ジャガー・C-TypeJaguar C-Type )はイギリスの高級車メーカージャガー1951年から1953年の間製作したスポーツカーである。

Cタイプ

概要 編集

1948年に発表されたジャガー・XK120はその流麗なスタイリングと高性能さ、また同程度の性能を持つアストンマーティンベントレーと比べて圧倒的に安価だったことから大人気となり、ジャガーのイメージを決定づける重要なモデルとなった。

1950年10月[1]、会長であるウィリアム・ライオンズはスポーティなイメージをより決定的なものにするため、XK120をベースに改造したレーシングカール・マン24時間レースへ参戦することを決定した[1]。そのために開発されたのがCタイプ[注釈 1]であり、レース開始6週間前の1951年5月初旬に最初の1台が完成した[1]。その後2台が製作され、サルト・サーキットまで自走した[1]。XK120Cとも呼ばれるこのマシンはライオンズの思惑通り1951年のル・マン24時間レース[2][3]でジャガーにル・マン初優勝をもたらし、さらに1953年のル・マン24時間レース[2][4]にも優勝を果たし、ジャガーのイメージ向上に大きく貢献した。

メカニズム 編集

エンジンは3,441 cc[2][5]直列6気筒[5]DOHCXKエンジンで、クロード・ベイリー[1]が圧縮比8.0、SU製キャブレター[1]はそのままに160 hpから200 hp[1]チューニングした。また圧縮比を9.0に上げた仕様では210 hpを実現した[1]

トランスミッションは4速MT

シャシはラダー式からチューブラー・フレーム[1]に変更されている。ホイールベースは2,440 mm[1]。フロントサスペンションはほぼ同一のダブル・ウィッシュボーンとトーションバー[1]。リアサスペンションはリーフ式から変更され、ヘインズが考案し右寄りに配置された三角形ブラケットと2本のトレーリングリンクでアクスルを支持し横置きトーションバーをばねとする方式となった[1]

ボディーはウィリアム・ライオンズから「XK120と共通するスタイリングイメージを持つように」との指示があった[1]。ちょうどこの時期にブリストル飛行機[1]から移って来ていたマルコム・セイヤーが、その空力技術を駆使[1]し、ボディとフェンダーの段差をなくし[1]、ヘッドライトはフロントフェンダーに埋め込む[1]など極めて凹凸が少なく滑らかにデザイン[1]した。全長3,990 mm、全幅1,640 mm、全高980 mmで大幅に低くなった[1]アルミニウム製ボディ[1]で、車両重量は939 kgと軽量になった[1]

1952年仕様 編集

フロントを低く[1]、テールを長く[1]するなどさらに空力特性を追求したが、小型化したグリルが裏目に出てオーバーヒートに悩まされた[1]1952年のル・マン24時間レースでは以前より大型ラジエーターを装備したが効果はなく[6]全車オーバーヒートによりシリンダーヘッドを破損しリタイヤとなった[6]。1952年末に少数がプライベーターに販売された[1]

1953年仕様 編集

オーバーヒートを解消するためボディーを元に戻し[1]、燃料キャップをエアプレーン型に変更[1]し、電装品の改良などで54.5 kgの軽量化に成功[1]、エンジンはキャブレターをツインチョークのウェーバー製×3に変更するなどで220 hpにパワーアップ[1]、前輪のみとはいえレーシングカーとしては初のディスクブレーキを搭載[1]、リアサスペンションにパナール・ロッドを付加[1]するなどの改良が施された。

生産台数・当時の販売価格 編集

53台が製作された[1]。当時の価格は6,000ドルで、これはノーマルのジャガー・XK120の約2倍であった。

関連項目 編集

注釈 編集

  1. ^ CはCompetition(競技)の頭文字。

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 『ワールド・カー・ガイド12ジャガー』pp.47-70「ジャガー・カーズの誕生」。
  2. ^ a b c 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.223「資料1 第1回〜第49回ルマン歴代優勝車一覧」。
  3. ^ 『ル・マンの英国車』pp.43-45「1951」。
  4. ^ 『ル・マンの英国車』pp.50-53「1953」。
  5. ^ a b 『ル・マンの英国車』pp.141-144「TECHNICAL INFORMATION ON THE BRITISH CARS AT LE MANS」。
  6. ^ a b 『ル・マンの英国車』pp.46-49「1952」。

参考文献 編集