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ジェレミー・ハントJeremy Hunt1966年11月1日 - )は、イギリス政治家保守党所属の庶民院議員。2005年の総選挙で初当選。第1次キャメロン内閣で文化・オリンピック・メディア・スポーツ担当閣内相を務める(2010年から2012年)。その後第1次メイ内閣および第2次メイ内閣で保健相(2012年から2018年)を務めた後、2018年7月9日より2019年7月24日まで外務・英連邦大臣を務めた。

ジェレミー・ハント
Jeremy Hunt
Jeremy Hunt Official.jpg
ジェレミー・ハント
生年月日 (1966-11-01) 1966年11月1日(52歳)
出生地 イギリスの旗 イギリスサリーGodalming
出身校 オックスフォード大学
所属政党 保守党

内閣 第2次メイ内閣
在任期間 2018年7月9日 - 2019年7月24日

内閣 第1次キャメロン第1次改造内閣
第1次キャメロン第2次改造内閣
第2次キャメロン内閣
第1次メイ内閣
第2次メイ内閣
在任期間 2012年9月4日 - 2018年7月9日

イギリスの旗 文化・オリンピック・メディア・スポーツ担当閣内相
内閣 第1次キャメロン内閣
在任期間 2010年5月11日 - 2012年9月4日

在任期間 2007年7月2日 - 2010年5月11日

選挙区 南西サリー選挙区
当選回数 4回
在任期間 2005年5月5日 -
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1990年(平成2年)から2年間、日本英語教師を務めた経歴を有し、また、日本語の堪能な話者であり、モダン日本文化愛好家である。

目次

政治経歴編集

オックスフォード大学在学中から保守党を支持しており、党員として長い活動歴を誇る。また、実業家としても幼少時からの親友Mike Elmsと共に起業した教育関係メディアで成功を収めている。

初当選・影の内閣閣僚編集

労働党のブレア政権下で行われた、2005年の総選挙で下院議員に初当選。当時野党の保守党党首選(2005年12月)に立候補したデービッド・キャメロンを支援したことで、党首に就任した後のキャメロンから重用され、2005年から影の内閣で、障害者担当閣外相、2007年から影の内閣文化・メディア・スポーツ担当閣内相を務めた。

閣僚編集

保守党の政権奪取後、2010年に文化・オリンピック・メディア・スポーツ担当相に任命された。この役職は2012年のロンドンオリンピックを主管するものだったが、実業界での経験も十分に生かしこの大会を成功裡に終了させ、英国の国威発揚、景気浮揚に著しい貢献を果たした。その後、2012年から2018年までは、デーヴィッド・キャメロンおよびテリーザ・メイ首相の下で保健大臣を務め、2018年7月9日に、ボリス・ジョンソンの辞任を受けて外務・英連邦大臣に任命された[1]

2012年4月10日味の素ナショナルトレーニングセンターを訪れ、吉田沙保里伊調馨北島康介らを激励した。2019年4月に外相として来日した際には、都立日比谷高校において、日本語での模擬授業を行っている。

党首選出馬編集

メイ首相の辞任表明を受けて行われた、2019年6月の保守党党首選挙に出馬し、5回の議員投票では投票のたびに票を積み上げた。5回目の投票でマイケル・ゴーヴ環境相を僅差で下し、ジョンソン前外相との決選投票に進んだ[2]。党員投票の結果、得票数は4万6656票にとどまり、9万2153票を獲得したジョンソン前外相に敗れた[3]

ハントの選挙運動はサウジアラビアの王太子であるムハンマド・ビン・サルマーンの側近によって支援されていた[4]。メイ内閣の総辞職とともに外相を退任した。

ブレグジットへのスタンス編集

2016年に行われたBrexitに関する国民投票では、残留派の中心メンバーであった。[5]

その後、メイ首相の政権の閣僚として、国民投票の結果を尊重する政治スタンスを採った。2019年の保守党党首選挙では、離脱強硬派のボリス・ジョンソン前外相らと比べて、穏健離脱派としての立ち位置にあった。

私生活編集

2009年に中国西安市出身のルシア夫人と結婚し、一男二女をもうけている[6][7]2018年7月30日に訪中した際、妻を「日本人です」と言い間違え、様々な憶測を呼んだ。2019年の旧正月のメッセージでは、改めて「私の妻は日本人ではなく中国人」と紹介している[8]

注釈・典拠編集

外部リンク編集