ジェイムズ・ダグラス (第4代モートン伯)

第4代モートン伯爵ジェイムズ・ダグラス: James Douglas, 4th Earl of Morton1516年頃 - 1581年6月2日)は、スコットランドの貴族・政治家。

第4代モートン伯爵
ジェイムズ・ダグラス
James Douglas
4th Earl of Morton
モートン伯爵ダグラス家英語版
アーノルド・ブロンコスト英語版画の4代モートン伯
続柄 先代の娘婿

称号 第4代モートン伯爵
出生 1516年
死去 1581年6月2日
配偶者 エリザベス・ダグラス
父親 ジョージ・ダグラス英語版
母親 エリザベス・ダグラス
役職 スコットランド摂政(1572年-1578年)、スコットランド大法官英語版(1563年-1566年、1567年-1573年)
宗教 プロテスタント
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プロテスタント改革派貴族英語版の一人であり、メアリー女王を王位から追い、1572年にはスコットランド王ジェイムズ6世の摂政となる。権勢をふるったが、カトリックの初代レノックス公爵エズメ・ステュワートの奸計により失脚し処刑された。

経歴 編集

1516年頃、サー・ジョージ・ダグラス英語版(第5代アンガス伯英語版アーチボルド・ダグラス英語版の孫)とその妻エリザベス・ダグラスの次男として生まれる。兄に第7代アンガス伯位を継承するデイヴィッド・ダグラス英語版がいる[1][2]

1543年3月に一族の第3代モートン伯爵ジェイムズ・ダグラス英語版の娘エリザベスと結婚。翌4月に3代モートン伯はモートン伯爵位が彼(その次に兄の7代アンガス伯)に継承できるよう王室の勅許も得て処理した[1][3]

1548年に3代モートン伯が死去。彼のモートン伯位継承は1564年に国王に確認され、ついで1567年スコットランド議会の立法で定められた[1]

1552年にスコットランド枢密顧問官に列する[4]プロテスタント貴族として名を馳せ、1557年にはプロテスタント擁護・カトリック打倒を誓った第一次盟約(First Bond)に署名している。改革派貴族英語版として摂政メアリ・オブ・ギーズのカトリック政策に反対した[5]

1561年にフランスから帰国したメアリー女王はカトリックながらプロテスタントのモートン伯を重用し、1563年から1566年にかけてスコットランド大法官英語版に任じられた[5][4]。しかし結局信仰の違いから徐々に女王に批判的になり、1566年には王配ダーンリー卿ヘンリー・ステュワートと結託して女王の寵臣デイヴィッド・リッツィオ英語版の殺害に積極的に関与した[6]

女王とボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーンが結婚するとそれに反対し、反乱貴族の一人として翌1567年カーベリーヒルの戦い英語版1568年ラングサイドの戦い英語版に参戦し、女王軍を撃破した。これにより女王はイングランドへ亡命した(後にイングランドで処刑される)[5]

1571年に第18代マー伯ジョン・アースキンが幼王ジェームズ6世の摂政に就任した頃から実権を握るようになり、その翌年にマー伯が死去すると代わって摂政に就任した[7]

摂政としては中央集権化と秩序回復に尽力した[5]。イングランド軍の助力も得て、依然エディンバラ城に立てこもっていたメアリー派を排除した[8]

宗教政策では監督制(Episcopacy)復活をはじめとするプロテスタント推進政策をとったが[5]ジョン・ノックスらが主張する長老派による聖職者任命制の導入の提案は却下し、「教会の長は国王」との立場を堅持して司教任命権を国王に温存させた[8]。これはモートン伯がいつの日かジェームズ6世はイングランド王位も継ぐだろうと確信していたためという。そのためにはイングランド式王権のもとに司教を置く体制を作り、またイングランドとの同盟関係を維持する必要があった[8]

しかし彼の強権的統治は反発を招き[8]、特にカトリック貴族からは憎まれた[5]。少年王ジェームズ6世もモートン伯を嫌っていた[8]。そうした空気の中で1578年には第6代アーガイル伯爵コリン・キャンベル英語版に讒言され、摂政解任に追い込まれた[5]

摂政解任後も実権を握ったが[5]、カトリックのレノックス伯エズメ・ステュワート(後の初代レノックス公爵)の奸計により、王配ダーンリー卿ヘンリー・ステュワート暗殺の罪を着せられ、1581年6月2日にスコッチ・メイデンギロチン)で処刑された。皮肉にもこの断頭台はモートン伯がイングランドから輸入したものだった[9][4]

子供はなかった。1581年11月29日には3代モートン伯の娘婿にあたる第8代マクスウェル卿英語版ジョン・マクスウェル英語版が新規にモートン伯爵に叙せられているが、1586年1月29日には4代モートン伯の甥にあたる8代アンガス伯アーチボルド・ダグラス英語版に第5代モートン伯爵位の継承が認められた[1]

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ a b c d Heraldic Media Limited. “Morton, Earl of (S, 1457/8)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月20日閲覧。
  2. ^ Lundy, Darryl. “Sir George Douglas” (英語). thepeerage.com. 2016年1月21日閲覧。
  3. ^ Lundy, Darryl. “James Douglas, 3rd Earl of Morton” (英語). thepeerage.com. 2016年1月21日閲覧。
  4. ^ a b c Lundy, Darryl. “James Douglas, 4th Earl of Morton” (英語). thepeerage.com. 2016年1月21日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 491.
  6. ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 491/641.
  7. ^ 森護 1988, p. 296.
  8. ^ a b c d e 森護 1988, p. 297.
  9. ^ 森護 1988, p. 298.

参考文献 編集

  • 松村赳富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478 
  • 森護『スコットランド王国史話』大修館書店、1988年。ISBN 978-4469242560 

外部リンク 編集

官職
先代
第18代マー伯爵
スコットランド摂政英語版
1572年–1578年
次代
無し
軍職
先代
不明
スコットランド海軍卿
1567年 –
次代
不明
公職
先代
第4代ハントリー伯爵英語版
スコットランド大法官英語版
1563年–1566年
次代
第5代ハントリー伯爵英語版
先代
第5代ハントリー伯爵英語版
スコットランド大法官
1567年–1573年
次代
第5代アーガイル伯爵英語版
スコットランドの爵位
先代
ジェイムズ・ダグラス英語版
第4代モートン伯爵
1564年 – 1581年
次代
アーチボルド・ダグラス英語版