ジュニア8冠王座
ジュニア8冠王座(ジュニアはちかんおうざ)は、かつて存在したプロレスの王座。厳密には王座の名称ではなく、各プロレス団体のジュニアヘビー級以下の王座を同時戴冠した状態のことである。本来の階級、体重制限を無視したのには問題があった。
概要編集
1996年6月17日、日本武道館でジュニアヘビー級以下の8大タイトルマッチが行われた。大会名「THE SKY DIVING-J」。その全試合終了後に行われた記念撮影で、新日本プロレスの獣神サンダー・ライガーが提案した王座統一に、選手とプロレス団体が賛同。8月2日から8月5日、新日本プロレス両国国技館で互いの王座を賭けてタイトルマッチが行われるトーナメント戦「J-CROWN」が開催された(「G1 CLIMAX」と併催)。
- 参加選手と統一された王座
- 優勝 : ザ・グレート・サスケ(みちのくプロレス) : IWGPジュニアヘビー級王座
- 準優勝 : ウルティモ・ドラゴン(WAR) : インターナショナルジュニアヘビー級王座
- ベスト4 : エル・サムライ(新日本プロレス) : WWF世界ライトヘビー級王座
- ベスト4 : 大谷晋二郎(新日本プロレス) : UWA世界ジュニアライトヘビー級王座
- グラン浜田(みちのくプロレス) : WWA世界ジュニアライトヘビー級王座
- 獣神サンダー・ライガー(新日本プロレス) : 英連邦ジュニアヘビー級王座
- 茂木正淑(レッスル夢ファクトリー) : NWA世界ジュニアヘビー級王座
- ネグロ・カサス(EMLL) : NWA世界ウェルター級王座(体重制限が82kg以下であるが、トーナメント戦·統一期間中は他の王座同様に100kg未満の規定でタイトルマッチが行われていた)
1997年6月6日、WAR後楽園ホール大会で王者のライガーに安良岡裕二がインターナショナルジュニアヘビー級王座のみに挑戦して安良岡が勝利したことで以降はジュニア7冠王座(ジュニア7かんおうざ)になった。8月、WWF世界ライトヘビー級王座についてWWFからのクレームを受けた(WWF世界ライトヘビー級王座はビンス・マクマホン・シニアの頃に作られた王座でWWFはWWF世界ライトヘビー級王座を認定していなかった)。11月2日、新日本プロレス福岡ドーム大会で王者の大谷がワイルド・ペガサスとのタイトルマッチを最後に王座は解体されてチャンピオンベルトは各プロレス団体に戻った。
歴代王者編集
歴代 | ジュニア8冠王座 | 防衛回数 | 獲得日付 | 獲得場所 |
初代 | ザ・グレート・サスケ | 0 | 1996年8月5日 | 両国国技館 |
第2代 | ウルティモ・ドラゴン | 7 | 1996年10月11日 | 大阪府立体育会館第1競技場 |
第3代 | 獣神サンダー・ライガー | 4 | 1997年1月4日 | 東京ドーム |
歴代 | ジュニア7冠王座 | 防衛回数 | 獲得日付 | 獲得場所 |
初代 | エル・サムライ | 0 | 1997年7月6日 | 真駒内アイスアリーナ |
第2代 | 大谷晋二郎 | 3 | 1997年8月10日 | ナゴヤドーム |