ジャンヌ・カルマン

世界最長寿かも知れない人物

ジャンヌ=ルイーズ・カルマンJeanne-Louise Calment1875年2月21日 - 1997年8月4日?)は、人類史上最も長生きをしたとされるフランス人女性で、存命時の本人の発言等から長らく122年と164日間生きたとされていたが、2019年より、ジャンヌの長寿記録に疑義が生じている(後述参照)。

ジャンヌ=ルイーズ・カルマン
Jeanne-Louise Calment
JeanneCalmentaged40.jpg
40歳のときのジャンヌ
生誕1875年2月21日
フランスの旗 フランス共和国アルル
死没1997年8月4日?(122歳164日没)
フランスの旗 フランス・アルル
死因老衰
住居フランスの旗 フランス共和国フランスの旗 フランス
国籍フランスの旗 フランス共和国フランスの旗 フランス
民族フランス
時代フランス第三共和政時代前期 - フランス第五共和政時代
著名な実績人類史上(確実な証拠がある中で)最も長生きをした人物。
史上最年長の女優
活動拠点フランスの旗 フランス共和国フランスの旗 フランス
配偶者フェルナン・カルマン(1896年1942年:享年74)
子供長女イヴォンヌ・カルマン(享年:36)
:ニコラ・カルマン(Nicolas Calment)(享年:93)[1]
:マルグリット・ジル(Marguerite Gilles)(享年:86)[1]
親戚はとこ:フェルナン・カルマン
家族長姉:マリー(夭折
次姉:アントワーヌ(夭折)
:フランソワ(享年:97)
:フレデリック・ビイヨ(享年:36)
娘婿:ジョゼフ・ビイヨ(享年:72)

生涯編集

 
ジャンヌ・カルマンの出生証明書

ジャンヌ・カルマンは、1875年2月21日フランスアルルにて、船大工であったニコラ(Nicolas Calment、1837年11月8日 - 1931年1月28日)と、製粉業者の令嬢だったマルグリット(Marguerite Gilles、1838年2月20日 - 1924年9月18日)の三女として生まれたとされる。

同じ年に生まれた著名人として、大韓民国初代大統領李承晩、作曲家のモーリス・ラヴェル、心理学者のカール・グスタフ・ユング、作家のトーマス・マン日本人では民俗学者の柳田國男などがいる。

1876年国勢調査で1歳と記録されている。両親の間には4人の子がいたが(長女マリー、次女アントワーヌ、長男フランソワ及び三女ジャンヌ)、マリーとアントワーヌはジャンヌが生まれる前に幼くして死亡している[1]

ジャンヌの記憶によると1888年、13歳のときに、アルルに滞在中であった画家フィンセント・ファン・ゴッホが、親族の営む画材店へ絵の具鉛筆を買いに訪れたときに出会ったという[2]。ゴッホはジャンヌに会った2年後の1890年7月29日に亡くなった。また、エッフェル塔が建設(1889年完工)されたことや、1885年ヴィクトル・ユーゴーの大規模な国葬が行われたことを記憶していた。

彼女の家族の多くは比較的とても長生きで、兄・フランソワは97歳、父・ニコラは93歳、母・マルグリットは86歳まで生きた[3]

 
1895年(20歳)

1896年はとこのフェルナン・カルマン(Fernand Calment、1868年 - 1942年)と結婚した。夫・フェルナン、娘のイヴォンヌ(Yvonne、1898年1月20日 - 1934年1月19日)、娘婿であるジョゼフ・ビイヨ大尉(Joseph Billot、1891年3月5日 - 1963年1月25日)を超えて長生きした[1]

一人だけの孫、フレデリック・ビイヨ(Frédéric Billiot、1926年12月23日 - 1963年8月13日)は医師になったが、オートバイ事故に遭い36歳で死去している。

1965年、相続人がいなくなったジャンヌは、当時の公証人であったフランソワ・ラフレー(François Raffray、当時47歳)と、フランスでは一般的なリバースモーゲージの契約を交わし、ジャンヌがコンドミニウム・アパートメントを売る代わりに、ラフレーより毎月一定金額(2500フラン)が払われることになった。契約をした90歳のとき、ジャンヌのアパートメントは、10年分の支払いの価値があった。1995年12月、ラフレーは77歳で死去したが、その後もジャンヌが存命していたため、ラフレーの未亡人は毎月の支払いを続行しなければならなかった。そのためラフレー夫婦は、ジャンヌの家に2倍以上の価格をトータルで払ったことになる[4]

ジャンヌが国際的に有名になったきっかけは、1988年にゴッホの「ひまわり」作画百年記念の際、直接会った人としてインタビューを受け、ゴッホを「みすぼらしい服装で、酒癖が良くない人物だった」と評したことであった[4][5]

インタビュー後、1989年に113歳で世界で最も長生きである人としてギネスブックに掲載された。

長寿編集

  • 1986年6月20日、ウジェニー・ルーの死により、111歳119日でフランス最高齢となる。
  • 1988年1月11日に当時114歳93日だったフローレンス・ナップが死去したことで、112歳324日で存命人物での世界最高齢者となった。
  • 1997年8月4日、老衰のため122歳で亡くなった。

死去編集

ジャンヌに次ぐ世界歴代2番目の長寿者は、アメリカサラ・ナウス(1999年に119歳と97日で死去)である。彼女の年齢を上回っていると主張している人々が南アメリカ中国などに存在しているが、いずれも確証を得るには至っておらず、記録は破られていない[2]

世界最高記録への疑義編集

 
娘のイヴォンヌ

ジャンヌが122歳164日まで生存したという主張については、ジャンヌの生存中より専門家・学者から疑義が呈されてはいた。ジャンヌの没後間もなく、老齢学者・トム・カークウッド英語版より、ジャンヌが娘・イヴォンヌと入れ替わっている可能性が示唆され、日本では、高齢社会について著書の多いジャーナリスト・フリーライターの山本思外里が、自身のブログ内で、ジャンヌの長寿記録に疑問を呈している[6][7]

2019年に、ニコライ・ザーク、ヴァレリー・ノヴォセロフなどのロシアの研究プロジェクトが、生前のジャンヌ本人のインタビューにおける発言内容や周囲の人物の証言、またジャンヌに関する公的な書類などを検証した結果、「イヴォンヌが死亡する前と後で、ジャンヌの身体的特徴が大きく異なっている」こと[8]を理由に、「ジャンヌ本人は1934年に58歳で死亡しており、娘・イヴォンヌが相続税の支払いから逃れる目的で、母の戸籍を使用していた可能性が高い」とした上で、「1997年に死亡したのがジャンヌではなくイヴォンヌだとしたら、正確な没年齢が99歳である可能性がある」として、「ジャンヌとイヴォンヌがすり替わった」と結論付ける自説を主張した[9]

これらの疑義については反論もなされている。2019年9月16日、フランスの国立保健医学研究所(INSERM)は新旧データを見直した結果、彼女はやはり間違いなく史上最高齢の記録保持者であるとの見方を示した[10]GRGも2019年現在はジャンヌの記録を認定している一方で、長寿記録の審査を厳格化すべきだという意見も上がっている[9]

健康とライフスタイル編集

フェンシングは85歳から始め、自転車は100歳まで乗った[3]。1週間に1キログラムのチョコレートを食べていたとされている[5]。料理中に小さな火事が起こったことをきっかけにして、1985年に110歳で施設に移ったが、1990年1月(114歳11か月)のときに大腿骨を骨折し手術を受けるまでは歩行することができた。ジャンヌは手術を受ける間、「私はメトシェラと競合する」と喋っていたという。

114歳の時に本人役で映画『Vincent and Me』に出演して史上最年長の女優にもなった[11]。1995年にフランス語ドキュメンタリー「Beyond 120 Years with Jeanne Calment」がリリースされた。1996年に彼女が住んでいた施設はCD「Time's Mistress」をリリース。彼女の語りやラップなどがミックスされている。

20歳代から喫煙していたが、タバコに火をつけてくれる介護者のことを気遣って、117歳で禁煙したという[4]

脚注編集

[脚注の使い方]

関連項目編集

外部リンク編集

記録
先代:
フローレンス・ナップ
存命人物のうち世界最高齢
1988年1月11日 - 1997年8月4日
次代:
マリー・メイユール
先代:
アウグスタ・ホルツ
歴代の世界最高齢
1990年5月11日 -
次代:
(記録保持者)
先代:
アンナ・エリザ・ウィリアムズ
存命人物のうちヨーロッパ最高齢
1987年12月27日 - 1997年8月4日
次代:
ルーシー・ジェーン・アスキュー
先代:
ユージェニー・ルー
  存命人物のうちフランス最高齢
1986年6月20日 - 1997年8月4日
次代:
マリー=エレーヌ・シャントゥペルドゥリ
先代:
ユージェニー・ルー
  歴代のフランス最高齢
1987年7月19日 -
次代:
(記録保持者)