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ジェームズ・ロドニー・シュレシンジャーJames Rodney Schlesinger, 1929年2月15日 - 2014年3月27日)は、アメリカ合衆国の政治家。ニクソン政権およびフォード政権下の国防長官

ジェームズ・ロドニー・シュレシンジャー
James Schlesinger official DoD photo.jpg
第12代アメリカ合衆国国防長官
任期
1973年7月2日 – 1975年11月19日
大統領 リチャード・ニクソン
ジェラルド・フォード
前任者 エリオット・リチャードソン
後任者 ドナルド・ラムズフェルド
第9代アメリカ中央情報局長官
任期
1973年2月2日 – 1973年7月2日
大統領 リチャード・ニクソン
前任者 リチャード・ヘルムズ
後任者 ウィリアム・コルビー
初代アメリカ合衆国エネルギー長官
任期
1977年8月6日 – 1979年8月23日
大統領 ジミー・カーター
後任者 チャールズ・ダンカン・ジュニア
第6代アメリカ原子力委員会委員長
任期
1971年 – 1973年
大統領 リチャード・ニクソン
前任者 グレン・シーボーグ
後任者 ディキシー・リー・レイ
個人情報
生誕 (1929-02-15) 1929年2月15日
ニューヨーク州ニューヨーク
死没 (2014-03-27) 2014年3月27日(85歳没)
政党 共和党
出身校 ハーバード大学

生い立ちおよび経歴編集

ニューヨーク市でユダヤ系[1]の家庭に生まれ、ハーバード大学経済学部で学士号(1950年)、修士号(1952年)、博士号(1956年)を得た。彼は1955年から1963年までバージニア大学で経済学を教え、1960年には『The Political Economy of National Security』を出版した。1963年にはシンクタンクのランド・コーポレーションに移り、同社で戦略研究部長として1969年まで働いた。

ニクソン政権への参加編集

1969年にシュレシンジャーはアメリカ合衆国行政管理予算局次長補(主に国防問題担当)としてニクソン政権に参加した。1971年にはアメリカ原子力委員会委員長に任命された。原子力委員会の業務改善のため広範囲な組織改編を行った。

CIA長官編集

1973年2月2日に彼は、ウォーターゲート事件の調査妨害を拒否したために解任されたリチャード・ヘルムズの後任としてCIA長官に就任した[2]。彼は経済学者であり、諜報活動の実務経験は皆無であったが、予算局次長補時代にアメリカのインテリジェンス・コミュニティーの組織改編などに取り組んでおり、その手腕を期待されていた。伝えられるところによれば、シュレシンジャーが長官に就任して最初に語った言葉は「私はリチャード・ニクソンを締め上げないことを確かめるためにここにいる。」というものであった。原子力委員会同様に包括的な組織の人員変更を試みた。このときまで彼はタフで率直な行政官と見なされていた。かなりの人員削減と組織改変を行って反発を買い、警備局は局内に掲げられている肖像画にいたずら防止のための監視テレビカメラを取り付けた[3]

国防長官編集

1973年7月2日に44歳で国防長官に就任した。その若さにもかかわらず政権内での信頼は国防長官が適任であると考えられた。 国防長官の任期中に彼は徴兵忌避者の恩赦に反対し、より精巧な核兵器システムの開発を要求した。さらに、A-10および軽量戦闘機(後のF-16)の開発プログラムを支援し、両機は後に正式採用された。また、国防総省に総合評価局を創設し、ランド・コーポレーション時代の部下であるアンドリュー・マーシャルを局長に抜擢した[4]

国防長官の解任編集

1975年11月ジェラルド・フォード大統領はその「よそよそしく、しばしば尊大な態度」から彼を解任した。

その後の経歴編集

1977年8月から1979年8月まで、カーター政権下で初代エネルギー省長官を務めた。

2014年3月27日肺炎に伴う合併症のため死去[5]。85歳没。

参照編集

  1. ^ Encyclopedia of the Central Intelligence Agency - W. Thomas Smith - Google Books
  2. ^ もっともウォーターズ副長官に、調査妨害を拒否するように指示している。
  3. ^ "The CIA and Cult of Intelligence"
  4. ^ 秋田浩之「米戦略を動かす伝説の老軍師(上)――アンドリュー・マーシャルの素顔」『外交』19巻、外務省2013年5月、69頁。
  5. ^ J・シュレジンジャー氏死去=70年代に国防長官など歴任-米時事通信2014年3月28日閲覧

外部リンク編集