などで多額の負債を負ったクラブは、新スタジアムの命名権も持つフェルティンスとの契約を2012年まで残しながら、2006年10月にロシアの企業・ガスプロムがメインスポンサーになった。これにより、5年半で1億2,500万ユーロの資金を獲得するとされている。

UEFAチャンピオンズリーグでは、新スタジアム完成後の2001-02シーズンに初出場した。2007-08シーズンのチャンピオンズリーグにおいて、グループリーグ最終節にてローゼンボリBKを破って逆転で勝ち抜き、決勝トーナメント1回戦でFCポルトを破りベスト8に進出した。しかし、2007-08シーズンのブンデスリーガ3位となり挑んだ2008-09シーズンのチャンピオンズリーグ予備3回戦、アトレティコ・マドリード戦では主力選手の故障も重なり、ドイツのクラブとしては2003-04シーズンにおけるドルトムント以来となる予備3回戦敗退となった。

2006-07シーズンは優勝争いを演じたが、2000-01シーズンと同様に優勝することはなかった。覇権奪回を目指すクラブは、2009年にVfLヴォルフスブルクを初のリーグ優勝に導いたフェリックス・マガトを監督に招聘した。

 
内田篤人 (2015年)

2010-11シーズンは開幕前に内田篤人が加入。チャンピオンズリーグ決勝トーナメントでベスト8進出し、DFBポカールでは決勝に勝ち進んだものの、ブンデスリーガでの成績は不振で、2011年3月17日、マガトが監督を解任され、後任としてラルフ・ラングニックが復帰することが発表された。2011-12シーズンはリーグ戦では14位と低迷したが、レアル・マドリードから移籍してきたラウル・ゴンサレスの活躍などで、クラブ初のチャンピオンズリーグでのベスト4に加えてドイツ・カップを獲得した。

2012-13シーズンはチャンピオンズリーグにおいてアーセナルを差し置いて首位でグループ通過したものの、ガラタサライに敗れベスト16に終わった。

2013-14シーズンはACミランからケヴィン=プリンス・ボアテングを獲得した。チャンピオンズリーグはグループ2位で通過したが、ベスト16でレアル・マドリードに敗れた。

2014-15シーズンは1.FSVマインツ05からチュポ・モティングを獲得し、冬の移籍市場ではマンチェスター・シティからマティヤ・ナスタシッチを獲得した。チャンピオンズリーグではベスト16で再びレアル・マドリードと対戦し、アウェーのセカンドレグは勝利したものの2戦合計4-5で敗れた。この頃からマックス・マイヤーレオン・ゴレツカレロイ・サネといった若手のドイツ人プレーヤーがチームを引っ張るようになった。

2015-16シーズンの夏の移籍市場では、ボアテングの契約を解除し、ユリアン・ドラクスラーVfLヴォルフスブルクに放出した一方、フランコ・ディ・サントヨハネス・ガイスピエール・エミール・ホイビュルクなどを獲得。冬の移籍市場ではユネス・ベルアンダを獲得した。ヨーロッパリーグではベスト32でFCシャフタール・ドネツクに2戦合計0-3で敗れた。

2016-17シーズンは監督にマルクス・ヴァインツィールが就任。夏の移籍市場で主力であったサネをマンチェスター・シティに放出したが、ブリール・エンボロ (バーゼル)、イェウヘン・コノプリャーンカコケ (セビージャ)、ナウド (ヴォルフスブルク)などを獲得。冬の移籍市場ではギド・ブルクシュタラー (ニュルンベルク)を獲得した。リーグ序盤で5連敗に始まり最下位に沈むなど最悪のスタートを記録した。3バック起用などで一時はV時回復を見せるも、ブンデスリーガは10位に終わり、ヨーロッパリーグを逃した。ヨーロッパリーグはベスト8でアヤックスに敗れて敗退した。

2017-18シーズン、32歳のドメニコ・テデスコを監督に就任させた。夏の新戦力として、フランクフルトからバスティアン・オツィプカを、FCナントからアミーヌ・アリを獲得した。また、テデスコはマックス・マイヤーを司令塔ポジションにコンバートさせ、見事成功させた。リーグ戦においてはシーズン通算18勝9分け7敗という結果を残し、中でも、11月に行われた第13節ドルトムント戦では、4点差のビハインドを跳ね返し、奇跡のドロー決着にさせた。これらの出来事により、クラブは、リーグ順位2位で4シーズンぶりのチャンピオンズリーグ出場権を手にした。

2019-20シーズンは監督にデイヴィッド・ワグナーが就任。2019年12月時点で3位に立ち、前半戦を8勝3敗6分けの5位で終えるなど、上々の滑り出しを見せていたが、多くの負傷者の存在や対戦相手からの分析が進んだ後半戦以降は、2020年1月17日のボルシアMGを2-0で下したのを最後に勝ち星から遠ざかり、6月7日の1.FCウニオン・ベルリン戦を1-1のドローで終え、1993-94シーズン以来となる27年ぶりのリーグ戦連続未勝利数がクラブ史上ワーストとなる12試合にまで伸び、未勝利記録を樹立した。その後も最終節のSCフライブルク戦も0-4と大敗し、順位こそ前半戦での大きな貯金もあり、前シーズンから2つ上がった12位で終えたが、後半戦だけの成績に限れば1勝10敗6分け(7得点37失点)の成績だった。同シーズン終盤の絶不調に加え、かねてより懸念されていたチームの財政事情が、2019新型コロナウイルスの影響により更に悪化。その為、クラブはシーズン終了後にノルトライン=ヴェストファーレン州から4000万ユーロ(約45億円)の借り入れを発表した[6][7][8]

2020-21シーズンは開幕節でFCバイエルン・ミュンヘン戦に0-8で敗れると、第2節のヴェルダー・ブレーメン戦も1-3で敗れ、同日ワグナー監督を解任。更に監督を目眩く交代させるなど、激動のシーズンに終始。2020年11月4日に行われたDFBポカール2020-2021 1回戦・1.FCシュヴァインフルト05戦で4-1と快勝し、同年2月5日に行われたDFBポカール2019-2020 3回戦・ヘルタ・ベルリン戦 (3-2)以来となる公式戦での勝利となった。しかし、リーグ戦初勝利は2021年1月に入ってからで、2勝目も4月に入ってからという、歴史的大低迷に喘いだ。同月21日のアルミニア・ビーレフェルト戦で0-1で敗北し、最下位決定での降格となった[9]

2021-22シーズンは第4節までにわずか1勝とスタートダッシュに失敗したが新加入の板倉滉らの活躍により前半戦は上々のできであった。しかし第25節ハンザ・ロストックに3-4で敗れ ディミトリオス・グラモジス監督を解任。暫定監督としてマイク・ビュスケンス 氏が指揮を執った。ビュスケンス監督のもとチームは復調。第31節のヴェルダー・ブレーメン戦を1-4で落とすも第33節のザンクトパウリ戦で2点差からの逆転勝利を収め1年での一部復帰を決めた。第34節のニュルンベルク戦も2-1で勝利し2部優勝を飾った。

タイトル編集

国内タイトル編集

国際タイトル編集

過去の成績編集

シーズン ディビジョン DFBポカール
リーグ 順位
1963-64 ブンデスリーガ1部 30 12 5 13 51 53 29 8位 準々決勝敗退
1964-65 ブンデスリーガ1部 30 7 8 15 45 60 22 16位 準決勝敗退
1965-66 ブンデスリーガ1部 34 10 7 17 33 55 27 14位 2回戦敗退
1966-67 ブンデスリーガ1部 34 12 6 16 37 63 30 15位 準々決勝敗退
1967-68 ブンデスリーガ1部 34 11 8 15 42 48 30 15位 2回戦敗退
1968-69 ブンデスリーガ1部 34 14 7 13 45 40 35 7位 準優勝
1969-70 ブンデスリーガ1部 34 11 12 11 43 54 34 9位 2回戦敗退
1970-71 ブンデスリーガ1部 34 15 6 13 44 40 36 6位 準決勝敗退
1971-72 ブンデスリーガ1部 34 24 4 6 76 35 52 2位 優勝
1972-73 ブンデスリーガ1部 34 10 8 16 46 61 28 15位 2回戦敗退
1973-74 ブンデスリーガ1部 34 16 5 13 72 68 37 7位 1回戦敗退
1974-75 ブンデスリーガ1部 34 16 7 11 52 37 39 7位 3回戦敗退
1975-76 ブンデスリーガ1部 34 13 11 10 76 55 37 6位 3回戦敗退
1976-77 ブンデスリーガ1部 34 17 9 8 77 52 43 2位 4回戦敗退
1977-78 ブンデスリーガ1部 34 14 6 14 47 52 34 9位 準々決勝敗退
1978-79 ブンデスリーガ1部 34 9 10 15 55 61 28 15位 3回戦敗退
1979-80 ブンデスリーガ1部 34 12 9 13 40 51 33 8位 準決勝敗退
1980-81 ブンデスリーガ1部 34 8 7 19 43 88 23 17位 1回戦敗退
1981-82 ブンデスリーガ2部 38 19 13 6 70 35 51 1位 1回戦敗退
1982-83 ブンデスリーガ1部 34 8 6 20 48 68 22 16位 準々決勝敗退
1983-84 ブンデスリーガ2部 38 23 9 6 95 45 55 2位 準決勝敗退
1984-85 ブンデスリーガ1部 34 13 8 13 63 62 34 8位 3回戦敗退
1985-86 ブンデスリーガ1部 34 11 8 15 53 58 30 10位 準々決勝敗退
1986-87 ブンデスリーガ1部 34 12 8 14 50 58 32 13位 1回戦敗退
1987-88 ブンデスリーガ1部 34 8 7 19 48 84 23 18位 1回戦敗退
1988-89 ブンデスリーガ2部 38 13 10 15 58 51 36 12位 3回戦敗退
1989-90 ブンデスリーガ2部 38 16 11 11 69 51 43 5位 1回戦敗退
1990-91 ブンデスリーガ2部 38 23 11 4 64 29 57 1位 3回戦敗退
1991-92 ブンデスリーガ1部 38 11 12 15 45 45 34 11位 2回戦敗退
1992-93 ブンデスリーガ1部 34 11 12 11 42 43 34 10位 2回戦敗退
1993-94 ブンデスリーガ1部 34 10 9 15 38 50 29 14位 3回戦敗退
1994-95 ブンデスリーガ1部 34 10 11 13 48 54 31 11位 準々決勝敗退
1995-96 ブンデスリーガ1部 34 14 14 6 45 36 56 3位 3回戦敗退
1996-97 ブンデスリーガ1部 34 11 10 13 35 40 43 12位 2回戦敗退
1997-98 ブンデスリーガ1部 34 13 13 8 38 32 52 5位 2回戦敗退
1998-99 ブンデスリーガ1部 34 10 11 13 41 54 41 10位 2回戦敗退
1999-00 ブンデスリーガ1部 34 8 15 11 42 44 39 13位 3回戦敗退
2000-01 ブンデスリーガ1部 34 18 8 8 65 35 62 2位 優勝
2001-02 ブンデスリーガ1部 34 18 7 9 52 36 61 5位 優勝
2002-03 ブンデスリーガ1部 34 12 13 9 46 40 49 7位 3回戦敗退
2003-04 ブンデスリーガ1部 34 13 11 10 49 42 50 7位 2回戦敗退
2004-05 ブンデスリーガ1部 34 20 3 11 56 46 63 2位 準優勝
2005-06 ブンデスリーガ1部 34 16 13 5 47 31 61 4位 2回戦敗退
2006-07 ブンデスリーガ1部 34 21 5 8 53 32 68 2位 2回戦敗退
2007-08 ブンデスリーガ1部 34 18 10 6 55 32 64 3位 3回戦敗退
2008-09 ブンデスリーガ1部 34 14 8 12 47 35 50 8位 準々決勝敗退
2009-10 ブンデスリーガ1部 34 19 8 7 53 31 65 2位 準決勝敗退
2010-11 ブンデスリーガ1部 34 11 7 16 38 44 40 14位 優勝
2011-12 ブンデスリーガ1部 34 20 4 10 74 44 64 3位 3回戦敗退
2012-13 ブンデスリーガ1部 34 16 7 11 58 50 55 4位 3回戦敗退
2013-14 ブンデスリーガ1部 34 19 7 8 63 43 64 3位 3回戦敗退
2014-15 ブンデスリーガ1部 34 13 9 12 42 40 48 6位 1回戦敗退
2015-16 ブンデスリーガ1部 34 15 7 12 51 49 52 5位 2回戦敗退
2016-17 ブンデスリーガ1部 34 11 10 13 45 40 43 10位 準々決勝敗退
2017-18 ブンデスリーガ1部 34 18 9 7 53 37 63 2位 準決勝敗退
2018-19 ブンデスリーガ1部 34 8 9 17 37 55 33 14位 準々決勝敗退
2019-20 ブンデスリーガ1部 34 9 12 13 38 58 39 12位 準々決勝敗退
2020-21 ブンデスリーガ1部 34 3 7 24 25 86 16 18位 3回戦敗退
2021-22 ブンデスリーガ2部 34 20 5 9 72 44 65 1位 2回戦敗退
2022-23 ブンデスリーガ1部 34 2回戦敗退
出典[10][11]

記録編集

2019年3月13日現在

欧州での記録編集

大会 勝率
UEFAチャンピオンズカップ / UEFAチャンピオンズリーグ 77 31 18 28 109 117 −8 040.26
UEFAカップ / UEFAヨーロッパリーグ 100 51 26 23 170 95 +75 051.00
UEFAカップウィナーズカップ 14 9 2 3 21 14 +7 064.29
UEFAインタートトカップ 12 10 2 0 23 5 +18 083.33
総通算 203 101 48 54 323 231 +92 049.75

欧州の成績編集

1950-2000編集

2001-2010編集

2010-編集

現所属メンバー編集

2021-22シーズン フォーメーション
2023年2月1日現在[12]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK   ラルフ・フェールマン
2 DF   トーマス・ウーワイアン
3 DF   レオ・グライムル
4 DF   吉田麻也
5 DF   セップ・ファン・デン・ベルフ
6 MF   トム・クラウス
7 FW   ヨーダン・ラーション ( )
8 MF   ダニー・ラッツァ ( )
9 FW   シモン・テロッデ
10 MF   ロドリゴ・サラサール ( )
11 FW   マリウス・ビュルター
13 GK   アレクサンダー・シュヴォロウ
15 DF   ティモテー・コロジエチャク
17 MF   フロリアン・フリック
18 DF   イェレ・ウロネン
19 FW   ケナン・カラマン ( )
No. Pos. 選手名
20 MF   ティム・スカルケ
22 DF   イブラヒマ・シセ ( )
23 MF   メフメト=キャン・アイディン ( )
24 MF   ドミニク・ドレクスラー
26 FW   ミヒャエル・フライ
27 DF   セドリック・ブルナー
28 GK   ユスティン・ヘーケーレン
29 MF   トビアス・モーア
30 MF   アレックス・クラール ( )
34 GK   ミヒャエル・ランガー
35 DF   マルチン・カミンスキ
38 FW   上月壮一郎
40 FW   セバスティアン・ポルター
41 DF   ヘニング・マトリチャーニ ( )
42 MF   ケリム・チャルハノール ( )

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍編集

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
5 DF   セップ・ファン・デン・ベルフ (リヴァプールFC)
6 MF   トム・クラウス (RBライプツィヒ)
13 GK   アレクサンダー・シュヴォロウ (ヘルタ・ベルリン)
18 DF   イェレ・ウロネン (スタッド・ブレスト29)
No. Pos. 選手名
20 MF   ティム・スカルケ (1.FCウニオン・ベルリン)
26 FW   ミヒャエル・フライ (ロイヤル・アントワープFC)
30 MF   アレックス・クラール (スパルタク・モスクワ)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- MF   ブレンディ・イドリツィ (SSVヤーン・レーゲンスブルク)
-- FW   マーヴィン・ピアリンガー (SCパーダーボルン07)
-- DF   ドリース・ワウテルス (KVメヘレン)
No. Pos. 選手名
-- MF   ナッシム・ブジェラブ (HJKヘルシンキ)
-- MF   ラインホルト・ランフトル (FKアウストリア・ウィーン)
-- MF   キャン・ボズドガン (FCユトレヒト)

歴代監督編集

歴代所属選手編集

脚注編集

注釈編集

  1. ^ フースバルクルプ・ゲルゼンキルヒェン=シャルケ・ヌルフィア・エー・ファウ。

出典編集

  1. ^ a b Die Satzung des FC Schalke 04”. Schalke04. 2014年6月13日閲覧。
  2. ^ Supervisory Board”. シャルケ04. 2022年1月27日閲覧。
  3. ^ Deloitte Football Money League 2014(2014年1月に国際監査法人『デロイト』が公表した2012-2013シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング)
  4. ^ a b c d ツェー 2015, p. 17.
  5. ^ 後藤健生 (2021年9月7日). “グラスゴーの名門クラブがパス・サッカーを発明した【古橋亨梧が戦う場所】(2)”. サッカー批評Web. 2022年12月22日閲覧。
  6. ^ 立て直し期すシャルケ、競技面でも財政面でも危機的状況”. キッカー日本語版 (2020年7月2日). 2020年8月2日閲覧。
  7. ^ 財政危機のシャルケが地元から保証、今季は16戦未勝利でシーズン終了”. 超ワールドサッカー (2020年7月26日). 2020年8月2日閲覧。
  8. ^ 財政難のシャルケ 主力3選手を売却候補に”. Shooty (2020年7月30日). 2020年8月2日閲覧。
  9. ^ シャルケ2部降格決定、残念な記録も同時更新”. キッカー日本語版 (2021年4月21日). 2021年4月21日閲覧。
  10. ^ archiv”. schalke04. 2014年8月4日閲覧。
  11. ^ Archive”. Deutscher Fußball-Bund e.V.. 2014年8月4日閲覧。
  12. ^ Der Kader des FC Schalke 04”. シャルケ04. 2023年2月2日閲覧。

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集