ジャム・マスター・ジェイ

アメリカのDJ、ラッパー (1965-2002)

ジャム・マスター・ジェイJam Master Jay、本名:ジェイソン・ウィリアム・ミゼル、Jason William Mizell、1965年1月21日 - 2002年10月30日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区出身のDJラッパーRun-D.M.C.のDJとして活躍した。

ジャム・マスター・ジェイ
Jam Master Jay
出生名 ジェイソン・ウィリアム・ミゼル
別名 Jam-Master Jay
DJ Jazzy Jase
Jam Master Funk
生誕 1965年1月21日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区
死没 (2002-10-30) 2002年10月30日(37歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク市クイーンズ区ジャマイカ地区
ジャンル ヒップホップゴールデンエイジ・ヒップホップ
職業 ラッパー
担当楽器 ボーカルターンテーブルベース・ギタードラムスキーボード
活動期間 1983年 - 2002年
レーベル Jam Master Jay Records
Profile Records
共同作業者 Run-D.M.C.
公式サイト jammasterjay.org

来歴 編集

1965年1月21日ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区で生まれ、13歳のときにクイーンズ区のホリスへ移る[1]

1982年に高校の友人であるジョゼフ・シモンズ(Joseph Simmons)、ダリル・マクダニエルズ(Darryl McDaniels)とヒップホップ・グループ、Run-D.M.C.を結成。1989年にはJam Master Jay Recordsを設立。50セントらが所属した。

2002年10月30日の午後7時30分に、クイーンズ区のジャマイカ地区にあるスタジオで何者かに頭部を銃撃され死亡。同じスタジオにいたスタッフのウリエル・リンコンは膝を撃たれ、怪我を負った[2]2003年5月14日にはジェイの甥でヒップホップ・グループ「Rusty Waters」のロドニー・ジョーンズ(Rodney Jones)が銃撃されている[3]

2009年に所属していたRun-D.M.C.がロックの殿堂入りを果たした[4]2012年5月3日にはSPIN誌の「SPINが選ぶオールタイム・グレイテスト・ギタリスト100」で10位に選出されている[5]

狙撃事件 編集

ジェイが暗殺された狙撃事件は長年の未解決事件となっていたが、2020年8月17日にジェイとコカイン取引を巡るトラブルがあった二人組が訴追された[6]

脚注 編集

外部リンク 編集