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シャーロット・キャヴェンディッシュ (ハーティントン侯爵夫人)

ハーティントン侯爵夫人シャーロット・キャヴェンディッシュ(Charlotte Cavendish, Marchioness of Hartington、旧姓ボイル、1731年10月27日 - 1754年12月8日)は、イングランドの貴族、第3代バーリントン伯爵リチャード・ボイルの娘[1]ウィリアム・キャヴェンディシュ(後の第4代デヴォンシャー公爵)と結婚し、1748年から1754年まではハーティントン侯爵夫人として知られている[2]:130

シャーロット・キャヴェンディッシュ
ハーティントン侯爵夫人
Dorothy Savile, Portrait of Lady Charlotte Boyle, Marchioness of Hartington (1731-1754), circa 1740, Chatsworth House. Attributed to Dorothy Savile.jpg
Portrait of Lady Charlotte Boyle, Marchioness of Hartington (1731-1754)
ドロシー・サヴィル作、1740年頃、チャッツワースハウス
生誕 シャーロット・エリザベス・ボイル
1731年10月27日
死没 1754年12月8日 (23歳没)
国籍 グレートブリテン王国
配偶者 ウィリアム・キャヴェンディッシュ (第4代デヴォンシャー公爵)
子供
  • ウィリアム・キャヴェンディッシュ
  • ドロシー・ベンティンク
  • リチャード・キャヴェンディッシュ
  • ジョージ・キャヴェンディッシュ

生涯編集

シャーロットは、1731年10月27日、第3代バーリントン伯爵リチャード・ボイルドロシー・サヴィルの三女、シャーロット・エリザベス・ボイル (Charlotte Elizabeth Boyle) として生まれた。

シャーロットの姉、長女のドロシー(Dorothy、1724年 - 1742年)は1741年にイーストン伯爵ジョージ・フィッツロイ(George FitzRoy, Earl of Euston、1715年 - 1747年) (英語版と結婚したが、彼は残忍な性格で幸せな結婚生活ではなかった。ドロシーは翌年の18歳の誕生日の直前に天然痘で亡くなった[3][4]:77。亡くなった後、母のドロシーは彼女は「過激な悲惨さ」 (extremest misery) から解放されたと語った[5]。また次女のジュリアナ(Julianna, 1727年 - 1730年)はシャーロットが生まれる前に亡くなっていた[4]:77

1748年5月27日、シャーロットはウィリアム・キャベンディッシュと結婚した[1]。ウィリアムは後に第4代デヴォンシャー公爵となり(1755年)、1756年に第一大蔵卿(First Lord of the Treasury:1721年以降は事実上の首相であった)となった[6]。結婚したときはハーティントン侯爵(Marquess of Hartington、デヴォンシャー公爵の従属爵位)だった[注釈 1]。結婚はウィリアムが政治的に成功する手助けとなった。彼らは、ウィリアム、ドロシー、リチャード、ジョージと4人の子どもに恵まれた[6][注釈 2]

 
『ドロシー・ボイルとシャーロット・ボイル』ドロシー・サヴィル作、ナショナル・トラスト、ハードウィック・ホール[注釈 3]

長男のウィリアムは1764年に公爵位を承継し第5代デヴォンシャー公爵となった。三男のジョージは1831年に初代バーリントン伯爵叙爵され、廃絶となっていた母方の祖父の伯爵位を復活した[9]

シャーロットは1753年の父の死に伴い、莫大な遺産を承継した[1]。またクリフォード男爵位 (Baroness Clifford) を承継し、第6代クリフォード女男爵となった。キャヴェンディッシュ家は彼女の結婚を通して、第3代バーリントン伯爵の不動産を承継した。その中にはロンドンピカデリー通りのバーリントン・ハウスチジック・ハウスヨークシャー州のロンデスボロー・ホール (Londesborough Hallやボルトン修道院 (Bolton Abbeyアイルランドウォーターフォード州のリズモア城 (Lismore Castleなどが含まれていた。

シャーロットは結婚6年後の1754年12月8日、ラトランドのアッピンガム (Uppingham天然痘により亡くなった[1]

系譜編集

注釈編集

  1. ^ 一般的に公爵・侯爵・伯爵は従属爵位を持っており、嫡男は父の持つ爵位のうち2番目の爵位を儀礼称号として称する[7]
  2. ^ 4人の子供は下記の通りである。
  3. ^ シャーロットの母ドロシーの作品で、現在ハードウィック・ホール (Hardwick Hallナショナル・トラスト・コレクションに所蔵されている[8]

脚注編集

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  1. ^ a b c d Schweizer, Karl Wolfgang (2004). "Cavendish, William, fourth duke of Devonshire (bap. 1720, d. 1764)". Oxford Dictionary of National Biography (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/4949
  2. ^ Journal of the Derbyshire Archaeological and Natural History Society The Society. 1901 2016年1月5日閲覧
  3. ^ Pat Rogers (2004).The Alexander Pope Encyclopedia. Greenwood Publishing Group. p. 48. ISBN 978-0-313-32426-0.2016年1月7日閲覧
  4. ^ a b John Burke (1831).A General and Heraldic Dictionary of the Peerage of England, Ireland and Scotland. Henry Colburn and Richard Bentley. 2016年1月7日閲覧
  5. ^ R. Sedgwick, ed. (1970). "FitzRoy, George, Lord Euston (1715-47)".The History of Parliament: the House of Commons 1715-1754 2016年1月7日閲覧
  6. ^ a b Lundy, Darryl."William Cavendish, 4th Duke of Devonshire". thepeerage.com. 2016年1月7日閲覧
  7. ^ 森護 『英国の貴族 遅れてきた公爵』 大修館書店、1987年(昭和62年)、ISBN 978-4469240979
  8. ^ "Dorothy Savile (1699–1758)". Your Paintings. BBC. 2016年1月7日閲覧
  9. ^ Kidd, Charles, Williamson, David (editors). Debrett's Peerage and Baronetage (1990 edition). New York: St Martin's Press, 1990

参考文献編集

外部リンク編集