シャルケ04
シャルケ04(FC Schalke 04, ドイツ語: [ʔɛf t͡seː ˈʃalkə nʊl fiːɐ̯]、Fußballclub Gelsenkirchen-Schalke 04 e. V.[1][注 1])は、ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州ゲルゼンキルヒェンを本拠地とする総合スポーツクラブでS04(ドイツ語: [ˈʔɛs nʊl fiːɐ̯])とも表記される。サッカー部門はドイツサッカーリーグ機構(ブンデスリーガ)に加盟し、過去7回のリーグ準優勝の経験を持つ。収入規模や平均観客動員数では国内屈指である。同じくノルトライン=ヴェストファーレン州に本拠地があるライバルのボルシア・ドルトムントとのダービーマッチはルールダービーと呼ばれる。その他、バスケットボール、陸上競技、ハンドボール、卓球などクラブチームおよび専属選手の保有や運営、育成に携わる。
シャルケ04 | ||||
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原語表記 | Fußballclub Gelsenkirchen-Schalke 04 e. V.[1] | |||
愛称 |
Königsblau(王者の青) Die Knappen(炭鉱夫たち) | |||
クラブカラー | 青(ブルー)・ 白(ホワイト) | |||
創設年 | 1904年 | |||
所属リーグ | ドイツ・ブンデスリーガ | |||
所属ディビジョン | 1部 | |||
ホームタウン | ゲルゼンキルヒェン | |||
ホームスタジアム |
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収容人数 | 62,271 | |||
代表者 |
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監督 |
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公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
概要編集
欧州サッカーのトップリーグの一つであるブンデスリーガに所属しており、その前身であるドイツ・サッカー選手権を通算7度制覇し、DFBポカールやUEFAカップなどといった数々のタイトルを獲得しているが、ブンデスリーガでの優勝はない。2000-01シーズンに勝ち点1差でリーグ優勝を逃して以降も2位を3回記録したが、マイスターシャーレには届かない状況が続いている。
かつて国内最強を誇った時代に、"Königsblau"(王者の青)という愛称が定着した。またゲルゼンキルヒェンがかつて炭鉱の町であり、クラブの創設にも当時の石炭産業が関わっていたことから、炭鉱が寂れた現在でも "Die Knappen"(若い炭鉱夫たち)という愛称が用いられるほか、所属選手が炭鉱採掘を体験するイベントが毎年恒例となっている。また、本拠地のロッカールームからピッチへ向かう通路の壁も炭鉱をイメージしたものとなっており、チームスローガンの「Glück auf(グリュック アウフ)」も「(炭鉱から地上に無事に戻ってこれるよう)幸運を祈る」という意味で使われている。
ドイツ国内においてその人気は高く、ホームスタジアムをフェルティンス・アレーナに移した2001-02シーズン以降は2008年現在7シーズン連続で6万人を超える平均観客動員を記録中である。2001-02シーズンから2004-05シーズンまではドルトムントに続くブンデスリーガ2位の平均観客動員を記録していたが、バイエルン・ミュンヘン(Bミュンヘン)がアリアンツ・アレーナにホームスタジアムを移した2005-06シーズン以降は、ドルトムントやBミュンヘンに続くブンデスリーガ3位の平均観客動員が定位置となっている。
2014年1月、世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2012-13シーズンのクラブ収入は1億9820万ユーロであり、世界のサッカークラブの中では13位、ドイツではバイエルン・ミュンヘン、ボルシア・ドルトムントに次ぐ3位である[3]。
第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世はクラブの名誉会員であった。
ユニフォームサプライヤーはアディダス、胸スポンサーはドイツのオンライン自動車ディーラーMeinAuto.de。
歴史編集
創立期編集
1904年、2つの地域名を合わせた「ウェストファリア・シャルケ」というクラブ名で創設される[4]。創設に関わったのは若い炭鉱労働者で、当時のクラブカラーは赤と黄色だった[4]。1924年に「FCシャルケ04」と改称し、クラブカラーも現在まで続く青と白に変更された[4]。1920年代のサッカー界ではキック・アンド・ラッシュ戦術が流行していたが、イングランド育ちのハンス、フレッドのバルマン兄弟がスコットランド・スタイルをチームに持ち込み、「シャルケのコマ回し」と評されたパス・サッカーを展開した[4][5]。
黄金時代編集
1933年から1942年にかけてドイツ・サッカー選手権優勝6回を数え、1936-37シーズンにはDFBポカールとの2冠を達成するなど黄金時代を迎えた。1957-58シーズンには7度目のサッカー選手権優勝を果たした。
ブンデスリーガ加入編集
1963年のブンデスリーガ発足とともに加入。1973年には、翌年のワールドカップのためにパルクシュタディオンが新設され本拠を移転した。1980年代に入ると成績が低迷し、1980-81シーズンで2部に降格。1981-82シーズンで1部に復帰するも、翌1982-83シーズンでプレーオフの末、再び降格した。1984-85シーズンから1部に復帰するも1987-88シーズンに三たび降格したが1991-92シーズンに1部復帰を果たした。
初のUEFAカップ制覇とDFBポカール連覇編集
1991-92シーズン以降はブンデスリーガ上位に顔を出すようになり、1996-97シーズン途中で監督に就任したフーブ・ステフェンスの下、初めてUEFAカップを制した。インテルナツィオナーレ・ミラノとの決勝戦ではPK戦に持ち込まれたがイェンス・レーマンの活躍もあり優勝した。
1998-99シーズンと1999-00シーズンは主力選手の怪我が相次ぎ下位に低迷した。このような理由からステフェンスは解任を免れた。
2000-01シーズンには、ライバルのドルトムントからアンドレアス・メラーが加入した。このシーズンはリーグで躍進し、Bミュンヘンとの直接対決を制して最終節まで優勝争いを演じ、DFBポカールでは優勝を果たした。特にメラーの加入は大きく、このシーズンに得点王になったエッベ・サンドとエミール・ムペンザとのトライアングルは高い攻撃力を見せた。2001-02シーズンもこの強さは続き、DFBポカールで連覇も果たした。
フェルティンス・アレーナ完成以降編集
2001年に新たなスタジアム、フェルティンス・アレーナ(当時の名称はアレーナ・アウフシャルケ)が完成し、本拠を移転した。この建設などで多額の負債を負ったクラブは、新スタジアムの命名権も持つフェルティンスとの契約を2012年まで残しながら、2006年10月にロシアの企業・ガスプロムがメインスポンサーになった。これにより、5年半で1億2,500万ユーロの資金を獲得するとされている。
UEFAチャンピオンズリーグでは、新スタジアム完成後の2001-02シーズンに初出場した。2007-08シーズンのチャンピオンズリーグにおいて、グループリーグ最終節にてローゼンボリBKを破って逆転で勝ち抜き、決勝トーナメント1回戦でFCポルトを破りベスト8に進出した。しかし、2007-08シーズンのブンデスリーガ3位となり挑んだ2008-09シーズンのチャンピオンズリーグ予備3回戦、アトレティコ・マドリード戦では主力選手の故障も重なり、ドイツのクラブとしては2003-04シーズンにおけるドルトムント以来となる予備3回戦敗退となった。
2006-07シーズンは優勝争いを演じたが、2000-01シーズンと同様に優勝することはなかった。覇権奪回を目指すクラブは、2009年にVfLヴォルフスブルクを初のリーグ優勝に導いたフェリックス・マガトを監督に招聘した。
2010-11シーズンは開幕前に内田篤人が加入。チャンピオンズリーグ決勝トーナメントでベスト8進出し、DFBポカールでは決勝に勝ち進んだものの、ブンデスリーガでの成績は不振で、2011年3月17日、マガトが監督を解任され、後任としてラルフ・ラングニックが復帰することが発表された。2011-12シーズンはリーグ戦では14位と低迷したが、レアル・マドリードから移籍してきたラウル・ゴンサレスの活躍などで、クラブ初のチャンピオンズリーグでのベスト4に加えてドイツ・カップを獲得した。
2012-13シーズンはチャンピオンズリーグにおいてアーセナルを差し置いて首位でグループ通過したものの、ガラタサライに敗れベスト16に終わった。
2013-14シーズンはACミランからケヴィン=プリンス・ボアテングを獲得した。チャンピオンズリーグはグループ2位で通過したが、ベスト16でレアル・マドリードに敗れた。
2014-15シーズンは1.FSVマインツ05からチュポ・モティングを獲得し、冬の移籍市場ではマンチェスター・シティからマティヤ・ナスタシッチを獲得した。チャンピオンズリーグではベスト16で再びレアル・マドリードと対戦し、アウェーのセカンドレグは勝利したものの2戦合計4-5で敗れた。この頃からマックス・マイヤー、レオン・ゴレツカ、レロイ・サネといった若手のドイツ人プレーヤーがチームを引っ張るようになった。
2015-16シーズンの夏の移籍市場では、ボアテングの契約を解除し、ユリアン・ドラクスラーをVfLヴォルフスブルクに放出した一方、フランコ・ディ・サントやヨハネス・ガイス、ピエール・エミール・ホイビュルクなどを獲得。冬の移籍市場ではユネス・ベルアンダを獲得した。ヨーロッパリーグではベスト32でFCシャフタール・ドネツクに2戦合計0-3で敗れた。
2016-17シーズンは監督にマルクス・ヴァインツィールが就任。夏の移籍市場で主力であったサネをマンチェスター・シティに放出したが、ブリール・エンボロ (バーゼル)、イェウヘン・コノプリャーンカ、コケ (セビージャ)、ナウド (ヴォルフスブルク)などを獲得。冬の移籍市場ではギド・ブルクシュタラー (ニュルンベルク)を獲得した。リーグ序盤で5連敗に始まり最下位に沈むなど最悪のスタートを記録した。3バック起用などで一時はV時回復を見せるも、ブンデスリーガは10位に終わり、ヨーロッパリーグを逃した。ヨーロッパリーグはベスト8でアヤックスに敗れて敗退した。
2017-18シーズン、32歳のドメニコ・テデスコを監督に就任させた。夏の新戦力として、フランクフルトからバスティアン・オツィプカを、FCナントからアミーヌ・アリを獲得した。また、テデスコはマックス・マイヤーを司令塔ポジションにコンバートさせ、見事成功させた。リーグ戦においてはシーズン通算18勝9分け7敗という結果を残し、中でも、11月に行われた第13節ドルトムント戦では、4点差のビハインドを跳ね返し、奇跡のドロー決着にさせた。これらの出来事により、クラブは、リーグ順位2位で4シーズンぶりのチャンピオンズリーグ出場権を手にした。
2019-20シーズンは監督にデイヴィッド・ワグナーが就任。2019年12月時点で3位に立ち、前半戦を8勝3敗6分けの5位で終えるなど、上々の滑り出しを見せていたが、多くの負傷者の存在や対戦相手からの分析が進んだ後半戦以降は、2020年1月17日のボルシアMGを2-0で下したのを最後に勝ち星から遠ざかり、6月7日の1.FCウニオン・ベルリン戦を1-1のドローで終え、1993-94シーズン以来となる27年ぶりのリーグ戦連続未勝利数がクラブ史上ワーストとなる12試合にまで伸び、未勝利記録を樹立した。その後も最終節のSCフライブルク戦も0-4と大敗し、順位こそ前半戦での大きな貯金もあり、前シーズンから2つ上がった12位で終えたが、後半戦だけの成績に限れば1勝10敗6分け(7得点37失点)の成績だった。同シーズン終盤の絶不調に加え、かねてより懸念されていたチームの財政事情が、2019新型コロナウイルスの影響により更に悪化。その為、クラブはシーズン終了後にノルトライン=ヴェストファーレン州から4000万ユーロ(約45億円)の借り入れを発表した[6][7][8]。
2020-21シーズンは開幕節でFCバイエルン・ミュンヘン戦に0-8で敗れると、第2節のヴェルダー・ブレーメン戦も1-3で敗れ、同日ワグナー監督を解任。更に監督を目眩く交代させるなど、激動のシーズンに終始。2020年11月4日に行われたDFBポカール2020-2021 1回戦・1.FCシュヴァインフルト05戦で4-1と快勝し、同年2月5日に行われたDFBポカール2019-2020 3回戦・ヘルタ・ベルリン戦 (3-2)以来となる公式戦での勝利となった。しかし、リーグ戦初勝利は2021年1月に入ってからで、2勝目も4月に入ってからという、歴史的大低迷に喘いだ。同月21日のアルミニア・ビーレフェルト戦で0-1で敗北し、最下位決定での降格となった[9]。
2021-22シーズンは第4節までにわずか1勝とスタートダッシュに失敗したが新加入の板倉滉らの活躍により前半戦は上々のできであった。しかし第25節ハンザ・ロストックに3-4で敗れ ディミトリオス・グラモジス監督を解任。暫定監督としてマイク・ビュスケンス 氏が指揮を執った。ビュスケンス監督のもとチームは復調。第31節のヴェルダー・ブレーメン戦を1-4で落とすも第33節のザンクトパウリ戦で2点差からの逆転勝利を収め1年での一部復帰を決めた。第34節のニュルンベルク戦も2-1で勝利し2部優勝を飾った。
タイトル編集
国内タイトル編集
- ドイツ・サッカー選手権:7回
- 1934, 1935, 1937, 1939, 1940, 1942, 1958
- DFBポカール:5回
- 1936-37, 1971-72, 2000-01, 2001-02, 2010-11
- DFBリーガポカール:1回
- 2005
- DFLスーパーカップ:1回
- 2011
- 2. ブンデスリーガ:3回
- 1981-82, 1990-91, 2021-22
- 西部ドイツサッカー選手権:4回
- 1929, 1930, 1932, 1933
- ガウリーガ・ヴェストファーレン:11回 (西部ドイツリーグ)
- 1934, 1935, 1936, 1937, 1938, 1939, 1940, 1941, 1942, 1943, 1944
- オーバーリーガ・ヴェスト (西部ドイツリーグ):2回
- 1951, 1958
- ヴェストファーレンポカール (ヴェストファーレンカップ):2回
- 1943, 1944
国際タイトル編集
- UEFAカップ:1回
- 1996-97
- UEFAインタートトカップ:2回
- 2003, 2004
- コッパ・デッレ・アルピ:1回
- 1968
過去の成績編集
シーズン | ディビジョン | DFBポカール | ||||||||
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リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | ||
1963-64 | ブンデスリーガ1部 | 30 | 12 | 5 | 13 | 51 | 53 | 29 | 8位 | 準々決勝敗退 |
1964-65 | ブンデスリーガ1部 | 30 | 7 | 8 | 15 | 45 | 60 | 22 | 16位 | 準決勝敗退 |
1965-66 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 10 | 7 | 17 | 33 | 55 | 27 | 14位 | 2回戦敗退 |
1966-67 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 12 | 6 | 16 | 37 | 63 | 30 | 15位 | 準々決勝敗退 |
1967-68 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 11 | 8 | 15 | 42 | 48 | 30 | 15位 | 2回戦敗退 |
1968-69 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 14 | 7 | 13 | 45 | 40 | 35 | 7位 | 準優勝 |
1969-70 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 11 | 12 | 11 | 43 | 54 | 34 | 9位 | 2回戦敗退 |
1970-71 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 15 | 6 | 13 | 44 | 40 | 36 | 6位 | 準決勝敗退 |
1971-72 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 24 | 4 | 6 | 76 | 35 | 52 | 2位 | 優勝 |
1972-73 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 10 | 8 | 16 | 46 | 61 | 28 | 15位 | 2回戦敗退 |
1973-74 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 16 | 5 | 13 | 72 | 68 | 37 | 7位 | 1回戦敗退 |
1974-75 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 16 | 7 | 11 | 52 | 37 | 39 | 7位 | 3回戦敗退 |
1975-76 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 13 | 11 | 10 | 76 | 55 | 37 | 6位 | 3回戦敗退 |
1976-77 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 17 | 9 | 8 | 77 | 52 | 43 | 2位 | 4回戦敗退 |
1977-78 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 14 | 6 | 14 | 47 | 52 | 34 | 9位 | 準々決勝敗退 |
1978-79 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 9 | 10 | 15 | 55 | 61 | 28 | 15位 | 3回戦敗退 |
1979-80 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 12 | 9 | 13 | 40 | 51 | 33 | 8位 | 準決勝敗退 |
1980-81 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 8 | 7 | 19 | 43 | 88 | 23 | 17位 | 1回戦敗退 |
1981-82 | ブンデスリーガ2部 | 38 | 19 | 13 | 6 | 70 | 35 | 51 | 1位 | 1回戦敗退 |
1982-83 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 8 | 6 | 20 | 48 | 68 | 22 | 16位 | 準々決勝敗退 |
1983-84 | ブンデスリーガ2部 | 38 | 23 | 9 | 6 | 95 | 45 | 55 | 2位 | 準決勝敗退 |
1984-85 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 13 | 8 | 13 | 63 | 62 | 34 | 8位 | 3回戦敗退 |
1985-86 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 11 | 8 | 15 | 53 | 58 | 30 | 10位 | 準々決勝敗退 |
1986-87 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 12 | 8 | 14 | 50 | 58 | 32 | 13位 | 1回戦敗退 |
1987-88 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 8 | 7 | 19 | 48 | 84 | 23 | 18位 | 1回戦敗退 |
1988-89 | ブンデスリーガ2部 | 38 | 13 | 10 | 15 | 58 | 51 | 36 | 12位 | 3回戦敗退 |
1989-90 | ブンデスリーガ2部 | 38 | 16 | 11 | 11 | 69 | 51 | 43 | 5位 | 1回戦敗退 |
1990-91 | ブンデスリーガ2部 | 38 | 23 | 11 | 4 | 64 | 29 | 57 | 1位 | 3回戦敗退 |
1991-92 | ブンデスリーガ1部 | 38 | 11 | 12 | 15 | 45 | 45 | 34 | 11位 | 2回戦敗退 |
1992-93 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 11 | 12 | 11 | 42 | 43 | 34 | 10位 | 2回戦敗退 |
1993-94 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 10 | 9 | 15 | 38 | 50 | 29 | 14位 | 3回戦敗退 |
1994-95 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 10 | 11 | 13 | 48 | 54 | 31 | 11位 | 準々決勝敗退 |
1995-96 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 14 | 14 | 6 | 45 | 36 | 56 | 3位 | 3回戦敗退 |
1996-97 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 11 | 10 | 13 | 35 | 40 | 43 | 12位 | 2回戦敗退 |
1997-98 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 13 | 13 | 8 | 38 | 32 | 52 | 5位 | 2回戦敗退 |
1998-99 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 10 | 11 | 13 | 41 | 54 | 41 | 10位 | 2回戦敗退 |
1999-00 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 8 | 15 | 11 | 42 | 44 | 39 | 13位 | 3回戦敗退 |
2000-01 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 18 | 8 | 8 | 65 | 35 | 62 | 2位 | 優勝 |
2001-02 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 18 | 7 | 9 | 52 | 36 | 61 | 5位 | 優勝 |
2002-03 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 12 | 13 | 9 | 46 | 40 | 49 | 7位 | 3回戦敗退 |
2003-04 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 13 | 11 | 10 | 49 | 42 | 50 | 7位 | 2回戦敗退 |
2004-05 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 20 | 3 | 11 | 56 | 46 | 63 | 2位 | 準優勝 |
2005-06 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 16 | 13 | 5 | 47 | 31 | 61 | 4位 | 2回戦敗退 |
2006-07 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 21 | 5 | 8 | 53 | 32 | 68 | 2位 | 2回戦敗退 |
2007-08 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 18 | 10 | 6 | 55 | 32 | 64 | 3位 | 3回戦敗退 |
2008-09 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 14 | 8 | 12 | 47 | 35 | 50 | 8位 | 準々決勝敗退 |
2009-10 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 19 | 8 | 7 | 53 | 31 | 65 | 2位 | 準決勝敗退 |
2010-11 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 11 | 7 | 16 | 38 | 44 | 40 | 14位 | 優勝 |
2011-12 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 20 | 4 | 10 | 74 | 44 | 64 | 3位 | 3回戦敗退 |
2012-13 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 16 | 7 | 11 | 58 | 50 | 55 | 4位 | 3回戦敗退 |
2013-14 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 19 | 7 | 8 | 63 | 43 | 64 | 3位 | 3回戦敗退 |
2014-15 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 13 | 9 | 12 | 42 | 40 | 48 | 6位 | 1回戦敗退 |
2015-16 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 15 | 7 | 12 | 51 | 49 | 52 | 5位 | 2回戦敗退 |
2016-17 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 11 | 10 | 13 | 45 | 40 | 43 | 10位 | 準々決勝敗退 |
2017-18 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 18 | 9 | 7 | 53 | 37 | 63 | 2位 | 準決勝敗退 |
2018-19 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 8 | 9 | 17 | 37 | 55 | 33 | 14位 | 準々決勝敗退 |
2019-20 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 9 | 12 | 13 | 38 | 58 | 39 | 12位 | 準々決勝敗退 |
2020-21 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 3 | 7 | 24 | 25 | 86 | 16 | 18位 | 3回戦敗退 |
2021-22 | ブンデスリーガ2部 | 34 | 20 | 5 | 9 | 72 | 44 | 65 | 1位 | 2回戦敗退 |
2022-23 | ブンデスリーガ1部 | 34 | 位 | 2回戦敗退 |
記録編集
- 2019年3月13日現在
欧州での記録編集
大会 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 勝率 |
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UEFAチャンピオンズカップ / UEFAチャンピオンズリーグ | 77 | 31 | 18 | 28 | 109 | 117 | −8 | 40.26 |
UEFAカップ / UEFAヨーロッパリーグ | 100 | 51 | 26 | 23 | 170 | 95 | +75 | 51.00 |
UEFAカップウィナーズカップ | 14 | 9 | 2 | 3 | 21 | 14 | +7 | 64.29 |
UEFAインタートトカップ | 12 | 10 | 2 | 0 | 23 | 5 | +18 | 83.33 |
総通算 | 203 | 101 | 48 | 54 | 323 | 231 | +92 | 49.75 |
欧州の成績編集
1950-2000編集
シーズン | 大会 | ラウンド | 対戦相手 | ホーム | アウェー | 再試合 | 合計 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1958-59 | UEFAチャンピオンズカップ | 1回戦 | コペンハーゲン | 5-2 | 0-3 | 3-1 | 5-5 | |
2回戦 | ウルブス | 2-1 | 2-2 | N/A | 4-3 | |||
準々決勝 | アトレティコ・マドリード | 1-1 | 0-3 | 1-4 | ||||
1969-70 | UEFAカップウィナーズカップ | 1回戦 | シャムロック・ローヴァーズ | 3-0 | 1-2 | 4-2 | ||
2回戦 | IFKノルシェーピン | 1-0 | 0-0 | 1-0 | ||||
準々決勝 | ディナモ・ザグレブ | 1-0 | 3-1 | 4-1 | ||||
準決勝 | マンチェスター・シティ | 1-0 | 1-5 | 2-5 | ||||
1972-73 | UEFAカップウィナーズカップ | 1回戦 | スラヴィア・ソフィア | 2-1 | 3-1 | 5-2 | ||
2回戦 | コーク・ハイバーニアン | 3-0 | 0-0 | 3-0 | ||||
準々決勝 | スパルタ・プラハ | 2-1 | 0-3 | 2-4 | ||||
1976-77 | UEFAカップ | 1回戦 | ポルト | 3-2 | 2-2 | 5-4 | ||
2回戦 | クレイジー・ギャング | 4-0 | 1-0 | 5-0 | ||||
3回戦 | RWDM | 1-1 | 0-1 | 1-2 | ||||
1977-78 | UEFAカップ | 1回戦 | フィオレンティーナ | 2-1 | 3-0 | 5-1 | ||
2回戦 | マクデブルク | 1-3 | 2-4 | 3-7 | ||||
1996-97 | UEFAカップ | 1回戦 | ローダJC | 3-0 | 2-2 | 5-2 | ||
2回戦 | トラブゾンスポル | 1-0 | 3-3 | 4-3 | ||||
3回戦 | クラブ・ブルッヘ | 2-0 | 1-2 | 3-2 | ||||
準々決勝 | バレンシア | 2-0 | 1-1 | 3-1 | ||||
準決勝 | テネリフェ | 2-0 (a.e.t.) |
0-1 | 2-1 | ||||
決勝 | インテル | 1-0 | 0-1 | 1-1 (4-1 p) |
||||
1997-98 | UEFAカップ | 1回戦 | ハイドゥク・スプリト | 2-0 | 3-2 | 5-2 | ||
2回戦 | アンデルレヒト | 1-0 | 2-1 | 3-1 | ||||
3回戦 | ブラガ | 2-0 | 0-0 | 2-0 | ||||
準々決勝 | インテル | 1-1 (a.e.t.) |
0-1 | 1-2 | ||||
1998-99 | UEFAカップ | 1回戦 | スラヴィア・プラハ | 1-0 | 0-1 | 1-1 (4-5 p) |
2001-2010編集
シーズン | 大会 | ラウンド | 対戦相手 | ホーム | アウェー | 合計 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2001-02 | UEFAチャンピオンズリーグ | グループC | パナシナイコス | 0-2 | 0-2 | 4位 | |
アーセナル | 4-1 | 1-3 | |||||
マヨルカ | 0-1 | 4-0 | |||||
2002-03 | UEFAカップ | 1回戦 | ホメリ | 4-0 | 4-1 | 8-1 | |
2回戦 | レギア・ワルシャワ | 0-0 | 3-2 | 3-2 | |||
3回戦 | ヴィスワ・クラクフ | 1-4 | 1-1 | 2-5 | |||
2003 | UEFAインタートトカップ | 3回戦 | ダチア・キシナウ | 2-1 | 1-0 | 3-1 | |
準決勝 | スロヴァン・リベレツ | 2-1 | 0-0 | 2-1 | |||
決勝 | パッシング | 0-0 | 2-0 | 2-0 | |||
2003-04 | UEFAカップ | 1回戦 | カメン・イングラード | 1-0 | 0-0 | 1-0 | |
2回戦 | ブレンビーIF | 2-1 | 1-2 | 3-3 (1-3 p) |
|||
2004 | UEFAインタートトカップ | 3回戦 | バルダール | 5-0 | 2-1 | 7-1 | |
準決勝 | EfB | 3-0 | 3-1 | 6-1 | |||
決勝 | スロヴァン・リベレツ | 2-1 | 1-0 | 3-1 | |||
2004-05 | UEFAカップ | 1回戦 | リエパーヤス・メタルルグス | 5-1 | 4-0 | 9-1 | |
グループA | バーゼル | 1-1 | N/A | 2位 | |||
ハート・オブ・ミドロシアン | N/A | 1-0 | |||||
フェレンツヴァーロシュ | 2-0 | N/A | |||||
フェイエノールト | N/A | 1-2 | |||||
ラウンド32 | シャフタール・ドネツク | 0-1 | 1-1 | 1-2 | |||
2005-06 | UEFAチャンピオンズリーグ | グループE | PSV | 3-0 | 0-1 | 3位 | |
ACミラン | 2-2 | 2-3 | |||||
フェネルバフチェ | 2-0 | 3-3 | |||||
UEFAカップ | ラウンド32 | エスパニョール | 2-1 | 3-0 | 5-1 | ||
ラウンド16 | パレルモ | 3-0 | 0-1 | 3-1 | |||
準々決勝 | レフスキ・ソフィア | 1-1 | 3-1 | 4-2 | |||
準決勝 | セビージャ | 0-0 | 0-1 (a.e.t.) |
0-1 | |||
2006-07 | UEFAカップ | 1回戦 | ナンシー | 1-0 | 1-3 | 2-3 | |
2007-08 | UEFAチャンピオンズリーグ | グループB | バレンシア | 0-1 | 0-0 | 2位 | |
ローゼンボリBK | 3-1 | 2-0 | |||||
チェルシー | 0-0 | 0-2 | |||||
ラウンド16 | ポルト | 1-0 | 0-1 | 1-1 (4-1 p) |
|||
準々決勝 | バルセロナ | 0-1 | 0-1 | 0-2 | |||
2008-09 | UEFAチャンピオンズリーグ | 予選3回戦 | アトレティコ・マドリード | 1-0 | 0-4 | 1-4 | |
UEFAカップ | 1回戦 | APOEL | 1-1 | 4-1 | 5-2 | ||
グループA | パリ・サンジェルマン | 3-1 | N/A | 5位 | |||
ラシン・サンタンデール | N/A | 1-1 | |||||
マンチェスター・シティ | 0-2 | N/A | |||||
トゥウェンテ | N/A | 1-2 |
2010-編集
シーズン | 大会 | ラウンド | 対戦相手 | ホーム | アウェー | 合計 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2010-11 | UEFAチャンピオンズリーグ | グループB | オリンピック・リヨン | 3-0 | 0-1 | 1位 | |
ベンフィカ | 2-0 | 2-1 | |||||
ハポエル・テルアビブ | 3-1 | 0-0 | |||||
ラウンド16 | バレンシア | 3-1 | 1-1 | 4-2 | |||
準々決勝 | インテル | 2-1 | 5-2 | 7-3 | |||
準決勝 | マンチェスター・ユナイテッド | 0-2 | 1-4 | 1-6 | |||
2011-12 | UEFAヨーロッパリーグ | プレーオフ | HJK | 6-1 | 0-2 | 6-3 | |
グループJ | ラルナカ | 0-0 | 5-0 | 1位 | |||
マッカビ・ハイファ | 3-1 | 3-0 | |||||
ステアウア・ブカレスト | 2-1 | 0-0 | |||||
ラウンド32 | ヴィクトリア・プルゼニ | 3-1 (a.e.t.) |
1-1 | 4-2 | |||
ラウンド16 | トゥウェンテ | 4-1 | 0-1 | 4-2 | |||
準々決勝 | アスレティック・ビルバオ | 2-4 | 2-2 | 4-6 | |||
2012-13 | UEFAチャンピオンズリーグ | グループB | アーセナル | 2-2 | 2-0 | 1位 | |
モンペリエ | 2-2 | 1-1 | |||||
オリンピアコス | 1-0 | 2-1 | |||||
ラウンド16 | ガラタサライ | 2-3 | 1-1 | 3-4 | |||
2013-14 | UEFAチャンピオンズリーグ | プレーオフ | PAOK | 1-1 | 3-2 | 4-3 | |
グループE | チェルシー | 0-3 | 0-3 | 2位 | |||
バーゼル | 2-0 | 1-0 | |||||
ステアウア・ブカレスト | 3-0 | 0-0 | |||||
ラウンド16 | レアル・マドリード | 1-6 | 1-3 | 2-9 | |||
2014-15 | UEFAチャンピオンズリーグ | グループG | チェルシー | 0-5 | 1-1 | 2位 | |
マリボル | 1-1 | 1-0 | |||||
スポルティングCP | 4-3 | 2-4 | |||||
ラウンド16 | レアル・マドリード | 0-2 | 4-3 | 4-5 | |||
2015-16 | UEFAヨーロッパリーグ | グループK | APOEL | 1-0 | 3-0 | 1位 | |
アステラス・トリポリス | 4-0 | 4-0 | |||||
スパルタ・プラハ | 2-2 | 1-1 | |||||
ラウンド32 | シャフタール・ドネツク | 0-3 | 0-0 | 0-3 | |||
2016-17 | UEFAヨーロッパリーグ | グループI | ニース | 2-0 | 1-0 | 1位 | |
レッドブル・ザルツブルク | 3-1 | 0-2 | |||||
クラスノダール | 2-0 | 1-0 | |||||
ラウンド32 | PAOK | 1-1 | 3-0 | 4-1 | |||
ラウンド16 | ボルシアMG | 1-1 | 2-2 | 3-3 (a) | |||
準々決勝 | アヤックス | 3-2 (a.e.t.) |
0-2 | 3-4 | |||
2018-19 | UEFAチャンピオンズリーグ | グループD | ガラタサライ | 2-0 | 0-0 | 2位 | |
ロコモティフ・モスクワ | 1-0 | 1-0 | |||||
ポルト | 1-1 | 1-3 | |||||
ラウンド16 | マンチェスター・シティ | 2-3 | 0-7 | 2-10 |
現所属メンバー編集
- 2021-22シーズン フォーメーション
- 2023年2月1日現在[12]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
ローン移籍編集
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代監督編集
- ウド・ラテック 1992-1993
- フーブ・ステフェンス 1997-2002
- マルク・ヴィルモッツ 2003
- ユップ・ハインケス 2003-2004
- ラルフ・ラングニック 2004.9-2005.12
- ミルコ・スロムカ 2006.1-2008.4
- ミヒャエル・ビュスケンス 2008.4-2008.6
- フレット・ルッテン 2008.7-2009.3
- ミヒャエル・ビュスケンス 2009.4-2009.6
- フェリックス・マガト 2009.7-2011.3
- ラルフ・ラングニック 2011.3-2011.9
- フーブ・ステフェンス 2011.9-2012.12
- イェンス・ケラー 2012.12-2014.10
- ロベルト・ディ・マッテオ 2014.10-2015.6
- アンドレ・ブライテンライター 2015.7-2016.5
- マルクス・ヴァインツィール 2016.6-2017.6
- ドミニコ・テデスコ 2017.6-2019.3
- フーブ・ステフェンス 2019.3-2019.6
- デイヴィッド・ワグナー 2019.7-2020.9
- マヌエル・バウム 2020.9-2020.12
- フーブ・ステフェンス 2020.12
- クリスティアン・グロース 2020.12-2021.2
- ディミトリオス・グラモジス 2021.3-2022.3
- マイク・ビュスケンス 2022.3-2022-6
- フランク・クラマー 2022.6-2022.10
- トーマス・レイス 2022.10-
歴代所属選手編集
脚注編集
注釈編集
- ^ フースバルクルプ・ゲルゼンキルヒェン=シャルケ・ヌルフィア・エー・ファウ。
出典編集
- ^ a b “Die Satzung des FC Schalke 04”. Schalke04. 2014年6月13日閲覧。
- ^ “Supervisory Board”. シャルケ04. 2022年1月27日閲覧。
- ^ Deloitte Football Money League 2014(2014年1月に国際監査法人『デロイト』が公表した2012-2013シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング)
- ^ a b c d ツェー 2015, p. 17.
- ^ 後藤健生 (2021年9月7日). “グラスゴーの名門クラブがパス・サッカーを発明した【古橋亨梧が戦う場所】(2)”. サッカー批評Web. 2022年12月22日閲覧。
- ^ “立て直し期すシャルケ、競技面でも財政面でも危機的状況”. キッカー日本語版 (2020年7月2日). 2020年8月2日閲覧。
- ^ “財政危機のシャルケが地元から保証、今季は16戦未勝利でシーズン終了”. 超ワールドサッカー (2020年7月26日). 2020年8月2日閲覧。
- ^ “財政難のシャルケ 主力3選手を売却候補に”. Shooty (2020年7月30日). 2020年8月2日閲覧。
- ^ “シャルケ2部降格決定、残念な記録も同時更新”. キッカー日本語版 (2021年4月21日). 2021年4月21日閲覧。
- ^ “archiv”. schalke04. 2014年8月4日閲覧。
- ^ “Archive”. Deutscher Fußball-Bund e.V.. 2014年8月4日閲覧。
- ^ “Der Kader des FC Schalke 04”. シャルケ04. 2023年2月2日閲覧。
参考文献編集
- 『ワールドサッカーキング』(フロムワン)
- 2015年4月号
- 「青の実像」文=トーマス・ツェー、翻訳=安藤正純
- 2015年4月号
関連項目編集
- シャルケ04 II - リザーブチーム
外部リンク編集
- 公式ウェブサイト
- シャルケ04 (S04.jp) - Facebook
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