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ベアトリス・"ジジ"・フェルナンデスBeatriz "Gigi" Fernández, 1964年2月22日 - )は、プエルトリコサンフアン出身のアメリカの女子プロテニス選手。長年にわたり、ダブルスの名手として活躍してきた。WTAツアーでシングルス優勝は2つと少ないが、ダブルスでは69勝を挙げ、うち4大大会の女子ダブルスで「17勝」の記録を残した。シングルスでも1994年ウィンブルドンで準決勝進出がある。

ジジ・フェルナンデス
Gigi Fernández
Tennis pictogram.svg
Gigi Fernández 2009 US Open 02.jpg
ジジ・フェルナンデス
基本情報
フルネーム Beatriz Cristina Fernández
愛称 ジジ
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 プエルトリコの旗 プエルトリコサンフアン
居住地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国タンパ
生年月日 (1964-02-22) 1964年2月22日(55歳)
身長 170cm
体重 66kg
利き手
バックハンド 片手打ち
殿堂入り 2010年
ツアー経歴
デビュー年 1983年
引退年 1997年
ツアー通算 71勝
シングルス 2勝
ダブルス 69勝
生涯通算成績 934勝416敗
シングルス 270勝232敗
ダブルス 664勝184敗
生涯獲得賞金 US$4,681,906
4大大会最高成績・シングルス
全豪 4回戦(1990・93)
全仏 2回戦(1986・87・91)
全英 ベスト4(1994)
全米 ベスト8(1991・94)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 優勝(1993・94)
全仏 優勝(1991-95・97)
全英 優勝(1992-94・97)
全米 優勝(1988・90・92・95・96)
優勝回数 17(豪2・仏6・英4・米5)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 準優勝(1995)
全仏 ベスト4(1995)
全英 準優勝(1995)
全米 準優勝(1995)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 17位
ダブルス 1位
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
女子 テニス
オリンピック
1992 バルセロナ ダブルス
1996 アトランタ ダブルス

経歴編集

ビアトリス・フェルナンデスはプエルトリコで医師の家庭に生まれた。いとこに俳優のホセ・フェラーがいる[1]

1982年から1983年にかけてクレムゾン大学の選手としてプレーした。1983年にプロ入り。1985年からダブルスの名手として頭角を現し始めたが、最初期はいろいろなパートナーと組んでいた。1988年全米オープン4大大会女子ダブルスに初優勝を飾った時、パートナーはロビン・ホワイトアメリカ)であった。1990年全米オープン女子ダブルスではマルチナ・ナブラチロワと組み、決勝でヤナ・ノボトナヘレナ・スコバ組を破って、このチェコスロバキアコンビの女子ダブルス年間グランドスラムを阻止している。1991年から1995年まで、全仏オープン女子ダブルスに5連覇を達成。パートナーは1991年の初優勝時だけはヤナ・ノボトナであったが、1992年からはナターシャ・ズベレワと組むようになった。ジジ・フェルナンデスとズベレワの組は、その後天下無敵のダブルス・ペアとして世界に君臨し始める。

1992年全仏オープンから1993年ウィンブルドンまで、フェルナンデス&ズベレワ組は4大大会女子ダブルス「6連勝」の金字塔を樹立した。しかし1993年全米オープンの女子ダブルスでは、準決勝でアランチャ・サンチェス・ビカリオヘレナ・スコバの組に敗れ、年間グランドスラムを逃す。フェルナンデスとズベレワは1994年にも全豪オープンからウィンブルドンまで4大大会3連勝を成し遂げたが、全米オープンでまたもや準決勝敗退に終わった。しかし、フェルナンデスが現役を引退する1997年まで、このペアは4大大会女子ダブルスで優勝を続けた。最後の年には全仏オープンウィンブルドンで2連勝して“有終の美”を飾る。フェルナンデスとズベレワの組は、1996年日本の「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」のダブルスで優勝したこともある。

ジジ・フェルナンデスは1988年から、女子テニス国別対抗戦・フェドカップアメリカ代表として出場してきた。そのため、1992年バルセロナ五輪1996年アトランタ五輪にもアメリカの代表選手として出場した。ジジ・フェルナンデスとメアリー・ジョー・フェルナンデスのアメリカ代表ペアは、この2大会連続でオリンピックの女子ダブルス金メダルを獲得する偉業を成し遂げた。

シングルスでのジジ・フェルナンデスは、1994年ウィンブルドンでベスト4進出がある。この時は、当年度の大会を「最後のウィンブルドン出場」にすると宣言していた37歳のマルチナ・ナブラチロワに 4-6, 6-7 で敗れた。全米オープンでは、1991年1994年の2度準々決勝進出を果たしている。1997年11月に33歳で現役を引退。

引退後はテニス・コーチになり、2003年からフェドカッププエルトリコ代表監督を務めている。2010年、ジジ・フェルナンデスはナターシャ・ズベレワとともに国際テニス殿堂入りを果たした。

4大大会ダブルス優勝編集

  • 全豪オープン 女子ダブルス:2勝(1993年・1994年)
  • 全仏オープン 女子ダブルス:6勝(1991年-1995年・1997年) [大会5連覇を含む]
  • ウィンブルドン 女子ダブルス:4勝(1992年-1994年・1997年) [大会3連覇を含む]
  • 全米オープン 女子ダブルス:5勝(1988年・1990年・1992年・1995年・1996年)

私生活編集

1993年4月25日にワシントンD.C.で行われた性的少数者のための行進(March on Washington for Lesbian, Gay and Bi Equal Rights and Liberation)でマルチナ・ナブラチロワと共にステージに立った際、レズビアンであることを公表した[2]

脚注編集

外部リンク編集