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生涯編集

 
フランス第二帝政の始まった1852年頃のジェローム
 
ジェロームの墓(於オテル・デ・ザンヴァリッド

コルシカ島で生まれ、他の家族と違い金銭的に恵まれた環境で育つ。ナポレオンにかわいがられ、薦められて海軍に入隊し、マルティニク島沖海戦に遭遇する。イギリスに追われ、独立後間もないアメリカ合衆国に逃亡してそこで歓迎される。同地で富豪の令嬢エリザベス・パターソンと恋におち、周囲の反対にもかかわらず1803年に結婚し、2人の子供をもうけた。1804年にナポレオンは皇帝に即位し、ジェローム夫妻は謁見のためにフランスに赴くが、エリザベスは上陸を許されなかった。1人でパリに着いたジェロームは離婚を強要され、やむなく同意した。エリザベスは失意のまま帰国した。

その後、ヴュルテンベルクフリードリヒ1世の娘カタリーナ政略結婚し、1808年6月6日、ティルジットの和約によってナポレオンが作ったヴェストファーレン王国の国王に即位した。その治世は、近代的な制度を取り入れたものの、フランス軍の兵站基地として国民に多大な負担をかけた。

1812年のロシア遠征が始まると自国の軍勢7万を率いて参戦したが、途中でナポレオンと対立、勝手に戦線離脱をしてしまう。1813年のライプツィヒの戦いで敗北し、王国は消滅したが、逃亡して養父に匿われた。1815年の百日天下ではワーテルローの戦いに参戦している。

ナポレオンの死後は安定した生活を送り、フランス第二帝政が成立すると政治に介入した。

家族編集

アメリカ・ボナパルト家の男系男子は、1945年まで続いた。

ナポレオン3世の皇太子ナポレオン・ウジェーヌ(=ナポレオン4世)の没後、ボナパルト家の家督はカタリーナとの子孫に引き継がれた。

ジェローム・ボナパルト以降の系図
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エリザベス・パターソン
 
ジェローム
ヴェストファーレン王
初代モンフォール公フランス語版
 
ヴュルテンベルク王女カタリーナ
ヴェストファーレン王妃
モンフォール公妃
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
スーザン・メイ・ウィリアムズ英語版
 
ジェローム・ナポレオン1世英語版
 
ジェローム・ナポレオン・シャルル英語版
モンフォール公子
 
ナポレオン・ジョゼフ・シャルル・ポール
第2代モンフォール公
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジェローム・ナポレオン2世英語版
 
チャールズ・ジョゼフ
 
 
 
 
 
ナポレオン・ヴィクトル
(⇒帝位請求者ナポレオン5世
第3代モンフォール公
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジェローム・ナポレオン・シャルルwikidata
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ルイ・ナポレオン
(⇒帝位請求者ナポレオン6世
第4代モンフォール公
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

人物編集

ナポレオンは兄弟たちをフリーメイソンの高位職につけており、彼もウェストファーレンのグラントリアンのグランドマスターに任じられた[1]

関連作品編集

脚注編集

  1. ^ Napoleon I” (英語). Grand Lodge of British Columbia and Yukon. 2015年9月4日閲覧。

外部リンク編集