ジェイソン・ボーナム
ジェイソン・ボーナム(Jason Bonham、1966年7月15日 - )は、イギリスのドラマー。レッド・ツェッペリンのドラマーとして知られるジョン・ボーナムの長男。
ジェイソン・ボーナム (Jason Bonham) | |
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基本情報 | |
出生名 | Jason Bonham |
生誕 | 1966年7月15日(53歳) |
出身地 |
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ジャンル |
ロック ハード・ロック |
職業 |
ドラマー ソングライター |
担当楽器 |
ドラム パーカッション バッキング・ボーカル |
活動期間 | 1985年 – 現在 |
共同作業者 |
ボーナム レッド・ツェッペリン UFO フォリナー スティール・ドラゴン ダムノクラシー エアレース(Airrace) ヴァージニア・ウルフ モンキーノート(Monkeynaught) ブラック・カントリー |
来歴編集
1966年、イングランド中部ウスターシャーのダドリーで、ジョン・ボーナムとその妻パット・フィリップスの長男として生まれた。4歳でドラムを始める。映画『レッド・ツェッペリン狂熱のライヴ』には、父と一緒に登場し、小さなドラム・キットを演奏している場面がある[1]。17歳のとき、最初のバンド Airrace に参加。1985年には、ヴァージニア・ウルフ(Virginia Wolf)に参加し、2枚のアルバムを作り、ザ・ファーム (The Firm)のサポートとして米国をツアーした。
1988年、レッド・ツェッペリンのギタリストであったジミー・ペイジのアルバム『アウトライダー』と、その後のツアーに参加。5月に、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開催されたアトランティック・レコード40周年記念(Atlantic Records 40th Anniversary)コンサートでは、存命のメンバー3人とともに登場して演奏した。
1989年、ボーナムはモスクワ平和音楽祭(Moscow Music Peace Festival)に特別ゲストとして参加し、出演していた当時のロック・スターたちと一緒に、レッド・ツェッペリンの「ロックン・ロール」を演奏した。同年、ボーナムは自らの名を冠したバンド「ボーナム」を結成し、レッド・ツェッペリンの影響が色濃いファースト・アルバム『The Disregard of Timekeeping』を発表、「Wait for You」がシングル・ヒットとなった。しかし、1992年のアルバム『Mad Hatter』が芳しくない評判に終わると、バンドは解散。ボーナムは、スタジオ・ミュージシャンの仕事とゲスト出演に専念するようになった。
1990年、ボーナムはウスターシャーのキダーミンスター(Kidderminster)で、ジャン・チャータリスと結婚した。披露宴では、ジミー・ペイジ、ロバート・プラント、ジョン・ポール・ジョーンズとのジャムが行われた。現在、息子のジャガー(Jager)、娘のジャズ(Jaz)がいる。
ボーナムは、ポール・ロジャースの1993年のアルバム『マディ・ウォーター・ブルーズ』(マディ・ウォーターズへのトリビュート・アルバムで、グラミー賞にノミネートされた)でドラムを叩き、翌1994年には、スラッシュ、ポール・ロジャースとともに、ウッドストック'94(Woodstock '94)のステージに上がった。この頃、ボーナムは自身のバンドを再編し、ダニエル・マクマスター(Daniel MacMaster)に代えて、新たにマーティー・フレデリクセン(Marti Frederiksen)をヴォーカルに迎えた。バンド名もマザーランドと改め、アルバム『Peace 4 Me』を1994年の遅い時期に発表した。そうした中でも、ボーナムはいつも飾り気のない性格で、ある時、ボーナムの地元で活動するレッド・ツェッペリンのトリビュート・バンド Fred Zeppelin のステージに登場し、アンコールでドラムを叩いた。
1995年、レッド・ツェッペリンがロックの殿堂入りを果たした時には、父の代役として妹ゾー(Zoë)とともに式典に出席した。ボーナムは、ソロ活動を再開し、レッド・ツェッペリンの曲をフィーチャーしたアルバム『In the Name of My Father - The Zepset』を発表。このアルバムの収益はチャリティに贈られた。続いてアルバム『When You See the Sun』が発表された。
1999年から2003年まで、ボーナムはヒーリング・シックシズ(Healing Sixes)でドラムを叩き、2001年にはマーク・ウォールバーグ主演の映画『ロック・スター』(Rock Star)に出演した。映画の中の架空のバンド、スティール・ドラゴン(Steel Dragon)は、作中に出てくる曲やサウンドトラックのレコーディングを実際に行った。2002年にヒーリング・シックシズのアルバム『Enormosound』が発表され、叔母デビー(Deborah Bonham)とのツアーを行った後、ボーナムはハード・ロック・グループUFOのドラムに招かれ、2004年のアルバム『ユー・アー・ヒア』(You Are Here)に参加した。2004年以降は、フォリナーのライブでドラムを叩くようになり、2008年までそれが続いた。2006年には、ジョー・ボナマッサのアルバム『ユー・アンド・ミー』(You & Me)に参加している。
2006年5月、ボーナムは、VH1のリアリティ番組『SuperGroup』に、テッド・ニュージェント、バイオハザード(Biohazard)のエヴァン・セインフィールド(Evan Seinfield)、スキッド・ロウのセバスチャン・バック、アンスラックスのスコット・イアン(Scott Ian)とともに出演した。彼らは、FIST、God War、Savage Animalなどの候補から、Damnocracy というバンド名を選び、ショーを行うことになった。彼らは曲作りに向けて、ラスベガスの大邸宅で12日間の合宿を行った。
2007年12月10日、ロンドンのO2アリーナで行われた、アトランティック・レコードの創設者アーメット・アーティガン(Ahmet Ertegün)を追悼する一夜限りのコンサート(Ahmet Ertegün Tribute Concert)で、ボーナムは亡き父に代わるレッド・ツェッペリンのドラマーとして演奏し、一部の曲ではバッキング・ボーカルを担当した[2][3][4]。ボーナムのパフォーマンスは、父の伝統を素晴らしい形で継承したと、多くの論者から評価され、ロバート・プラントは『彼(ジェイソン)は今日、遂に父親(ジョン)に追いついたんだ』と最大限の賛辞を送った[5]。
その後、ロック・バンド、サンダー(Thunder)の解散ツアーに参加し、2009年にはブラック・カントリー(Black Country)に参加[6]。
2010年にはJason Bonham's Led Zeppelin Experienceを結成し、翌2011年には世界ツアーを行った。
出典・脚注編集
- ^ http://www.led-zeppelin.com/jasonbonham/index.html
- ^ Metal Hammer - News Article
- ^ Rolling Stone : Led Zeppelin to Play Ahmet Ertegun Tribute Concert on November 26 in London
- ^ BBC NEWS | Entertainment | Led Zeppelin return to the stage
- ^ Zeppelin: Thirty years after last concert, 'Song Remains the Same' : Music : Evansville Courier Press
- ^ “Producer Says BLACK COUNTRY Debut Is 'Promising To Be Phenomenal'”. Blabbermouth.net. 2010年1月31日閲覧。
外部リンク編集
- JASON BONHAM.NET - 英語: 公式サイト