ジャンニ・デ・ビアージ
ジャンニ・デ・ビアージ(Gianni De Biasi、1956年6月16日-)はイタリアの元サッカー選手、現サッカー指導者。アゼルバイジャン代表監督。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Gianni De Biasi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1956年6月16日(66歳) | |||||
出身地 | サルメデ | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1974-1975 |
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1975-1976 |
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1976-1977 |
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1977-1978 |
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1978-1983 |
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1983-1986 |
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1986-1987 |
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1987-1989 |
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1989-1990 |
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監督歴 | ||||||
1990-1991 |
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1991-1992 |
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1992-1993 |
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1993-1996 |
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1996-1997 |
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1997-1999 |
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1999-2003 |
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2003-2005 |
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2005-2006 |
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2007 |
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2007-2008 |
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2008 |
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2009-2010 |
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2011-2017 |
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2017 |
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2020- |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴編集
現役時代はインテル所属だったが出場機会に恵まれず、トレヴィーゾ、ブレシア、パレルモなどでプレーした。なおパレルモ時代の1986年にトトネロ・ビスに関与したとして1ヶ月間の出場停止処分を科されている。
引退後はサッカー指導者への道を進み、セリエDから着実にキャリアを積んでいる。 モデナFCを指揮した際には、チームをセリエB昇格、次いで不可能と言われたセリエA昇格・残留に導いた。
次いで、ブレシア時代には、現役時代最後のロベルト・バッジョを指導した。
トリノFCを2005-06シーズンから率いてセリエB3位となり、プレーオフに勝利して昇格に導いた。
しかし2006-07シーズン開幕直前、チーム作りに関して現実的な目標を立てるデ・ビアージは、上位進出を狙うウルバーノ・カイロ会長と対立して解任された。カイロ会長は後任にアルベルト・ザッケローニを招聘したが、チームは低迷し、デ・ビアージはトリノ監督に復帰しチームをセリエA残留に導いた。それにも関わらず、カイロはワルテル・ノヴェッリーノを新たな監督に招く。
2007-08シーズン途中からスペインのレバンテを指揮し、チーム経営破綻・給料未払い問題に直面しつつもチームをまとめ、注目された。レバンテからの給与支払いが滞っていたため、自費でスペインに滞在しており、同じく給与未払いに苦しむレバンテの選手間にも厭戦ムードが漂っていた。そのような最悪のチーム状態にあっても選手に闘う気持ちを植え付け、善戦した。最終的にレバンテ側が契約を解除し、ノヴェッリーノ解任後のトリノ監督に復帰(2008年4月)。ここでも低迷するチームを残留させ、期待に応えたが、翌シーズン半ばに成績不振により解任された (2008年12月) 。
2009年12月、シーズン途中でウディネーゼ監督に就任するが、わずか2ヶ月ほどで解任。
2011年12月に2年契約でアルバニア代表監督に就任した[2]。
2017年9月22日、デポルティーボ・アラベスの監督に就任、しかし2017年11月27日解任された。
脚注編集
- ^ 夫人がアルバニア出身という関係で、2015年3月にアルバニア国籍を取得
- ^ “アルバニア代表新監督にデ・ビアージ氏”. UEFA.com (2011年12月14日). 2011年12月26日閲覧。
- ^ アゼルバイジャン代表にイタリア人指揮官のビアージ氏が就任 超サッカー 2020年7月11日