ジェームズ・ロルフ・ジュニア (英語: James Rolph, Jr., 1869年8月23日 - 1934年6月2日) は、アメリカ合衆国政治家共和党員。第27代カリフォルニア州知事を務めた。知事職以前はサンフランシスコ市長であり、最も長期に同職を務めた。

ジェームズ・ロルフ
Richard Caswell
生年月日 (1869-08-23) 1869年8月23日
出生地 カリフォルニア州サンフランシスコ
没年月日 1934年6月2日(1934-06-02)(64歳)
死没地 カリフォルニア州サンタクララ郡
現職 政治家
所属政党 共和党
配偶者 アニー・マーシャル・リード
宗教 米国聖公会

在任期間 1931年1月6日 - 1934年6月2日
副知事 フランク・メリアム

在任期間 1912年1月8日 - 1931年1月6日
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生い立ちと経歴 編集

1869年8月23日にサンフランシスコで生まれる。彼には1人の弟がいた。ミッション・ディストリクトの学校に通った後、株式仲買店の雑用係として働くこととなる。1900年、ジョージ・ハインドと共同で海運業を始める。その後の10年間で二つの銀行の頭取となり、そのうちの一つは自らが設立を手助けしたものであった。

1909年、市長に立候補するよう要請されたが、彼は1911年まで立候補を待った。市長に当選するとその職を18年間務めた。市長として彼は「サニー・ジム」の愛称で知られ、彼の主題歌は「There Are Smiles That Make You Happy」であった。1915年、ロスコー・アーバックルが監督、主演した記録映画『Mabel and Fatty Viewing the World's Fair at San Francisco』に出演している。1924年にはスリム・サマービルのコメディ短編映画『Hello, Frisco』に本人役で出演した。

彼は市長職に加えて、Ship Owners and Merchants Tugboat社の社長およびサンフランシスコ商工会議所の会頭を務めた。また、パナマ=太平洋国際エキスポの副会長および商業両替所の社長も務めた。彼は1931年にカリフォルニア州知事に立候補するため市長を辞任した。

ロルフは1933年11月に起きたブルック・ハートリンチ殺人事件に関して、関係者に恩赦を与えたことで「リンチ知事」として大きく批判された。

ロルフは数回の心臓発作を起こした後、1934年6月2日にサンタクララ郡で死去した。知事の任期3年目のことであった。彼はカリフォルニア州コルマのグリーンローン・メモリアル・パークに埋葬されている。

サンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジの正式名称は、ジェームズ「サニー・ジム」ロルフ・ブリッジである。

ジョゼフ・ウィルソンプレイム事件に関わったヴァレリー・プレイムの夫)はジェームズ・ロルフと関係がある。ロルフはウィルソンの母親のおじであった。

外部リンク 編集

公職
先代
P・H・マッカーシー
  サンフランシスコ市長
1912年 - 1931年
次代
アンジェロ・ロッシィ
先代
C・C・ヤング
  カリフォルニア州知事
1931年 - 1934年
次代
フランク・メリアム